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日本「スネ夫」論 ~スネ夫の家が貧乏になった時、ジャイアン(米国)とのび太(アジア諸国)はどうするだろう? (特別対談 島田雅彦×白井聡) 週刊現代(講談社)2015.11.30

 


日本「スネ夫」論 ~スネ夫の家が貧乏になった時、ジャイアン(米国)とのび太アジア諸国)はどうするだろう?

(特別対談 島田雅彦×白井聡)

週刊現代講談社)2015.11.30

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/46630?imp=0


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・日本の立ち位置は「スネ夫」?

 

島田 日本とアメリカの関係なんですね。

従来「ドラえもん」の比喩で言えば、日本がのび太アメリカがジャイアンでしたが、ここはずらして、日本の対米従属、対米依存は、のび太ドラえもんへの依存から自立できない状態だと設定してみると、より現状に近いのかなと思ったんです。

「本当に自立したいのか」と、常に自民党の人には問いただしたい。

一応対米従属をやりながら、一方で右翼的にアジアに強く出て、戦前回帰のポーズをとることも許してもらえる、という形の自立であったら、それは偽自立です。

米軍基地をグアムにでもどこにでも移して、それで本当に自主防衛を狙うならまだ分かりますけど、それを全部放棄して、対米従属の方針だけは徹底させながらなおかつ自立を唱えるこの矛盾を、どうしてくれるのか。

自立を目指すのであれば、対米従属を改めて、なおかつ国民の支持を得つつ、しかも国際政治の場においてそれなりのプレゼンスを発揮できるスタンスを選ばなくてはならない。

しかしその方法は、消去法で行くと、とりあえずは憲法を守ることでしょう。

勿論、憲法九条に矛盾はありますし、現状の安全保障上、憲法九条が機能しうるかと言えば難しいところがあるでしょうが、政治原則において自立ということを唱えるのであれば、より憲法に忠実な方がよほど理にかなっていると思います。

ただ長年、護憲というと左派の方はものすごい頑固な保守だったわけですよ。

いつしか護憲というものがほとんど絶滅危惧種的な扱いになって、政治的な効力を失ってしまった。

その中で改憲を唱えれば、少なくともそれは改革ではあるのだから、新しいプログラムを志向していると見せかけることはできた。

しかしこの間の強引な憲法解釈、これによって逆に護憲が息を吹き返した感じがするんです。

そこは楽観しているんですよ。

元々自民党の悲願は改憲であり、自主憲法制定ですが、ひどい改悪案なうえに、特に安保法案はあまりにもアクロバティックな憲法解釈だったので、これは危険だというふうにみんなが目覚めてしまった。

だから今後、強引な改憲の方向には行きにくくなっただろうと思いますけどね。

 


白井 だといいんですけどね。

現在の状況は、護憲が息を吹き返すと同時に、今まで言われていた、いわゆる改憲論というものが実はほとんど何の意味もないことが分かったということだと思うんです。

改憲派押し付け憲法を捨て去って、自分たちの憲法を自分たちで制定して自主性を回復するんだと言ってきたわけです。

今回ある意味で非常に創造的な解釈を施して集団的自衛権を認めるよう解釈変更したわけですから、事実上改憲したに等しいわけですけども、それで自主性を回復できたかというと、とてもそうは見えないわけですよね。

ますます軍事的な意味での対米従属、要はアメリカがやる戦争にお付き合いをしなければいけないということになる。

これまでは九条のおかげで従属にも歯止めがあったわけで、これを無効化すれば従属がより一層深まって全然自主にならないことがわかってしまった。

ただ、こういった理解がちゃんと広まるだろうかというのが大きな問題です。

僕は「ドラえもん」に喩えると、日本の立ち位置はスネ夫だと思うんです。

つまりジャイアンの子分なわけですよね。

スネ夫はひょっとすると一対一でけんかをしたら、腕力はのび太にすら劣るかもしれない。

でも、ジャイアンにうまく取り入っているということと、家が金持ちであるということでもって、のび太より優位に立っていたわけなんですね。

つまりジャイアンアメリカ、スネ夫=日本、のび太アジア諸国ですね。

アメリカに取り入るということと、アジアに対して傲慢な態度を取るというのがコインの表裏になっているわけです。

これが戦後レジームの基本構造であり、非常に病んだ構造なんですが、それでもやってこられたのはスネ夫の家がお金持ちだったからです。

ところが今何が起きているかというと、スネ夫のお父さんが破産して、貧乏になってしまったんですね。

これは厳しいですよ。

骨川家が貧乏になったらスネ夫アイデンティティはどうなってしまうのか。

「僕のうち金持ちだから」っていうのが、のび太に対する優位性の根拠だったし、「新しいおもちゃだよ」とジャイアンに遊ばせてご機嫌をとるのに役に立ったわけですから、金がなくなったらスネ夫は終わりですよ。

だから経済大国の地位が危うくなってきて多くの日本人が今発狂しかけている状態にあるんだろうと、そういうふうに見ているんです。

 

・「人格解離」という対処法

 

白井 人格解離といえば、内田樹さんとの対談本(『日本戦後史論』)の中で、内田さんが安倍晋三を人格解離していると評しているんですね。

おそらく生身の安倍さんというのは悪い人じゃなくて、付き合うと結構いいおじさんなんじゃないかと。

しかしながら政治家一家に生まれて、家業としての政治家業を継がなければいけないという運命を背負わされて、しかもその家業は相当傾いている。

それこそ岸信介というのは戦後レジームを作った人ですから、安倍さんはおじいちゃんが建てた建物の中で生まれ育ってきたわけです。

安倍さんにとって困ったことには、その建物は冷戦構造の崩壊と同時に柱が抜けた建物になってしまった。

これを持続するのは不可能な状況になっているのですが、彼はその建物の中以外の環境を知りませんから、仮に本当は「なんだか居心地が悪いな」と薄々感じていたとしても「この建物はもうダメだから壊そう」とは言えない。

そういう、生身の人間では処理できないような矛盾を抱え込んでいるから、ある種解離した別人格を作って、それがいわば腹話術的に喋って、戦後のレジームを無理やり保たせようとしている、人格解離によって矛盾の厳しさに対処しているんじゃないか、というのが内田さんの見立てです。

安倍さんは、田舎の旅館の三代目とも喩えられます。

地方の過疎化した観光地で、寂れて閑古鳥が鳴いているような旅館の跡取りになった。

もう一度守り立てるのは無理という絶望的状態でも、とりあえず継がないといけないから継いだと。

そういう人たちがどういうふるまいをするか。

これは過疎化問題に悩む地方の実態に詳しい人からよく聞く話なんですけど、新しい農作物の栽培に成功したとか、新しい観光スポットを立ち上げて、いわゆる村おこし、地域おこしのスターとして脚光を浴びる人たちというのは、おしなべて地元では評判が悪い。

その原因は大概、嫉妬なんです。あいつばかり目立ちやがってという不毛な感情です。

前途が絶望的な旅館の三代目などの役回りを引き受けさせられた人は、無意識のレベルで、「こんなの持続できないんだから、つぶれちゃえばいい」と思っている。

そこに、「もう一回、地域を守り立てられますよ」と言う人が現れると迷惑で、このまま安楽死させようと思っていたのに余計なことをするなと。

だから反動的にふるまって彼らをいじめたりするんだというんです。

今の保守政治家って、様々な戦後日本の矛盾を集約的に引き受けさせられているともいえるんですね。

嫌ならやめればいいわけですが、とにかく本人としてはそういう役回りになってしまったと思っていて、それに対処するのに生身の人間では無理なので、ある種人格解離を起こしちゃう。

この見立ては、なるほど、今の情勢を見るに際しては有力な視点なのかなという気がしたんですね。

 

島田 アメリカの傀儡であったり、あるいはアメリカと結びついている官僚とか企業家とか、いわゆるアメリカンスクールの方々、アメリカの利害を日本においてうまく発揮できるように調整する人々は、外務省にも防衛省にもいっぱいいます。

実際そういう人たちが対米従属を推し進めて、アメリカにとっての日本利権をハンドリングしている。

彼らから見ると、多分安倍さんは御しやすいのだろうと思いますね。

首相なんていうのは一種象徴的な存在でよい、血筋がいいに越したことはない、そのほうが自民党内の調整もつけやすいと。

さらに岸の孫ということであれば、岸流の政治プログラムを反復するという物語はできやすい。

非常にわかりやすいプログラムを作ったうえで、首相はなるたけナポレオン三世みたいに凡庸な人間の方が好ましいわけです。

自分なりの、より良い政治プログラムを提案するようなタイプだと官僚と対立するかもしれない。

そもそもこういう人格解離状態を特に問題視しないような鈍さというのが、うってつけだったんでしょうね。

たとえば国会の答弁を聞いていると、首相が毎度毎度名前を呼ばれるのと同じくらいの頻度で中谷元防衛大臣が答弁に立つ。

そこで共産党の議員の厳しい追及があると、中谷大臣は赤面するんですね。

明らかにあれは相当に困惑しているし、恥ずかしいと思っているんじゃないか。

自分の答弁が矛盾に満ちているという自覚はあると思う。

そういう含羞がにじみ出ているんですよ。それに対して、安倍さんは何もないね。

 


白井 確かに。

 

島田 何も恥じることもないし、はぐらかしてはいるんだけど、そうとしか答えられないみたいな感じで。

この間、国連で「難民問題についてどう思いますか」と聞かれて、「日本には別の問題があります」って、まったく関係ないことを言っていて、それで恥じないというのは、すごいかもしれない、ある意味で。

 


白井 今回も安倍さんはニューヨークに行って、結局オバマ大統領と会えなかったですよね。

あれほどの貢物というか、アメリカのために強引なことをやったのに、会ってもくれないと。

僕だったら死にたくなると思うんですけど、彼は全然へっちゃらみたいです。

鈍感で恥知らずな人間は強いんだなということがよくわかりました。

アメリカにとっても、日本の首相は凡庸なくらいがいいとはいえ、ここまで低劣だとは誤算だったと思う。

オバマは嫌悪の情を隠しすらしていない。

 


島田 しかし一方で、アメリカも民主党共和党の大きな政治方針の違いがあるし、同じ民主党内でもオバマとヒラリーは微妙に違いますし、さらにそこに軍産複合体の利害があって、これが錯綜している中である種のパワーゲームを繰り返しているわけですが、政権がアメリカで替わったとしても軍産複合体自体の影響力は変わらないので、そこががっちりと日本の尻尾をつかんでいる。

歴代首相は勿論のこと、野党のアメリカンスクールまでも鵜飼の鵜みたいに全部束ねているところがあって。

そんな中で、仮に対米従属を改めて自立に向かうために中国やロシアとも多極的な安全保障を構築するというオルタナティブを画策しても、まずは政府機関内に深くまで入り込んでいるアメリカのスパイどもに全部邪魔されるでしょう。

 

白井 それが象徴的に示された事件はやっぱり鈴木宗男佐藤優事件だったと思います。

佐藤優さんの『国家の罠』は何度読み返しても面白い本ですが、それによると、外務省の中に当時三つの派閥、アメリカンスクールチャイナスクール地政学派とがあった。

地政学派というのはその時々に応じて組むべき相手を臨機応変に変えていく立場で、鈴木・佐藤ラインは地政学派だったわけですね。

あの一連の外務省内の騒乱を通じて何が起きたかというと、地政学派がつぶされ、チャイナスクールもつぶされて、つまりアメリカンスクールだけになってしまうという状況が作られた。

それがあの事件の本質だったというんですね。

その結果が、今こういう形で非常にわかりやすく出てきているわけです。

本来なら冷戦構造が終わった後、対米従属を続ける合理的な理由はなくなったんですよね。

このことは、今の日本のナショナリズムの歪みとも関係しています。

そもそも戦後日本の保守の主流は、親米保守と言われる異様なものです。

どこの国だって保守、ナショナリストというのは、たとえばフランスだったら親仏保守でしょうし、韓国だったら親韓保守のはずなのに、日本だけは親米保守なる奇怪な立場がナショナリストを名乗ることができた。

それでも、冷戦時代は一応言い訳ができた。

何せソ連という悪いやつがいると。

だからアメリカだって本当は嫌なんだけど、ソ連の力が伸びてきてそれに取り込まれることだけは絶対に避けなければならないので、当座はアメリカと組んでおこうという立場が愛国的なのだと。

しかし、この言い訳が、ソ連が崩壊することによって、もう全然成り立たなくなった。

だから九〇年代を通じて軌道修正をするための具体的な画策があったわけですけど、結局それらは全部つぶされていくわけです。

場合によっては検察の力まで動員される形でつぶされていった。

対米従属をする合理的理由がなくなった時代にこそ、ますます対米従属が強まるという、そういう異様な時代になってしまいました。

 


・三十年後を議論する政治

 

島田 もうちょっと政治を長いスパンで見ようと思った場合、今は過渡期ではあると思います。

アメリカの支配が終わって、世界的な影響力が低下して、代わりに中国が台頭してきているという中で、そろそろ日本の外交方針を改めないとならないわけです。

東アジア・太平洋地域におけるアメリカの軍事プレゼンスは依然高いけれども、そうはいっても中東に駆り出されたり、世界の警察を辞めたくなってきている中で、今まで通り、アジア・太平洋地域を完全にアメリカのコントロール下に置くことは難しい。

そこで、日本に戦費負担させたい。

だから反中で世論を盛り上げておいて、日本国民全員が常にアメリカの方に味方する、友達みたいにみなし続けたまえという感じになっているわけですが、しかしそれで安全保障が成り立つと思えるのは、向こう五年とか十年に過ぎないのではないかと。

今回、『虚人の星』でそういうことを書いているんですけど、もうちょっと長い、三十年くらいのスパンで未来を考えた時には、今の状況からは全く想像できない世界が出現しているはずです。
ちなみに今から三十年前の中国を見て今の中国を想像できた人がいるかというと、ほとんどいないわけですね。

そうすると三十年後の世界は、いくら経済の不安定要素があるとはいえ、一人あたりのGDPにおいて、中国が日本を超えてくる。

人口十倍ですから、そのまま経済規模が日本の十倍ということになり、アメリカを凌いでしまう。

それに軍事費が比例するとなれば、世界で最大の軍事大国になる。

海軍が弱いというところはあるけども、これもすぐに逆転するでしょう。

なぜならば、今はウクライナから買った中古の空母が一艘しかなくて、アメリカとの対比でいうと、三対一くらいだけど、もし台湾を領有することになれば、台湾は空母二十艘分と言われていますからね。

台湾を領有したら、尖閣なんかどうでもよくなるでしょう。

太平洋に対する中国軍のプレゼンスは圧倒的に高まります。

それも時間の問題だと考えた場合、今から、それにどう対応するのかという布石を打っておかないといけない。

現時点で中国の属国になりたくないという思いが保守は強いでしょうし、正直私も沖縄に米軍の代わりに人民解放軍が来るだけだと言われても、なんか嫌な感じがしますよね。

でも三十年スパンで見ると、それを受け入れざるを得ない状況が来るかもしれない。

しかし、そういう三十年後の話の議論は、普通の政治家は取り合わないというか、そういうことを考えること自体を放棄しています。

 


白井 沖縄に米軍基地の代わりに中国軍基地があるという状況は、今と同等か今よりも悪夢かもしれないという話ですね。

要はそういうことが起こらないように、中国の発展の仕方がどうあるべきかを考えてください、かつて中国を苦しめた帝国主義列強が追求した覇権主義はよくありませんよ、ということを説いていくしか基本的にはないと思います。

ちなみに、保守は沖縄で中国脅威論をふりまきたがるわけですけど、これ全くの逆効果なんですね。

沖縄の人の目で歴史を振り返ってみると、日本人にやられたという記憶はあるし、アメリカ人にやられた記憶もある。

しかし中国人に暴力によって支配されたという記憶はないわけですね。

彼らにとっては中国脅威論はまったくの大ウソじゃないかということがリアルにわかるわけです。

中国脅威論というけれど、実際中国から日本が侵略を受けたのは、元寇くらいしかない。

ただしもちろん近代世界の原理の中で大国化していくと当然違った方向へ行くことも考えられるので安易な楽観視はできないことですけど、しかしながら当然交渉の余地はある。

 


島田 沖縄から見れば、中国との朝貢関係、貢物をやって非常に安定的な外交関係を作るのはある意味自然だし、中国にしてみれば先の戦争における復讐は形だけでもしたいでしょうが、その復讐をなるべく軽く済ませる。

そのうえで、中国が常に理性的にふるまえるような助言をする友人的な立場ということを目指すしかない。

実際アメリカが対外的にやってきたことのアコギさと中国がやってきたことを比べた場合、アメリカの方が悪かろうと思います。

 

 

白井 遥かにアコギです。アメリカが悪いことをやった時にはそれは十分の一くらいに希釈されて伝えられるのに対して、中国のそれは十倍にして伝えられるという感じがありますね。

 

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日本「スネ夫」論 ~スネ夫の家が貧乏になった時、ジャイアン(米国)とのび太アジア諸国)はどうするだろう?
(特別対談 島田雅彦×白井聡)
週刊現代講談社)2015.11.30
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