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日本人が「悪い伝統」も残したがる残念な理由~ルールを変えたい人ほど日本では生きづらい~(東洋経済オンライン 2019/01/20)


■日本人が「悪い伝統」も残したがる残念な理由


ルールを変えたい人ほど日本では生きづらい


東洋経済オンライン(藤井青銅
2019/01/20

https://toyokeizai.net/articles/-/260638?page=5

 

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「伝統」はツールであるにすぎない。

「伝統」維持のための「マウンティング」ではなく、「マウンティング」維持のための「伝統」。


いわば、方便としての伝統だ。

確かに、そういう利用例もある。なにか大きな構図を構築・維持するための便利ツールとして伝統を使っているのだから、いわば”伝統機関説”だ(どうか、国会で排撃されませんように)。


どんなジャンルでも、「伝統を大切に思い、それを周囲に伝える人」は次の4つのパターンに分けられる。

横軸に、その人の「伝統への入れ込み具合」を取った。


右に行くほど「好き、大切に思っている、伝えたい」の度合いが強い。

左は「さほど好きでもない」と書いてはいるが、もちろん「嫌い」というわけではない。


周囲が思うほど、強いこだわりはないということだ。


縦軸は、自由度。下に行くほど「伝統に従え、変えてはいけない」と強制の圧力が強くなる。


上に行くほど、「そうではあるけど、判断はあなたの自由だ」ということ。

 

A:この伝統が好きで、とても大切だと思っている。なくしたくない、次の世代に伝えたい。あなたにも好きになってもらいたい。……けれど、あなたがどう判断するかは自由だ、というタイプ。


B:この伝統が好きで、とても大切だと思っている。なくしたくない、次の世代に伝えたい。あなたにも好きになってもらいたい。……だから、あなたもこの伝統に従うべきだ、というタイプ。


C:この伝統が好きで、とても大切だと思っている。なくしたくない、次の世代に伝えたい、と表向きは表明しているが、本心はそれほどでもない。……けれど、あなたもこの伝統に従うべきだ、というタイプ。


D:この伝統が好きで、とても大切だと思っている。なくしたくない、次の世代に伝えたい、と表向きは表明しているが、本心はそれほどでもない。……だから、あなたがどう判断するかは自由だ、というタイプ。

 

 

Aは、純粋な伝統好き。

その道のプロとか通と呼ばれる人たちだ。

面白いことに、ジャンルを極めたプロほど「基本さえわかってくれれば、あとは自由でいい」という人が多い。

周囲にいる関心がない人にアピールはするが、強要はしない。

Dはライトユーザー。

BとCは、伝統マウンティング派だ。

Bは熱狂的で、Aと違うのは「変えてはいけない」と伝統原理主義的になり、周囲にも強制したがる。

やや信心みたいになってくる。まわりにいるとやっかいで面倒な存在だが、本人は「よかれと思って」いるので悪気はない(だから、やっかいで面倒なのだが)。


タチが悪いのがCだ。

実はそれほどその伝統へのリスペクトはないが、これを持ち出せば相手は反対しづらいので、方便として伝統を持ち上げている。

これが、「社会制度」などの大きな枠組みや個人の心の内面にまで関わってきて、「日本古来の伝統を変えるな」「日本人は昔からそうやってきたのだから従え」「伝統的な文化・しきたりを絶やすな、守れ」となると、やっかいとか面倒の域を越えてしまう。

 

緩やかな衰弱まねく「前例踏襲」

 

こんなふうに近視眼的に、あるいは自分に都合がいい面だけを見て、「伝統を変えるな、従え、絶やすな、守れ」という人たちに対し、いつの時代も「変えたほうがいいんじゃないか」という変革者は現れる。

もちろん、それに抵抗する人たちがいる。

もうこの世にいない先人たちは何も言わないが、変革者のすぐ上位にいる先輩たちが、待ったをかけるのだ。

「俺の目の黒いうちは変えさせん」というアレだ。


その気持ちは、まあわかる。

自分たちが信じ、守ってきたナニカが否定されたように感じ、それは自分という人間を否定されたようにも思うのだろう。

場合によっては、自分たちの地位が脅かされることになるかもしれない。

そこで、背負った先人たちの逆ピラミッドを使い、いかに変えてはいけないかを力説し、変えることによる危険性を訴え、圧力をかける。

言い方は悪いが、既得権益と権威の維持と保護だ。

日本の組織(とくに官僚機構)はこれが多い。

前例踏襲で、変わらないことが第一の目標。

「なにもしないことのためにはなんでもする」という、なんだか不思議な労力をいとわない。

これは一見、現状維持だが、言い方を変えれば、ゆるやかな衰弱だ。

 


(中略)

 


何かを熱心に支持し、信奉する人たちは、世の中の流れが変わると、手のひらを返しだし熱心さは変わらない。

ただその方向が変わるだけ。

「鬼畜米英」から「アメリカ一辺倒」に変わった早さは、誰もが指摘するところだろう。

さまざまなジャンルでも、それは同様だ。

実はこれは、「変えるな!」でも「変われ!」でも同じなのだ。

「存続させろ!」でも「廃止しろ!」でも同じ。

「○○はすばらしい!」でも「○○なんてダメ!」でも同じ。

○○のところに明治維新、民営化、グローバリズムアメリカ、日本などを入れてみればわかる。

結局は、「上からの圧力がきている」という安心感というか、お墨付きを担保に、「下からの圧力」が呼応している。

 

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■日本人が「悪い伝統」も残したがる残念な理由
ルールを変えたい人ほど日本では生きづらい
東洋経済オンライン(藤井青銅
2019/01/20
https://toyokeizai.net/articles/-/260638?page=5