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日銀金融緩和で刷られた円の行き先が日本企業でも日本国民でもないカラクリ(Dr.苫米地 2016年9月15日TOKYO MXバラいろダンディ) https://www.youtube.com/watch?v=tvzNqO6qsGI

■追悼・瀬戸内寂聴さん「戦争の悲惨さを知らない」日刊ゲンダイで語った安倍政権の怖さ 日刊ゲンダイ:2021/11/11

 

■追悼・瀬戸内寂聴さん「戦争の悲惨さを知らない」日刊ゲンダイで語った安倍政権の怖さ

日刊ゲンダイ:2021/11/11

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/297303


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文化勲章を受章した作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市内の病院で死去した。

99歳だった。


葬儀は近親者で行う。

後日、東京都内でお別れの会を開く予定。


1922年、徳島市生まれ。東京女子大卒。

56年に作家デビューし、純文学と大衆小説のジャンルをまたいで執筆。


61年には、伝記小説「田村俊子」で田村俊子賞、63年には「夏の終り」で女流文学賞を受賞した。

97年に文化功労者に選ばれ、2006年には文化勲章を受章した。


政治・社会運動にも積極的に関わり、東日本大震災後も現地の慰問や脱原発運動などに奔走。

そんな瀬戸内さんは2014年4月、日刊ゲンダイ本紙の「注目の人直撃インタビュー」に登場。


当時、集団的自衛権の行使容認に突き進む安倍首相に対して、「どうして、あんな元気なんでしょう、あの人は。病気だったんでしょ? もう出てこないと思ったら、とてもいいお薬が見つかったってね。そのお薬の中に興奮剤が入っているんじゃないかしら」と皮肉交じりの持論を展開しつつ、右傾化する政権の「怖さ」についても、こう指摘していた。


「安倍政権の人は、自分たちの祖先はそんな悪いことしてないと思っているのかもしれませんが、しましたよ。朝鮮人を連れてきて、炭鉱でこき使って殺しているじゃないですか。私は北京にいましたから、食べ物まで差別したのを見ています。慰安婦の問題だって、もともとあってはならないことなんですよ」


「戦争を知っている人が安倍政権にはいないじゃないですか。戦争の悲惨さを知らないし、みんな、今の政府での立場を良くしたい。そうしたら、誰も反対しませんわね。あっという間に国って変わるんですよ。特定秘密保護法もとても怖い。戦前、ものを書いちゃいけない、と言われましたが、そこまで行きますよ。同じです」


瀬戸内さんの言葉を今一度噛み締めたい。


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追悼・瀬戸内寂聴さん「戦争の悲惨さを知らない」日刊ゲンダイで語った安倍政権の怖さ
日刊ゲンダイ:2021/11/11
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/297303

 

 

 

 

 

■愛を平和を 寄り添い続け 寂聴さん 原点に戦争体験

山陰中央新報社 2021/11/12

https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/120608


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瀬戸内寂聴さんは「戦争だけは絶対あってはならない」と繰り返し語り、平和の尊さを訴え続けた。

その原点には、母親と祖父を亡くした戦争体験があった。


終戦直前の7月、故郷の徳島市が激しい空襲に見舞われ、2人は防空壕(ごう)で焼け死んだ。

生真面目な母は「日本が空襲されるようになった時は、日本は滅びる時だ」と信じ、逃げようともしなかったという。


戦時中、北京に暮らしていた瀬戸内さんが2人の死を知ったのは、日本への引き揚げ後だった。


瀬戸内さんは「寂庵」(京都市)での毎月の法話の会でも、たびたび反戦を説いた。

2018年の共同通信への寄稿では「釈迦(しゃか)の教えの根本は『殺すなかれ、殺させるなかれ』である。その釈迦の言葉だけを信じて、晩年を生き延びている」と記している。


戦争への怒りは行動でも示した。

1991年の湾岸戦争、2001年の米中枢同時テロとアフガニスタン攻撃の際には、犠牲者の冥福と即時停戦を祈り断食を敢行。


03年のイラク戦争では、反戦を表明する意見広告を自費で新聞に掲載した。

安倍晋三政権(当時)が集団的自衛権の行使容認に突き進んだ14年には、作家の大江健三郎さんやルポライター鎌田慧さんらと共に「戦争をさせない1000人委員会」を立ち上げた。


安全保障関連法案の成立が現実味を帯びた15年にも、国会前での反対集会に参加。

胆のうがんなどの療養後に活動を再開したばかりだったが、「良い戦争はない。戦争は全て人殺しです」と車いすから立ち上がって訴えかけた。


反戦運動に加えて、核兵器廃絶や反原発運動にも積極的に関わり、虐待や性暴力の被害に遭っている女性を支援する全国ネットワーク「若草プロジェクト」の呼び掛け人代表を務めた。

一貫していたのは、国家の横暴によって犠牲になる大衆に寄り添う姿勢だった。


鎌田さんは「すごく行動力のある作家でした」と振り返る。


「遠い声」など社会運動家を題材にした小説群を念頭に、「寂聴さんは当時の左翼の中では〝異端〟で、早い時期から無政府主義者を評価していた。出家して、政治運動に参加するようになる以前から、骨太な政治意識を持っていたのでしょう」と語った。


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愛を平和を 寄り添い続け 寂聴さん 原点に戦争体験
山陰中央新報社 2021/11/12
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/120608