oonoarashi’s blog

日銀金融緩和で刷られた円の行き先が日本企業でも日本国民でもないカラクリ(Dr.苫米地 2016年9月15日TOKYO MXバラいろダンディ) https://www.youtube.com/watch?v=tvzNqO6qsGI

■自民党の憲法草案を丁寧に読んでみてビックリ、問題は9条以外の部分だった。 2016年10月23日  杉江義浩(ジャーナリスト)

 

自民党憲法草案を丁寧に読んでみてビックリ、問題は9条以外の部分だった。

2016年10月23日  杉江義浩(ジャーナリスト)

http://ysugie.com/archives/5353


~~~

 

はじめに言っておきますが、僕は憲法9条擁護派でもなければ、憲法を改正することに断固反対する考えもありません。

どうせ改正するなら、まともな憲法にしたいと、強く願う国民の一人です。9条に関しては、中学生時代から疑問がありました。

 

「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と書かれているのに、中学生の頭で考えたら「自衛隊があるやんけ、思いっきり戦力やん?」と頭を悩ませたものです。

その時先生はどう説明したか忘れましたが、中学生の僕には納得がいかなかった気がします。

 

なのでちゃんと保有する戦力(自衛隊でも軍でも構わないが)について、スムースに理解できるような文面に書き改めてもらうのは、結構なことだと思います。

それにしても。それにしても、と僕は声を大にして指摘しておきたいのです。

 

現在の自民党が提示している憲法改正草案は、読めば読むほど基本的人権を軽視した、危険極まりない、お粗末なものでした。

この草案は、民主党政権時代に、野党となっていた自民党が、こともあろうに極右団体の日本青年社に作らせたものです。

 

まともな政治家や憲法学者が草案を作ったなら、ここまで酷くはならなかったでしょう。

このあたりの経緯は、坂井万利代さんが書かれた「自民党は何故、野党になったときカルト(愛国)化したのか?」に詳しく書かれています。

 

みなさんも是非とも時間を作って、自民党憲法改正草案をざっと読んでみてください。

再び中学時代の日本国憲法に関する授業の話に戻りますが、戦後の日本国憲法の三大原則とは、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」だと教わりました。

 

テストにも出ました。

日本国憲法とは実に良い原則を持った憲法だと感動したものです。

 

これらの原則が大きく揺るがされようとしている、驚くべき草案が、極右団体日本青年社に作らせた自民党草案なのです。

 

まず、戦後から今まで守ってきた象徴天皇の表現を書き換え、

天皇は、日本国の元首であり、”

と国における地位として「元首」という立場を与えています。象徴天皇というお立場だけで何の問題もなかったのに、これでは「国民主権」の意味が失われ、元首と臣民という関係が発生します。大日本帝国の再来です。

 

「平和主義」については、「第1章 天皇」に続く「第二章 安全保障」と新設された章の中に、カッコ付きでわずかに4行述べられているだけです。

元々はここは「第二章 戦争の放棄」という章でした。

 

すなわち「戦争の放棄」が格下げされ、代わりに「安全保障」が天皇に続く大事な概念として、格上げして述べられています。

安全保障は大切ですが、軍が活動する範囲が問題です。

 

自民党案では、国防軍が活動する範囲について、

“国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、”

と、外国での戦争への参加にまで広げています。

 

第9条を改正するのには僕は賛成だと言いましたが、ここまで積極的に海外へ出て行くように、国防軍憲法で定めるのは「平和主義」から離れて行くような気がします。

と、ここまで述べてきて言うのも何ですが、僕はこの二つはどうでもいいくらいに思っているのです。

 

これから述べる「基本的人権の尊重」を真っ向から否定する、国民の自由や権利を制限することのできるように書き換えられた条文の恐ろしさに比べたら、それほど反対する大きな理由にはならないからです。

僕が発見した恐ろしい条文とは、「第3章 国民の権利及び義務」の中に出てきます。

 

人権を軽視する恐ろしい表現は、微妙な言い回しに出てきます。

国民に対して、現行憲法自民党草案も、「生命、自由及び幸福追求の権利」については、基本的に侵してはならないと定めています。

ところが、例外規定が全く異なるのです。

 

現行憲法では、

“第十二条 ・・・常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う

十三条 ・・・生命、自由及び幸福追求の権利については、公共の福祉に反しない限り”

と、なっています。

 

「公共の福祉」とは、「他のみなさんの幸せ」と言う意味であり、個人の自由や権利は、他の皆さんの幸せを害さない限り、尊重されると言う趣旨です。

それはそうですよね。

 

いくら憲法で権利や自由が保障されているとはいえ、他人に迷惑をかけるような自由は、認められなくて当然です。

ところが自民党憲法改正草案では、「公共の福祉」という文言が、全て「公益と公の秩序」に置き換えられています。

 

自民党草案では、

“第十二条 ・・・常に公益及び公の秩序に反してはならない

十三条 ・・・生命、自由及び幸福追求の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り”

 

「公益」とは何なのか。

代表的なものは「国益」です。

 

「公の秩序」とは何なのか。

簡単にいえば「公権力による秩序」すなわち警察権です。

 

つまり、国益に反するような生命、自由及び幸福追求の権利は認めませんよ。

その時は警察官が取り締まりますよ。という意味になります。

 

国益とは何なのか。

例えば国が戦争に巻き込まれたとしましょう。

 

その時は戦争に勝つことが国益となり、国民は全身全霊で戦争に取り組むのが国益を守ることになります。

その時に戦争に協力しなかったり、それでなくとも戦争に役立たない表現活動をしたりする自由は、公益に反するとして厳しく制限されます。

 

幸福追求の権利も制限されます。

娯楽に興じていては逮捕されます。贅沢は敵だ、の世界です。

 

戦争が始まらなくても、国会前に集まって反戦デモを行おうとすれば、公の秩序を乱したとして、一斉に検挙されるでしょう。

第二次世界大戦の前夜と同じ、表現の自由のない、ファシズムの世の中の再来です。

 

「公益及び公の秩序」は、第二十一条(表現の自由)にも書き加えられています。

 

“第二十一条 集会及び結社言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。”

に続いて自民党案では、

“第二十一条 2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。”

と、付け加えられています。

 

すなわち国益に反する内容と認められたら、それをネットやテレビで発言することも、本にして出版することも、反戦歌を歌うことも禁止されるのです。

ボブ・ディランノーベル賞を取る時代に、何と時代錯誤な条文でしょうか。

 

表現の自由は、国益にそうものしか認められない。

としたらマスコミも大本営発表をそのまま伝えなければならないので、その本来の機能を失うでしょう。

 

ネットの書き込みでも検閲が行われ、反日、と認定されたら削除されてしまうでしょう。

だから僕は自由と基本的人権に関わる部分で、それを制限する文言として「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に置き換える案だけは、認めるわけにはいかないのです。

 

これが自民党草案の最も注目すべきポイントだと思います。

 

・杉江義浩(すぎえよしひろ)

1960年3月15日東京都渋谷区生まれ。大阪府立千里高校、神戸大学文学部心理学専攻卒。「NHKスペシャル」「天才てれびくん」をはじめ、数々の番組に携わる。1994年「週刊こどもニュース」では池上彰とともに番組を立ち上げ、その後8年間にわたり、総合ディレクター、企画ディレクターを担当。2002年から真剣10代しゃべり場」のプロデューサーおよび「ピタゴラスイッチ」「からだであそぼ」などを担当。2008年よりNHKインターナショナルにて、国連CPO10、APECIMF世銀総会等の国際会議においてホストブロードキャスター業務を担当。2017年4月にはNHK文化・福祉番組部にて「Hey! Say! JUMPの昭和にジャンプ」を担当するなど、制作現場の業務も再開している。著書に、「ニュース、みてますか? -プロの『知的視点』が2時間で身につく」- (ワニブックスPLUS新書)。

~~~
自民党憲法草案を丁寧に読んでみてビックリ、問題は9条以外の部分だった。
2016年10月23日  杉江義浩(ジャーナリスト)
http://ysugie.com/archives/5353