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日銀金融緩和で刷られた円の行き先が日本企業でも日本国民でもないカラクリ(Dr.苫米地 2016年9月15日TOKYO MXバラいろダンディ) https://www.youtube.com/watch?v=tvzNqO6qsGI

■緊急事態宣言の効果は絶望的なほどほぼ皆無だ 東洋経済 2021/05/02

 

■緊急事態宣言の効果は絶望的なほどほぼ皆無だ

東洋経済 2021/05/02

https://toyokeizai.net/articles/-/426289


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結論から言うと、今回の「第3回目の緊急事態宣言」は、おそらくほとんど効果がないだろう。

その理由は3つある。


・日本の緊急事態宣言はもともと効果がほとんどない


第1に、3度目であること。うんざりしている。

飽きている。よく「コロナ疲れ」「自粛疲れ」と言われるが、より人々の感情に近い表現は「うんざり」か「飽きている」ということだろう。


第2に、発出した理由が不明瞭である。大阪が危機的なのはわかるが、東京は、感染者数、病床ひっ迫度合いからいっても大阪ほどではない。

「蔓延防止措置」というのをつくって、まさにそれがぴったりなのに、そしてそれが発出されて、その効果がまだまったくわからないうちに、緊急事態宣言だ。


2度目はなかなか出さなかったのに、しかも、2度目の緊急事態宣言解除は、感染者数が増えてきたところで解除。

要は「出したくないのだ、政府は」と思われていたのに、なぜか今回は唐突に出した。


納得感がなければ、政府の要請やお願いには、誰も応じないだろう。

第3に、緊急事態宣言はもともと効果がほとんどないからだ。


実は、1度目も2度目もほとんどなかったのだ。

だから、今回はなおさら効果がないに決まっている。


この3つを、一つひとつ言い換えてわかりやすくしてみよう。

第1点。


まず若い世代は、緊急事態宣言無視だ。

そもそもテレビを見ない、持っていない。


だから、テレビで大臣がわめこうが、知事が国を罵ろうが、そもそもそれを知らない。

政治家たちのアリバイ作りのパフォーマンスはそもそも認識すらされていない。


彼らにとっては、1回目の緊急事態宣言のときは、コロナ危機への異常な自粛、という目新しいイベント。

初めてハロウィンに参加するような気分だ。


だから、1回イベントを消費すれば、次は目新しいイベントではないから、まったく関心の対象に入らない。

だから、支持とか不支持とか従わないとかではなく、関心の外にある。


「緊急事態宣言??で、何か?」という感じだ。

一方、中年世代はどうか。


テレビをつけると、官邸と知事の非難合戦、罪の擦り付け合い、まさにうんざりだ。

アリバイ作りよりも、テレビに出る暇があったら、病院を説得してくれ。


2度目からは、もううんざりで今回はあきれ果てているから、これもテレビは見てはいるが、馬耳東風だ。

政治家の叫びは趣味の悪いBGMにしか聞こえない。


そして、高齢者は、ただ怯えているだけだ。

テレビでコロナの話が出れば出るほど、それがどんな話であれ、恐怖がさらに刺激されるだけ。


金持ち高齢者はさらに家に引きこもり、巣ごもり消費に慣れていないから、ただ、怯えて貝になっているだけだ。

 

・もはや「政治的資本」がマイナス状態に


第2の点。

緊急事態宣言を出せば出すほど、政治不信は強まる。


第1弾の接触8割削減の主張や「ロンドン、ニューヨークの次は東京だ」という脅しを続けた「自称(他称)専門家」により、専門家不信は確定した。

科学的根拠無視で、感情で情緒的に行動することが「専門家は信用できない」ということの裏づけに正当化されることになった。


この結果、いい政策だろうが、悪い政策だろうが、人々を政策でコントロールするのは不可能になる。

政治家の言葉においては、効果は完全にゼロである。


むしろ、しゃべればしゃべるほどマイナスで、へそを曲げて政府のしてほしい行動の逆をしたくなる。

この結果、人気取り、八方美人、世論調査支持率だけが頼りの政治家たちは、無駄な、余計な、愛想、ばら撒きを国民に行い、強い、妥当な指示を国民にまったく出せなくなる。


びくびくしながら、中途半端なお願いを続ける。

中途半端だから効果はほとんどなく、本当は、自分たちがへそを曲げてわがままだったことが理由であるにもかかわらず、感染拡大の理由をすべて政府の下手な政策のせいにすることが常態化し、素人も専門家も、メディアに習って、政府をひたすら攻撃することになる。


いわゆるポリティカルキャピタル(政治的資本)を緊急事態宣言第2弾で完全に失い、いまやすべての政府の措置は、ポリティカルキャピタルを毀損するどころか、もはや「マイナスのキャピタル」状態で、債務が増加、蓄積する一方になっている。

細かいところを見ても、もう収拾がつかないレベルだ。


なぜか百貨店などの商業施設は休業を要請される。

百貨店でクラスターが発生した例も聞かないし、ロジックもわからない。


問われた田村憲久厚生労働大臣は、百貨店に来るときに人流ができてしまうのが問題だ。

だから、百貨店自体は問題がなくても、人の流れを抑えるために、休業をお願いする、と。


なんだそりゃ。百貨店は訴訟を起こすべきだと思うが、一事が万事、こういった風である。

これでは説得力がない。


「ソーシャルディスタンス」「3密」という流行語大賞ワードは実はまったくの間違い、無意味な概念だった。

要は唾液の飛まつだから、密でも誰もしゃべらない、朝の通勤電車ではうつらない。


逆に言えば、距離があっても、広い空間にたった3人でも、カラオケで感染対策をせずに大声で歌えばあっさりうつる。

データを駆使していないどころか、科学的思考がないどころか、普通のロジック、いやその手前の、少し理屈を考えることすら放棄して、感情的、情緒的に迷走している。


やっているふり、奔走している振りをしている知事たちはそれでいいかもしれないが、実生活はそれではたまらない。

生活にとっては不要不急だが、オリンピックもアリバイ作りのパフォーマンスと違って、実際に事を実行する、実行委員会は現実を考えてしまうと動かざるをえないが、そうなると批判を浴びる。


これでは何もできない。

こうして、日本は迷走をしているのである。


しかし、最も致命的なのは、3回とも緊急事態宣言はそれ自体では、まったく効果がなかったことだ。

つまり、日本政府は感染症拡大を防止する手段を何も持たないに等しいのである。

 

・「1回目」の正体は「恐怖の支配」だった


では、昨年の1回目の緊急事態宣言は、なぜあんなに効果があったように見えたのか。

まず、そもそもあの時点では、日本の新型コロナ感染の拡大は極めて限定的だった。


もともと危機ではなかったのである。だから、どんなことをしても収まったはずだった。

そして、マスクや手洗いに慣れていたから、拡大のリスクは欧米の他国などに比べれば、大きくなかった。


このとき人々が自粛を狂ったように行ったのは、若い人々が自粛というイベントに興味を持ったからであり、30歳前後から中年にかけての人々にとっては、自粛を推奨するのが賢い行動に見えたからであり、意識高いように見えたからである。


そして、それを裏付けたのがロンドン、ニューヨークの悲惨なテレビ映像であり、欧米の「進んだ」ものをいち早く取り入れるのが、古くから、そして今も日本の「進んだ」人々の行動だと、これらの世代は思っているから、専門家もインテリ風の人々も、今風に言えば意識高い系の人々も「進んだ」「知見」を、実際は風説の流布なのだが、SNSで拡散することに努めた。


この行動は、人々を恐怖に陥れた。

とりわけ、高齢者は「あんたは死ぬ」と脅されたように受け止めた。


さらに、テレビ世代の中高年や高齢者は、芸能人がコロナで死亡すると、恐怖に支配されるようになってしまった。

感情、情緒、印象がすべての行動を支配する。日本においては特にそうであり、日本でなくとも、恐怖の下では、人間はそうなってしまう。


これが極めて「効果的」であったために、人々は異常な自粛を積極的に行ったのである。

したがって、1回目の緊急事態宣言が効いたように見えたのは、緊急事態宣言自体ではなく、欧米がやられたという情報による、恐怖の支配によるものであった。


そして、2回目の緊急事態宣言の効果も、同様に「恐怖による支配」に過ぎなかった。

1回目よりも効果が薄かったのは、政治が「Go To」にこだわり、意味不明の行動をとったこともあったし、2度目で飽きていたこともあった。


それでも年末年始にはそれなりに、自粛が広まった。

しかし、その理由は、緊急事態宣言にあったのではなく、東京の陽性確認者数が、あっというまに1000人という4ケタにのり、それがすぐさま2000人を超えたからであった。


この数字の急増は恐怖を広めた。

この数字に対する恐怖感、東京2000という恐怖感が東京を支配し、なぜか、東京以外も支配し、ついでに「東京2020」への批判、否定的な見解も広まった。

 

・「3度目の緊急事態宣言」が解除されるとき


では、3回目の今回はどうか。

官邸はずるがしこいことに、実は、この恐怖支配のメカニズムに気づいているのではないか。


今回、もうすでに脅しは2回で使い切ってしまい、これまでのものは何も通じないから、目新しいもの、ということで、やたらに変異ウイルスを繰り返し強調している。

すべては変異のせい。


ワクチンが遅れていても、変異ウイルスには効かないかも、と論点をすり替え、これまでの政策とも矛盾を指摘されても、すべて変異ウイルス、これが世界を変えたかのような主張をして、また人々を恐怖に陥れようとしているようにしか、筆者には見えない。


ここまで官邸に対して邪推をするのも申し訳ないが、少なくとも結果的には、人々を抑制させるのは、恐怖である。

今恐怖をあおっているのは、変異ウイルスだけだ。


いまや、世界の先進国でいまだにコロナパニックになっているのは、日本だけだ。

アメリカ、英国などもすべて前向きで、経済が活況だというデータしか出てこない。


感染者数対比の経済活動の停滞比率のような、いわばコストパフォーマンスのような指標があれば、日本は世界一だろう。

コロナのウイルス自体の危機の程度に対する経済抑制効果の大きさは、世界一だ。


もしウイルスの意思が人間の経済活動抑制にあったとすれば、「ウイルス天国日本」ということになる。

その理由は、恐怖に支配されやすい、感情に支配されやすい社会であることに尽きる。


論理に支配されている社会であれば、感情を利用して政策を行う政権は、すぐに交代することになっていただろう。

日本においては、高齢者は恐怖に支配され、若い世代は欲望に忠実である。


これが、今回の緊急事態宣言が「効果がない」と断言できる理由だ。

そして、効果がなかったとしても、期限である5月11日あるいは短い延長をして、感染状況の大幅改善が実現しなくとも、緊急事態宣言は解除されるだろう。


そのときは「政府官邸は、そもそも、感染抑制のためではなく、政治の都合で緊急事態宣言の発出も解除もしただけだった」という批判を浴びることになろう。

 

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■緊急事態宣言の効果は絶望的なほどほぼ皆無だ
東洋経済 2021/05/02
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