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■田中角栄はアメリカにハメられた…今明かされる「ロッキード事件」の真相 現代ビジネス 2020.11.15 春名幹男 国際ジャーナリスト


田中角栄アメリカにハメられた…今明かされる「ロッキード事件」の真相

現代ビジネス 2020.11.15

春名幹男 国際ジャーナリスト

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77216


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ロッキード事件は「復讐劇」か


どんな陰謀も「動機」なしに企むことはない。

動機があるから企みを実行する。

動機はしばしば、「怒り」から生じる。怒りは突発的なものであり、時とともに鎮まって、忘れてしまえば、雲散霧消することもあり得る。

だが、怒りは度重なると「憎しみ」となり、さらに「復讐」の動機を生む。

復讐のための陰謀を企むと、「純粋性」を失い、さまざまな計略を考える。

哲学者の三木清は、そんな人間の業を教えてくれる。

ロッキード事件をめぐって、数々の陰謀論が流布している。

しかし、これまでに浮上したどの陰謀説も、動機を立証できていない。

ロッキード疑獄』は第一部で、田中角栄を葬った実行行為を特定し、法執行機関による捜査、刑事的決着までを描いた。

だが、田中角栄はなぜ葬られたのか。

ここでその理由を解明しなければならない。

長年にわたる取材で、実は田中角栄は、日中国交正常化以後、首相在任中の外交課題で繰り返しキッシンジャーらの激しい怒りの対象になっていたことが分かった。

怒りは雲散霧消することなく、憎しみに深化していったとみられる。

キッシンジャーが、田中の外交に復讐していたことも分かった。

その事実は、今に至るも、日本の外務省にもまったく知られていない。

 

アメリ国務長官の恐ろしい謀略


ロッキード事件は、国際政治スキャンダルでもあった。

英語ではこの事件は「スキャンダル」とも呼ばれている。

ここでは、「事件」と「スキャンダル」を分けて考えてみたい。

「事件」の方の動機、例えば贈賄の動機は立証済みであり、ここでは追及しない。

ここで探るのは、政治家としての田中を葬った、国際的な「スキャンダル」の動機である。

田中が“被害者”となったスキャンダルに、殺人事件の捜査手法を当てはめてみたい。

殺人事件の捜査なら、(1)殺害の凶器、(2)殺害の方法、(3)動機について、証拠を認定することが必要不可欠となる。

(1)田中を葬った凶器とは、「Tanaka」もしくは「PM(首相)」などと明記した証拠文書である。

(2)方法とは、その文書を日本側に引き渡し、刑事捜査を可能にした手続き。つまり、「キッシンジャー意見書」と日米司法当局間の文書引き渡し協定だ。文書は、意見書に基づき、米証券取引委員会(SEC)に渡され、日米協定に従い、最終的に東京地検に渡った。

その結果、東京地検による贈収賄罪事件の捜査が可能になった。

キッシンジャーはその際、自ら実行行為に参画したわけではなく、補助的な役割を演じただけだった。

しかし、スキャンダルも、(3)動機が証拠付けられなければ成り立たない。

その動機は、刑事事件の動機ではなく、田中を政治的に葬るという動機である。

既述の通り、(1)を含む文書を(2)が示す方向で、最終的に東京地検に届くよう導く役割を演じたキーマンは、事件発覚時の米国務長官ヘンリー・キッシンジャーだった。

残された課題は、キッシンジャーにどんな「動機」があったのか、なかったのかを確認することである。

 

・「田中外交」への嫌悪感


私とほぼ同じ時期に、米国政府文書を取材していた朝日新聞の奥山俊宏も、キッシンジャーが田中に対して「痛烈な皮肉の言葉を浴びせた」ことを文書で読んでいた。

しかし、発見した文書の数が少なかったせいか、キッシンジャーが田中を嫌った真の理由には到達しなかったようだ。

キッシンジャーの田中への軽蔑の念が少なからず影響した」あるいは「キッシンジャーは、政策ではなく、その人格の側面から田中を蛇蝎のごとく嫌って……」などと、個人的な感情の問題に帰してしまっている。

確かに、キッシンジャー発言には感情的な言葉が多々見られる。

しかし、2人は公人同士であり、政策や外交戦略に絡む対立が出発点で、それに個人的葛藤が付随したのだ。

田中を葬ることにつながる、キッシンジャーの「動機」を示す文書記録は多数残されていた。

対立は「日中国交正常化」から、日本の「中東政策」、「日ソ関係」などの外交分野に広がっていた。


・眠っていた極秘資料


筆者は、ロッキード事件の取材を15年前、まさに「動機」を突き止める作業から始めた。

ある刺激的な秘密文書の存在を、長年の畏友が教えてくれたのがきっかけだった。

「国家安全保障文書館(ナシヨナル・セキユリテイ・アーカイブ)」という、民間調査機関の上級アナリストを務めるウィリアム・バー。2005年10月のことだ。

その前年に、彼のドキュメンタリーがABCテレビ番組「機密解除・ニクソンの中国訪問」で放映され、エミー賞ニュース・ドキュメンタリー調査部門賞を受賞していた。

彼が日本を訪れ、赤坂で食事をした際に、「驚くべき文書を発見した」と明かしてくれた。

その機密文書は翌2006年5月、国家安全保障文書館のホームページにアップされた。

テーマは「ニクソン―フォード政権時代の秘密外交を詳述する2100件のキッシンジャー『会談録』文書」の一つだった。

今も、ネット上の同じページに掲載されている。

筆者をロッキード事件取材に駆り立てたこの文書は、1972年8月31日付で、「トップシークレット/センシティブ/特定アイズオンリー」と指定された「会談録」だ。

「アイズオンリー」とは、配布後に回収される文書で、機密度が非常に高い。

 

キッシンジャーの激しい「怒り」


キッシンジャー大統領補佐官は、その中で、田中角栄とみられる日本人らを烈火の如く「ジャップは上前をはねやがった」と罵っている。

キッシンジャーはなぜ、そんなに怒っていたのか。

「上前をはねた」とは、一体どういう意味なのか。疑問が募った。

この文書こそ、まさにキッシンジャーの激しい「怒り」を示した文書だったのだ。

しかも、田中による日中国交正常化を厳しく非難した言葉だった。

この文書からスタートして、米国立公文書館ニクソン大統領図書館、フォード大統領図書館などで、田中首相在任中の米国の文書を渉猟した。

長年の取材で分かったのは、キッシンジャーニクソン大統領が、政治家田中の外交政策を嫌悪していたことだった。

日中国交正常化」だけではなかった。

第四次中東戦争に伴う石油ショックで、田中は日本外交の軸を「アラブ寄り」に転換し、さらに独自の日ソ外交を進めた。

日ソ外交で、田中は今も知られていない復讐をされていた。

興味深いのは、田中自身を含めて、日本政府側は当時も今も、こうした米側の思考と外交をほとんど認識していないことだ。

ただ、日本の「アラブ寄り外交」への転換について、田中とキッシンジャーは激論を闘わせており、田中も米側の意向を十分理解したに違いない。

三木清ではないが、キッシンジャーの怒りは度重なり、「復讐心」を持つほどのレベルに達していったのである。


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田中角栄アメリカにハメられた…今明かされる「ロッキード事件」の真相
現代ビジネス 2020.11.15
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77216