■今こそ冷静に考えるべき、ワクチンと副作用の切っても切れない歴史
~実験場としての敗戦国・日本~
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77491?page=6
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実験場としての敗戦国・日本
ワクチン開発はしばしば冒険だった。
それでも高い期待があったので強行された。
戦中・戦後の混乱により感染症が蔓延した日本も、ワクチンを熱狂的に支持することになった。
GHQの影響下で1948年に制定された予防接種法は、12の対象疾病について強制予防接種制度を導入している。
対象疾病の中には、当時有効なワクチンが存在しないどころか、作られる見通しすらなかった猩紅熱も含まれていた。
同年のうちに、京都市でジフテリアの予防接種を受けた子供68人が死亡する事件が起こった。
原因はワクチンの不良品が検定をすり抜けたことだった。
訴訟が起こされ、検定制度が強化されたが、強制予防接種の枠組みは変わらなかった。
1970年代に種痘の副作用が問題視され、ポリオ、百日咳、MMRワクチンの問題があり、「副作用禍」の責任を行政に求める論調が現れた。
いくつもの訴訟が争われた。
1994年の予防接種法改正により、国はワクチンをおすすめするが強制はしないという立場に変わった。
打たない自由はある。
そのかわり、なにかあるかもしれないと了解したうえで打て。
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今こそ冷静に考えるべき、ワクチンと副作用の切っても切れない歴史「実験場としての敗戦国・日本」週刊現代(講談社)2020.11.27
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77491?page=6