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■日本の「右翼=対米従属、改憲」「左翼=非武装中立、護憲」は世界の非常識? 幻冬舎 2020.08.10 浅羽通明

 

■日本の「右翼=対米従属、改憲」「左翼=非武装中立、護憲」は世界の非常識?

幻冬舎 2020.08.10 浅羽通明

https://www.gentosha.jp/article/16171/

 

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インターネット上で飛び交う、「ネトウヨ」「パヨク」といったワード。

しかし、そもそも「右翼」「左翼」の違いをきちんと理解しているのでしょうか? 

評論家、浅羽通明さんの著書『右翼と左翼』は、フランス革命から現代へといたる歴史をひもときながら、その定義や「ねじれ」を鮮やかに解説した一冊。知らないで使っていると恥ずかしい、「右翼」「左翼」という言葉の本当の意味がわかる本書から、一部をご紹介します。


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・戦後日本の独特な「左右対立」


昭和25(1950)年前後から、戦後日本の「右」「左」は、新しい状況へ入ります。

それはある意味で現在までも続く、戦後日本的な独特の「右─左」対立の始まりでした。

それは一言でいえば、「右─対米従属と再軍備と九条改憲」対「左─中立と非武装と護憲」という対立です。


フランス革命以来、欧米でいう「右」対「左」には、既述のように「武装」対「非武装」という要素はまずありません。

一九世紀以降の、「左翼」=社会主義共産主義を目指す急進派という理解からも、「左翼」が非武装中立を唱える必然は導けません。


ではなぜ、戦後日本に限って、これがほとんど揺るがぬ常識となったのでしょうか。

 

敗戦直後、日本社会党日本共産党は一定の国民的人気と注目を集めました。

しかし、国民が彼らへ寄せた主な期待が、資本主義の社会を革命して、社会主義共産主義を実現してもらおうというところにあったかどうかは、実はよくわかりません。

当時、旧ソ連という「社会主義国」の実態もまだよくわからず、マルクスなどが説く理論は国民一般がよく知るところでもなかったのですから。


とすれば、穏健そうな日本社会党へ投票したかなりの数の有権者たちの裡に、仮に社会主義革命による理想社会のイメージがあったとしても、それは当時より豊かで誰もが飢えない平等な世の中といった程度だったと思われます。


日本共産党には、知識人や学生など青年層の支持が集まりました。

しかしこれだって、マルクス主義共産主義の理想への共鳴ゆえとは限りません。

それ以上に、戦前、敗戦の未来を見抜いて、過酷な弾圧を加えられながらも転向せず、十数年の獄中生活に耐えた共産党員たちの思想的一貫性と道徳的潔癖が、社会党員を含め誰もが何らかの戦争協力者としての古傷を持つ当時、だんとつに輝いていたゆえではなかったでしょうか。


あるいは、他のどの勢力もためらった天皇制打倒の叫びを果敢にもぶち上げたという、徹底性と一貫性、危険な香りも、若い世代には魅力だったでしょう。

 

・米ソ冷戦と平和憲法の空洞化


しかし、社会党共産党や彼らを支持する労組や知識人の魅力は、昭和二十五(一九五〇)年前後を境として、何より「反戦」「平和」「中立」という大看板へ収斂してゆくのです。


こうなった背景にはまず、国際的なアメリカとソ連との対立、すなわち冷戦がありました。

海の向こうでは支那中華人民共和国が成立、やがて朝鮮半島にて、冷戦どころか朝鮮戦争が勃発します。

そんな情勢下、占領軍の日本統治と改革方針は、大きく転換されていったのでした。

いわゆる逆コースの到来です。


当時、ソ連中華人民共和国を賛美し、親密な関係にもあった日本共産党の党員は、新憲法下にもかかわらず公職を追放され(レッドパージ)、日本共産党には占領軍と保守党政府から謀略まで含むさまざまな弾圧が加えられました。

後の破防法へつながる公安条例が各地で制定され、集会やデモが取り締まられます。


逆に、それまで軍国主義者として公職追放となっていた戦前戦中の政治家や軍人が復権し、また後の自衛隊となる警察予備隊アメリカ軍の命令で緊急組織されます。

いわゆる日本の再軍備が始められたのです。


逆コースと呼ばれたこうした諸政策の背景には当然、ソ連中華人民共和国北朝鮮を敵として、熱冷両方の戦争状態へ入ったアメリカが、日本を弱体化した非武装平和国家としてではなく、産業でも軍事でもアメリカの有能な手足となる従属国、同盟国としてゆこうとする戦略がありました。

すなわちアメリカ占領軍によって、日本は否応もなく、西側=資本主義諸国の陣営の一員とされ、東側=社会主義諸国の敵とされたのでした。


思えば、大東亜戦争敗戦直後は、まだ米ソ対立は決定的ではなく、この両大国を中心とする国際連合が、安全保障理事会が組織する国連軍を擁して、どんな国家や勢力からも中立な国際的権力として世界平和を保障する力となってゆく未来がある程度は信じられたのです。


日本国憲法が、前文で「われらの安全と生存を」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「保持しようと決意した」と規定し、ゆえに戦争は放棄し、交戦権と軍備を否定するとする第九条を設けたのも、こうした情勢を考慮するならば、必ずしも観念的な理想論とはいい切れなかったのでした。


しかし、日本国憲法が施行された昭和二十二(一九四七)年、すでにこの情勢は失われていました。

米ソ冷戦は早くも決定的となっていたのです。

世界が二つの陣営に分かれて対峙するに到った以上、日本には、「平和を愛する」と見做したどちらかの陣営へ加わってそれを率いる強国の庇護下に入るか、スイスのように国民皆兵で強力に武装してどちらの陣営からの圧力も撥ね除ける中立路線を堅持するかしか、途はありませんでした。

そして、現にもうアメリカ軍の占領下にあるという既成事実からして、日本人に選択の余地はなかったのです。


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日本の「右翼=対米従属、改憲」「左翼=非武装中立、護憲」は世界の非常識?
幻冬舎 2020.08.10 浅羽通明
https://www.gentosha.jp/article/16171/