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日銀金融緩和で刷られた円の行き先が日本企業でも日本国民でもないカラクリ(Dr.苫米地 2016年9月15日TOKYO MXバラいろダンディ) https://www.youtube.com/watch?v=tvzNqO6qsGI

■コロナ「感染者数の積み上げ」でパニックを誘発する報道の病理 新型コロナ報道が視聴者の不安を煽る「仕掛け」とは 週刊ダイヤモンド 2020.7.30

 

■コロナ「感染者数の積み上げ」でパニックを誘発する報道の病理

新型コロナ報道が視聴者の不安を煽る「仕掛け」とは

週刊ダイヤモンド 2020.7.30

https://diamond.jp/articles/-/244404


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・ワイドショーの新型コロナ報道が視聴者の不安を煽る「仕掛け」とは


先日、テレビをつけたら、ちょうどワイドショーをやっていて、こんな言葉が耳に飛び込んできた。

「いよいよ東京や大阪だけではなく、日本全国に感染が拡大してきました」


あまりに重苦しい響きから思わず画面に目をやると、衝撃的な数字が飛び込んできた。

司会者の傍らに、全国の新型コロナウイルス感染者を一覧にした日本地図のパネルがあり、そこにはこれまで新規感染者が1人や2人しか出ていなかった県の場所に、「265人」「231人」などと大きく記されていたのだ。


「知らない間にそんなに増えていたのか」とマジマジと見てみると、それらの人数の下に4分の1くらいに縮小したフォントで「新規1人」「重症0人」と記されていることに気づいた。

さらに、よくよく目を凝らしてみると、「ダイヤモンド・プリセンス号を含む」なんて小さな但し書きもあった。


そう、全国に感染が拡大してきたという流れで出しているパネルなので、てっきり本日時点の新規感染者数を並べているのかと思いきや、これまで新型コロナにかかった人の数を積み上げた「累計感染者数」だったのだ。

視聴率の奪い合いをするワイドショーは、どうしても「絵的に強い」ものを用意してしまうということなのだろうが、これはかなり罪深い「印象操作」である。


NHKのまとめによれば、7月29日時点で国内の累計感染数は3万2957人だが、その中の2万3470人は「退院」となっている。

つまり、感染拡大の証としている人たちの70%はもはや回復をして、日常生活を送っている「フツーの人たち」なのだ。


死者に関しても「1002人」というと屍の山をイメージするが、これも「累計」であり、7月に入ってから全国で死者数は「0人」という日が続き、29日時点で多くても1日1~3人という水準だ。

しかし、そういう説明もなく「3万2957人」という数字だけを聞かされ、「1万1611人」「3430人」「708人」などという数字が踊る日本地図を見させられたら、ピュアな視聴者はどうなるか。


「いよいよ日本も2カ月前のニューヨークやパリのようになるのか」「このままじゃ、8割おじさん(西浦博・北海道大教授)の言う通り、43万人の死者が出るぞ!」と恐怖と不安でパニックになり、中には自分を失って、とんでもない行動に走るような人も出てくるだろう。


・激しい恐怖や不安で我を忘れる人々が続出


事実、日本全国で「狂気」に支配されてしまった人たちが続々と報告されている。長野県では、行員の感染者が確認された長野銀行小諸支店に、何者かが石が投げた。

アメリカ人留学生の女性は、街中で見知らぬ男から「ウイルスを撒き散らしやがって」と恫喝されたことを『スッキリ』(日本テレビ系)で証言している。


また、コロナの院内感染があった京都の堀川病院はもっと深刻だ。「人殺し」「火を付けるぞ」という匿名の脅迫電話が相次ぎ、職員は訪れた飲食店で「うちの店に来ないでください。汚らわしい」などと罵声を浴び、身の危険を感じるような言葉をかけられた人もいるという。

日本は欧米諸国と比べると、ケタ違いに感染者も死者も少ない。にもかかわらず、「最前線で頑張る医療従事者の皆さん、ありがとう!」という思いを帳消しにしてしまうほど、激しい恐怖や不安で我を忘れてしまっている人たちが、世の中にはたくさんいるのだ。


ただ、冷静に考えてみれば、パニックに陥る人が多くなるのも当然かもしれない。

「累計感染者数」は右肩上がりなので、これをワイドショーなどで毎日朝から晩まで見させられると、「昨日より今日、今日より明日」という感じで加速度的に状況が悪化しているような印象を与えてしまう。


人々を実態以上に悲観させてしまうのだ。

断っておくが、今の感染拡大の状況が「大したことではない」などと言いたいわけではない。


全国で新規感染者が増えているのは紛れもない事実なので、各地の医療体制を考慮して、死者や重症患者を出さないために警戒すべきということに対して、全く異論はない。

ただ、そこで「累計」という積み重ねの感染者数をマスコミが使ってしまうと、感染者への差別やイジメを引き起こし、それがひいては感染拡大を悪化させる恐れがある、と申し上げているだけだ。


マスコミが過度に恐怖や不安を煽って、社会に「コロナ差別」が蔓延すると、地域社会から袋叩きにされたくないという気持ちから、コロナの症状があっても隠す人たちが出てくる。

つまり、「感染者」の数を積み上げて大騒ぎをすることは、「注意喚起」どころか、感染者をわかりづらくさせるという「害」にしかならない可能性があるのだ。


・日本経済の実態を煙に巻くGDPの「累計の罠」


それに加えて、筆者がここまで「累計」を問題視するのは、今起きている現実を正しく認識することができず、事態をさらにこじらせてしまうからだ。

日本社会はこれまでも、こうした「累計の罠」にたびたびハマってきた。


わかりやすいのが、日本経済である。

日本人の中には、日本のことを「かつてよりも勢いはなくなったが、まだまだ世界の中ではそれなりの経済大国だ」と思っている人がかなりいる。


その心の拠り所なっているのが、GDP国内総生産)の総額である。

中国に抜かれてしまったが、まだ世界で3位の座をキープしているので、それなりに持ち堪えているという印象なのだ。


ただ、ここに大きな落とし穴がある。

GDP総額は「生産性×人口」という典型的な数字の積み上げなので、人口の多さがアドバンテージになる。


実際、主要先進国GDPランキングの並びは、人口3億2000万人のアメリカ、人口1億2000万人の日本、そして8200万人のドイツという具合に、きれいに人口と比例している。

つまり、すでにピンピンしている人たちを積み上げた「累計感染者」が、今の日本のコロナの感染拡大の実態を表していないのと同じで、1億2000万人という人口を積み上げた「GDP総額」も、日本経済の実態を表していないのだ。


・1人あたりGDPで見ると日本は世界26位という現実


では、その国の経済の実態を知るにはどうすればいいかというと、数の積み上げをやめればいい。

つまり、GDP総額を人口で割った「1人当たりGDP」である。こちらにすると、日本は「世界26位」まで転落する。


「兄貴」くらいに考えていたアメリカは9位とはるか上で、「財政難で医療体制も未熟だ」などと見下していたイタリアが、すぐ隣にいる。

誤解なきように言っておくが、「日本は大した国じゃない」などとディスりたいわけではない。


GDP総額という耳当たりのいい「数の積み上げ」ばかりにしがみついてきたせいで、自分たちが置かれているシビアな現実を正しく認識できなくなってしまっている、という問題を指摘したいだけだ。

日本は労働者の賃金も主要先進国の中でダントツに低く、貧困率も高い。


少子高齢化に歯止めがかからないので、現行の社会保障も破綻するのは目に見えているなど、問題山積だ。

が、今の日本社会にそこまでひっ迫した危機感はない。


どこかに「腐っても、日本は世界3位の経済大国だもんな」という“おごり”のようなものが、まだ多くの日本人の中に残っているので、面倒な問題を先送りにしてしまうのだ。

これこそが、筆者が「累計の罠」と呼ぶものが招く「害」の最たるものである。


そこで気になるのは、いつから我々はこんなにも「数の積み上げ」に執着するようになってしまったのかということだが、個人的にはやはり「戦争」が大きかったのではないかと思っている。

かつて兵士、弾丸、食糧、物資という「数」で戦う戦争を長く続けた際に、官民に「数を積み上げる」という方法論が一気に広まって、いつの間やらそれが目的化してしまったのだ。


当たり前の話だが、戦争というのは「殺し合い」ではなく、領土・領海を守るなどの政治的な目的を達成させるために行われる。

なので、局地的に行われる戦闘も、「前線基地を守る」「制空権を奪う」といった目的を達成することこそが「戦果」となる。


が、戦時中の日本は戦いが長引くうちに、そうした考えがスコーンとどこかへ飛んでいってしまい、敵の戦艦をどれだけ沈めたとか、飛行機をいくつ落としたとかいう「数の積み上げ」が「戦果」になってしまうのだ。


・「数の積み上げ」がよくわかる戦時中の新聞報道


そんな「数の積み上げ=戦争」という空気に日本中が包まれていたことがよくわかるのが、戦時中の読売新聞の「戦果」報道だ。一例を挙げよう。


「敵機撃破1561 事変以来累計1月より5月まで海軍戦果発表」(1939年6月1日)

「本年上期海軍の作戦と輝く戦果 敵機撃破 累計2000余」(1941年6月1日)

「累計370余機屠る ジャワで陸海荒鷲戦果」(1942年2月6日)

「艦船撃沈確実に181 敵20年の豪語 今や水泡 総合戦果累計」(1943年2月14日)

「累計2673機 陸海軍部隊輝く戦果」(1943年7月10日) 


何を勝ち得た、何を守った、ということよりも、「数の積み上げ」に軍部とマスコミがどんどんのめり込んでいることがうかがえよう。

ワイドショーが放映されている時間に合わせ、いかにも「衝撃的な数字です」という雰囲気を漂わせて新規感染者を発表するどこかの首長と、よせばいいのにそれを「速報」で流してグラフをつくって大騒ぎをするマスコミという両者の構図は、実は戦争中にでき上がったのである。


そして、このように彼らが「数の積み上げ」に夢中になればなるほど、国民が不幸になっていく恐れがある、ということを我々は歴史から学ぶことができる。

1945年4月、米軍が沖縄に上陸してから現地では激しい戦闘が行われた。


5月12日、大本営は4月29日から5月7日までの間に、以下のような「累計戦果」を発表した。

「人員殺傷1万2600人 戦車輛坐炎上134輛 各種火砲破壊39門」「撃沈 特設航空母艦 二隻」「撃破 特設航空母艦 三隻」(読売新聞 1945年5月12日)


これを受け、マスコミも一面で大きく取り上げて、「沖縄陸海に敵出血激甚」などという大はしゃぎをした。

しかし、米軍側に多くの血が流れたのは事実だが、実はそれ以上に日本側の被害は甚大だった。


諸説あるが、6月19日に日本軍の組織的抵抗が終わるまで、一般住民約9万4000人、日本兵にも同程度の犠牲者が出たと言われている。


・「経済死」続出の前に、政治家とマスコミは数の積み上げをやめるべき


この悲しい歴史から我々が学ぶべきことはただ1つ。政治家やマスコミが実態とかけ離れた「数の積み上げ」に夢中になっているときは、国民の命が軽んじられている、かなり危ないときであるということだ。

役所とマスコミがタッグを組んで、全国の感染者を積み上げて国民の恐怖と不安を煽っている今は、まさにそのときである。


今のお祭り騒ぎが続けば、「経済活動よりも命の方が大事だ」という自粛ムードが強まって、多くの人たちが路頭に迷う。

「コロナ死」の数どころではない、「経済死」の犠牲者が出てしまう恐れもあるのだ。


マスコミは「日々の感染者数に一喜一憂しないで」と言いながらも、「相次ぐ過去最多」「ついに1000人を超えました」と毎日の感染者数をネタにして、誰よりも盛り上がっている。

戦争を無責任に煽った過去を少しでも悔いているのなら、一刻も早く「感染者数の積み上げ」をやめて、重症者数、死者数の動向を詳細に伝えるようにすべきだ。


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コロナ「感染者数の積み上げ」でパニックを誘発する報道の病理
新型コロナ報道が視聴者の不安を煽る「仕掛け」とは
週刊ダイヤモンド 2020.7.30
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