■マスコミや専門家はいつまで"コロナ禍"を煽り続けるのか
PRESIDENT Online 2021/06/23 中川 淳一郎
https://president.jp/articles/-/47195?page=1
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この「コロナ禍」はいつになったら終わるのか。
ライター・編集者の中川淳一郎さんは「専門家がテレビなどで語る『コロナは相変わらず危険』『まだ気を緩めるな』といった煽りには本当に辟易している。メディアや専門家は、いつまで国民をビビらせれば気が済むのか」と憤る──。
・国民の行動を著しく制限した専門家たち
いわゆる「専門家」と呼ばれる人々がテレビ番組に出演して私見を述べまくり、それが日本社会全体に多大な影響を及ぼしていく──その不気味さを、1年4カ月に及ぶコロナ禍において、つくづく感じている。
なにしろ、絶大な影響力を持つ民放のテレビ番組に出演する専門家であるとか、政府分科会や東京都のモニタリング会議に登場する専門家、そして各地の医師会のトップらが発言をすることによって、国民の行動が著しく制限されてしまったのだから。
本稿では、世間で「専門家」と目される存在の危うさについて、そして、彼らがメディアに出始めると、なぜ「一方向の論調に寄った発言」をするようになるのかについて考えてみたい。
後者については、私自身が2010年~2013年ごろに経験した実体験も加味しながら解説していこう。
・数字を見れば「騒ぎすぎ」であることがわかる
まず、私自身のスタンスを明確にする。
「専門家こそ、コロナ禍の日本を破壊したA級戦犯。いい加減にしてくれ」
これに尽きる。
この1年4カ月を振り返ると、感染症に関する専門家に対しては本当に怒りしか湧いてこない。
諸外国に比べて、日本は明らかにコロナ関連被害が少ない。
これは当連載だけでなく、各所で私が指摘してきたことだ。
現在、軽くネット検索するだけで、公的機関や専門機関が公表しているコロナ関連のさまざまなデータを容易に入手することができる。
横断的にデータを集めて検証するにはある程度のリテラシーが必要かもしれないが、SNSを少し見回せば、各種データを集約して、事実をわかりやすく示してくれている人々に出会える。
彼らの解説を参考にするのもいいだろう。
たとえば「目覚めてる庶民(自頭2.0)」氏(@Awakend_Citizen)も、ツイッター上でデータ解説を展開し、われわれにわかりやすくファクトを提示してくれている人物のひとりだ。
同氏が集計したデータを見てみよう。補足しておくと、同氏が主に参照しているのは、東洋経済オンラインが公開している「新型コロナウイルス国内感染の状況」だという。
このページは、厚生労働省の報道発表資料を集約し、グラフ化している。
つまり、公的なデータがネタ元ということだ。
同氏が算出した今年6月25日現在の数字を見ると、「コロナにかかってない日本人」は99.98%、「コロナで死んでない日本人」は99.99%で、「現在の重症者/人口」は0.00045%となっている。
重症者の頻度は100万人に4.5人だ。
これに対して同氏は「どこがパンデミック???」と感想を述べている。
私も、完全に同意である。
さらに、発生から518日経過した今年6月16日現在の年代別生存率を示した表では、生存率の合計が99.9906%であると指摘し「ワクチン必要???」と疑問を呈した。
ツイートの本文では〈【個人的な感想】「これを怖いという人、宗教か何かですか?」〉と述べている。
また、青山雅幸衆議院議員も、データに基づいた見解や情報をブログやツイッターで日々発信している。
その他、国会でも新型コロナウイルス感染症対策分科会長の尾身茂氏や文部科学大臣の萩生田光一氏に、感染症対策について建設的な質問をしている。
青山氏は6月16日のブログで次のような意見を述べている。
〈昨日の衆院本会議で立民・枝野党首が内閣不信任案の趣旨説明で最初に強調していたのが新型コロナは「戦後最大の危機」「感染症における歴史的危機」「国家的危機」。野党やマスコミにとっては、コロナは政権攻撃に今や欠かせない切り札、したがって最大級の評価をしているが、その評価は妥当か?みんな見落としているが、日本における新型コロナの特徴は、罹患率が低いこと。もっとも罹患しやすい20代でさえ、1年間でコロナに罹患する確率は1.3%。1年通しで100人に1人しかかからない。リスクが大きくなる70代では0.3%。つまり1年通しで1000人に3人しかかからない〉
さらにこう続ける。
〈人には寿命があり、いくら医学が発達しても死は避けられない。そして、年齢が高くなるごとにその数は増えていく。70代では平成30年に1万人あたり180人が亡くなった。一方、コロナで直近1年間で亡くなった方は1人。80代では平成30年に1万人あたり791人が亡くなったが、コロナで亡くなったのは5人。そのほかの年代では、コロナで亡くなる方は1万人に1人に満たない。これが、枝野氏が言う「戦後最大の危機」「感染症における歴史的危機」「国家的危機」の正体だ〉
・「ウイルスに感染しないこと」が生きる目的になっていないか
日本のメディアや専門家たちは最近、海外のコロナ対策事例としてワクチン接種の進んだイスラエルとイギリスをやたらと称えるようになった。
「日常を取り戻しています!」「繁華街や公園はとてもにぎやかです!」などと報じ、マスクを外している人々の様子を映し出す。
そして、お決まりのように「日本は残念ながらワクチン接種が遅れているので、こうした光景が見られるのはまだ先になりそうです」「マスクをつける、3密を避ける、消毒を欠かさないといった感染症対策を徹底し、これからも自粛を続けましょう」と畳み込む。
さらに専門家は、こうした話題の後に「ワクチン接種が進んでも、引き続きマスクは必要」などと、どこまでも感染症対策を徹底することが大事だと説く。
もはや、ウイルスに感染しないことが人生の目的のようになっているのが、このバカ国家・日本の実情なのだ。
「専門家様のありがたい金言」という体裁でまき散らされる煽動により、国民は権威を疑うことを知らぬ羊の群れのような状況になっている。
だが、冷静に数字を見てほしい。
今年6月15日の陽性者数は、日本が936人でイギリスは7673人だ。
総人口は日本がおよそ1億2600万人で、イギリスはおよそ6700万人。
つまり、ワクチン接種が進んだイギリスであっても、人口比で見れば日本の約15倍も陽性者が発生しているのだ(ただし、死者はここしばらく1日約20人で推移)。
その後、イギリスは6月21日で解除される予定だったロックダウンの4週間延長を決めたが、5月末の段階で日本のメディアがイギリスを礼賛したのは事実である。
・専門家には社会全体を考える頭がない
また、アメリカに目を向けると、もっとも厳格なコロナ対応をおこなっていた州のひとつであるカリフォルニア州が、6月15日をもって制限を解除。
ワクチン接種が完了した人であれば屋外でのマスク着用が原則不要となり、MLB・エンゼルスの試合では3万人超の観客がノーマスクで観戦している。
結局、コロナ禍は国民が「もう終わり!」というマインドになれば、アメリカのように収束させることができる性質のものなのだ。
しかし日本では、今年1月に発出された2回目の緊急事態宣言が3月21日に解除されたと思ったら、4月25日に3回目の緊急事態宣言が発出され、延長を重ねて6月20日まで継続されたあげく、引き続き「まん延防止等重点措置」が適用されることになった。
一体、どれだけビビれば気が済むのか。
こうなってしまうのは、専門家連中が常に「最悪の事態を想定」などと言いながら、国民を煽り続けているからである。
そりゃあ専門家からすれば、感染拡大防止こそが最大の重要事項なのだろう。
だが、彼らには社会全体のことを考える頭がない。
だからこそ彼らは「感染症対策においてヤバいこと」だけにフォーカスした発言を重ねてきたのだ。
あくまでも「感染しないことが人間にとって何よりも大切なこと。そのためにはどんな犠牲を払っても構わない」という前提に立っているのである。
これまで専門家たちが悪者として挙げてきたのは「人流」「酒」「3密」「気の緩み」「会食」「大規模イベント」「会話」「外出」「旅行」など、いずれも人間の生活において重要な営みばかりだ。
にもかかわらず、とにかく「感染拡大防止」を最重要事項に据えたため、これらは「取るに足らないもの」「不要不急」扱いされてしまった。
そして、さらなる恐怖を煽るために使われたのが「エアロゾル感染」「目からもうつる」「後遺症」「感染力の強いイギリス株」「イギリス株とインド株のハイブリッド型のベトナム株」といった期待の新人たちである。
・専門家も政治家も引っ込みがつかなくなっている
こうした専門家の提言をメディアは検証することもなく垂れ流し、次から次へと繰り出される“悪者コンボ”によって、国民の恐怖心を煽り続けた。
そして、そんなビビりまくりの世論を背景に、政治家は場当たりで政策判断を下してきた……というのが現在の日本の情けない状態なのだ。
元内閣官房参与で嘉悦大学教授の高橋洋一氏が述べたとおり、日本の感染状況は諸外国と比べれば「さざ波」レベル。
でも、「大波」と判断したくて仕方がない専門家や政治家は、人々に「とにかく耐えろ」と要求する。
そんなマゾ的状況が、ずーーーっと続いている。
庶民だけでなく、多くの政治家も専門家に洗脳された状態だ。
6月15日の会見で田村憲久厚労大臣は「(飲食店での)酒類の提供と新規感染者数に非常に相関関係があることは間違いない」と発言。
だが、田村氏はまったくデータを見ていない。チラリとは見ているのかもしれないが、正しく理解できていない。ただ、専門家の煽りを真に受けているだけである。
たとえば、東京都のモニタリング会議の資料を見ると、5月25日~5月31日週の陽性経路は多い順に「同居(50.7%)」「施設等(16.3%)」「職場(15.8%)」「会食(5.1%)」「接待を伴う飲食(1.0%)」「その他(11.1%)」となっている。
もしかしたら、専門家は「会食に参加した若者が自宅や職場でウイルスをまき散らしたのです」と田村氏に入れ知恵したのかもしれないが、仮に世間から「その証拠を出せ」とつめられても出せるはずがない。
専門家、そして彼らに煽動された政治家は、もはや引っ込みがつかなくなっているからだ。
・「酒類の提供と新規感染者数は相関する」は本当か
最初の段階で「酒が悪い」「飲食店が悪い」という設定をつくりあげ、営業自粛、アクリル板設置、席の間隔を空けるなど、これまでさまざまな対策を店側に強いてきた。
それだけに「てへっ、従来の悪者設定は間違いでした。本当に悪かったのは家庭と施設でしたね。本当は昨年のうちに『離婚』や『施設からの退去』を皆さんにお願いしておくべきでした♪」なんて言うわけにはいかないのだ。
いまさら当初の設定を変えられないだけなのである。
さらに、もうひとつのデータを見てみよう。
禁酒令を出しまくった東京都の累計陽性率が1.21%なのに対し、私が暮らす佐賀県は0.32%。
およそ4分の1の水準なのだ。
これは、東京都と佐賀県が公開している今年5月1日時点の人口(推計)と、6月22日付けの朝日新聞に掲載されていた感染者数の累計に基づいて算出した数字である。
佐賀でも一時期、飲食店の時短営業が実施されたが、基本的に酒の提供については自由だった。
ハッキリ言って、佐賀の人々は節度を守りつつも店で楽しく酒を飲んでいた。
いくら東京と佐賀では人口密度が違うといっても、それなりに客が入った飲食店の店内は、東京も佐賀も大差ない。
でも、4分の1程度の陽性率なのだ。
この数字はあくまで私が単純計算した参考値に過ぎないが、少なくとも「酒類の提供と新規感染者数には間違いなく相関関係がある」などと断言することはできないだろう。
田村氏は小学3年生レベルの算数さえできないのか。
もっとも、ここを突っ込んだとしても田村氏は恐らく「専門家ガー!」と逃げを打つのだろうが。
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「まだ気を緩めるな」マスコミや専門家はいつまで"コロナ禍"を煽り続けるのか
PRESIDENT Online 2021/06/23 中川 淳一郎
https://president.jp/articles/-/47195?page=1
■テレビのコロナ報道「煽りすぎ」“危機感をあおる”テレビ報道
東洋経済 2021/01/14 村上和彦 : TVプロデューサー、京都芸術大学客員教授
https://toyokeizai.net/articles/-/403496
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東京と神奈川・千葉・埼玉の1都3県に再び緊急事態宣言が発令された。
この二度目の宣言に関して各報道機関やSNSでは、さまざまな意見が飛び交っている。
「遅すぎた」「罰則規定も入れるべき」というものもあれば「飲食店への狙い撃ちには疑問」「実効性はあるのか?」というような声もある。
また日本医師会などによる「医療崩壊の危機」「すでに崩壊は起きている」という見解もある一方で、「『崩壊』は大げさだ」「新型コロナの患者を受け入れない医療機関が数多くある」という指摘も存在する。
またGoToキャンペーンに関しても「GoToが感染拡大の元凶なので中止すべき」という意見と「旅行・飲食業界など経済を回すには必要」と言う意見の双方が見られる。
それぞれ前者にも後者にも一定の論拠はあり、ここではそれぞれの「どちらが正しいか」は問わない。
・“危機感をあおる”テレビ報道が目立つ
そんな中で、目立つのはテレビのワイドショーなど情報番組による「遅すぎた」「医療は崩壊の危機」といった〝危機感をあおる系統〟の報道だ。
そして「テレビがあおっている」という指摘も目にすることが増えている。
この危機をあおりがちな傾向は、新型コロナウイルスの感染が拡大しつつあった昨年の春からすでに始まっていた。
感染症の専門家が次々と画面に登場しては「クルーズ船の感染対策はまるでなっていない」「日本の対応は各国に比べて後手すぎる」と、新型コロナへの〝恐怖感〟を伝えながら政府・自治体などへの批判を繰り広げた。
そして「PCR検査を!」「なぜすぐにPCR検査検査が受けられないのか?」という「PCR問題」にスタジオトークで多くの時間を割いた。
苦渋の表情で悲観的な観測をする〝専門家〟が重宝されて、連日番組に登場したのである。
それらは、少々不謹慎な表現をすれば「コロナバブル」だった。
視聴者は不安・恐怖心から「コロナネタ」を熱心に見てくれる。
外出が怖いので家にいてテレビを見る機会も通常よりは増えている。
つまり、コロナを扱えば扱うほど「視聴率」が取れたのである。
昨年春頃の、これらの放送がまったく役に立たなかったとは思わない。
この時期の放送内容で新型コロナへの「向き合い方」を理解していった視聴者も多かったことだろう。
一方で、一連のコロナ報道によって別の大きな問題もあらわになってきた。
それは、視聴者の「分断」である。
午前中の情報番組・ワイドショーを見ているのは、在宅の女性と高齢者がメインである。
とくに高齢者にとっては、コロナウイルス感染による死亡率が高いため、「怖い」という感情が強い。
それゆえに「感染者数は今後どうなる」「医療体制は大丈夫か」という情報を追い求める。
彼らにとっては「自らの命」が心配で仕方がないのだ。
政府や都道府県などの「お上」に対しても、感染への対応を強く求めていくようになる。
・高齢視聴者が多い番組ほど不安に応えるように
そこで多くの高齢者に見られているテレビ番組は、そんな高齢者の「不安」に応えるような番組作りを行っていく。
高齢視聴者が多い番組ほど、その〝期待〟に応えている。
「このままだと感染者激増」「医療崩壊の危機」「PCR検査をなぜ受けられないのか」と、高齢者の不安を〝代弁〟するような形の放送を行っていく。
「試聴者のみなさん、不安ですよね。検査受けられないのはオカシイですよね」
「出歩いたりすると感染者数が増えて、医療が崩壊します」
「年配の方は感染したら即、命が危ないです。でもこれだけ若い人は遊んでいます」
「それなのに政府は何をやっているのでしょう?」
視聴者の心理は不思議なもので自らの「不安」を形にして放送してくれると、それを見ることで「みんな一緒で、みんな不安なんだ」と安心(?)するようなところがある。
テレビによる一種の「共感力」なのであろう。
検査体制の不備や、政府の対応などは、もちろん批判をされて当然である。
その一方で高齢者をターゲットにしたテレビ番組が、コロナへの恐怖を結果的に〝あおった〟側面は否定できないだろう。
とくに60代以上の高齢者の中には「情報源はテレビだけ」というケースも少なくない。
スマホやパソコンを使う人は主流でなく、ネットの情報をいっさい目にしない高齢者もいる。
そして新聞も、テレビ欄を見るくらいで中の記事を精読する高齢者は少数派だろう。
高齢者が「コロナへの恐怖心」からテレビを見ると、そこでは自ら共感できる内容を放送している。
こうして歪んだ共感力によってコロナをあおったテレビ番組は高い視聴率を獲得していったのである。
その番組内容や出演者のコメントなどがネットニュースでも数多く取り上げられた。
ネットユーザーはそうしたテレビ番組の視聴者のように高齢者が多数ではない。
自らネットで、さまざまな視点からの情報を集めているケースも多い(その情報の正確性や、集めるユーザーの視点が正しいかどうかは別として、である)。
ネットユーザーから見ると高齢者向け番組の内容は、「情報へのアクセス力が弱い高齢者に対して」「いたずらにコロナの恐怖をあおっている」ように見えてしまう。
・テレビを見ない人が高齢者向け番組に反発
そしてそのような内容を放送する番組とテレビ局に対して反発を覚える。
同時にそのような内容を「テレビがそう言っていたから……」と〝鵜呑み〟にしてしまう視聴者=高齢者層に対してもネガティブな感情を持ってしまうのである。
コロナ禍で会社の業績が落ちて給料が減った人、さらに仕事を失った人もいる。
感染を避けるためにマスクをして、混雑している電車に乗って仕事にいく。
「コロナとどのように共存して、生活を成り立たせるのか」
朝の時間帯にテレビを見ない人が、高齢者向け番組の内容をネットで知り反発する。
一方の高齢者はネットを見ないので、自分たちがネットユーザーにどのように思われているかを知ることはない。
このように昨年来の「コロナバブル」は、高齢者向けの番組にとっては高視聴率という〝成果〟をもたらしたが、一方で番組を見ない層との間に「分断」を引き起こしたのだ。
テレビ局はもともと「ターゲット」を想定して番組を供給してきた。
若者向けの音楽番組やバラエティー、子供向けのアニメ、高齢者向けの時代劇……。
高齢者向けの情報番組に反発する年代も、夜には楽しんでいる番組があるだろう。
そして朝の情報番組も「スッキリ」と「モーニングショー」のように一見同じジャンルながらも、それぞれ違うターゲットで競い合ってきた。
それは、あくまで年代や興味の対象といったライフスタイルや興味での「棲み分け」にすぎなかった。
しかしコロナバブルによって、朝の情報番組を見る高齢者と、見ない年代は双方が「理解し合えない」ことが一気に増えてしまった。
従来の「棲み分け」が、今回のコロナバブルによって急速に「分断」へと転化したのである。
アメリカでは大統領選後も、トランプ氏支持者とバイデン氏支持者の間で強い「分断」が起きている。
・分断の修復はすぐには難しい
日本のコロナバブルによる「分断」は、それとは性質が異なるが、アメリカの分断は当分の間、修復が難しいであろうことを考えると、事態は容易ではないと考えるべきではないだろうか。
テレビの制作者、とくに「コロナ報道」に関しては、自らが作る番組の内容が視聴者の「分断」を招きかねない、すでに招いているということを強く肝に銘じる必要があるだろう。
私自身、いまも報道情報番組に携わる立場として、必要以上にあおらず、フェアに伝えることを自らに課していきたいと思っている。
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テレビのコロナ報道「煽りすぎ」招く深刻な分断~高齢者向けに視聴率獲得も「見ない層」は反発~
東洋経済 2021/01/14 村上 和彦 : TVプロデューサー、京都芸術大学客員教授
https://toyokeizai.net/articles/-/403496
■現役医師「恐怖を煽るテレビを消して、私たちは外に出よう」 11年前の新型インフルと状況は同じ
PRESIDENT Online 2020/08/18
大和田潔(医師:東京医科歯科大学臨床教授を経て、あきはばら駅クリニック院長(現職)。頭痛専門医、神経内科専門医、総合内科専門医、米国内科学会会員、医学博士)
https://president.jp/articles/-/37981?page=1
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・私たちは、何と闘っているのか
「玄関先に“中傷”するビラ 青森の実家に帰省」といった報道がなされ、札幌ナンバーが北海道の他地域で忌避されるという話を、親戚や出張されている方から伺いました。
「相互監視と嫌がらせ」は、どんどん自分の心を貧しく卑しくするだけです。
メディアが植え付けた恐怖による過剰防衛を和らげる必要性を痛感しています。
松江のサッカー部のクラスターでは、校長先生が謝罪会見をしました。
そもそも完全に防衛などできないウイルス性疾患では謝罪は不要で、対応すれば済む話です。
新型インフルエンザで学級閉鎖になっても、校長先生は頭を下げたりしません。
コロナウイルス災害による、旅客運送業のバス会社の苦闘が再放送されていました。
私は、複雑な気持ちで番組を拝見していました。
一つは、ひたむきに仕事を存続させ雇用を守ろうとする社長と社員さんに対する共感。
もう一つは、「私たちは何と闘っているのか」という疑問でした。
国民同士がパニックになって狭い範囲でいがみ合うことは判断を誤り自滅につながります。
日本は、コロナ被害が少なかった数少ない国として世界の連帯を再構築する立役者になり、これからの新しい世界の形を作っていくべきです。
進路を誤らないようにしましょう。
・コロナで「自己責任」は間違っている
私たちは、自分のことは自分でするように育てられます。
自己責任という便利な言葉もあります。
でも、トレーニングの意味を持たない「運動部のしごき」を強要されてケガをしても「自己責任」なのでしょうか。
部活動のように国民全員の連帯責任と言われて、逃げられない状況にさせる方法論も誤りです。
私は、コラムでメディアがどのような方法で私たちに恐怖を上手に与え、不安を継続させてきたかお伝えしてきました。
それは、私たち全員が持っている、人間としての心のバイアスをうまく利用したものでした。
よくわからない補助金もたくさん使われました。
新型コロナウイルスで東京に数百人、日本で千人程度の人が陽性になったと報道されても街中を肺炎の人を運ぶ救急車であふれることはありません。
倍でも一緒です。
勘の良い方なら皆うすうす感じていたように、状況は最初から日本は日本のコロナを考えればよかったのです。
メディアやコメンテーターがさかんに喧伝したことと、現実世界のファクトの乖離はご覧の通りです。
このままでは日本が新しい世界構図の構築に貢献するビジョンを阻害し、大きなブレーキになっている点は看過できない問題点です。
・日本の入院死亡率は世界より格段に低い
「重症者は増減していますが海外に比べると大変に少ない」、「検査対象を数千にしてもPCRの95%以上は陰性です」、「重症者は増えていません」、「十分ではないのですが国産治療薬の候補があります」、「子供たちに陽性者が複数判明しましたがほとんど無症状で元気です」「地方都市に散発しているので、汚染地区から飛び火したわけではありません」「新しく専門病院を作りましたので医療の交通整理がなされる予定です」と、私たちに語りかけることもできるのです。
8月の今になって「日本の入院死亡率は世界より格段に低い」と小さく報告されましたが、「ただ、初の患者が出てから今回の全体像把握までに約7カ月かかり、米国や中国の約2カ月に比べて(筆者註:5カ月も)遅い」とのこと。
日本では死亡率が格段に低いと5カ月前の3月に大きく報道されていたら、国民の不安も減り救われた企業はたくさんあったことでしょう。
バス会社の社長さんの苦労も減ったに違いありません。
まだ報じられていない良い情報が他にもあるかもしれません。
発展途上国でも使えるイベルメクチンは、米国を含む多くの国で単独もしくは複合剤で治験に入っていることは見事にスルーされています。
国内のアビガンの治験がやっと軌道に乗ったことが8月に入り報道されました。
日本では治験や治療薬、医療機関のインフラ整備など積極策については非常に消極的な反面、ネガティブな報道と自粛要請圧力と精神論には力が注がれています。
・現在の日本は「コロナ流行」の最善の最終形態
たとえば東京は1日に8000件PCRを施行できますが、1日に90件しかできない県もあります。
検査数に比例して判明数が多い東京だけが汚染されているわけではありません。
沖縄も、検査数を増やしたら東京とほぼ同じ4~5%のPCR陽性率でした。
「他の県にも広がり始めて第2波が始まった」「他県も東京のように汚染される」「都心からコロナがやってくる」「日本は封じ込めに失敗した」「重症者が増加」「一度かかると後遺症がひどいから失敗は許されない」「だから自粛継続を」と恐怖をあおる報道がこれからなされるかもしれません。
予想がつきますので、メディアに踊らされることが無いよう、引き続き先手を打ってお伝えしておきます。
実は現在の日本の形が、世界中のどの国にとってもコロナウイルス流行の最善の最終形態だと思っています。
希望のもとに上昇気流にのるための処方箋の一つを示したいと思います。
まず私が、今起きていることに既視感(deja-vu、デジャヴ)を覚えていることからお伝えします。
・「新型インフルエンザ」の状況にそっくり
私は、商用ではない、患者さんや社会のためになる情報の無料ブログを続け、15年間になります。
11年前のブログの一部を以下に引用します(一部改変)。
現在の状況にそっくりなことに、皆さんも驚かれると思います。
読み返すまで忘れていたので、私も驚きました。
・・・
大切なことは、新型インフルを季節性インフルとそれほど分けて考える必要があるか否かということです。
毎年、季節性インフルが流行り何万人もの方が罹患します。
これからも、全例に多大なコストをかけて遺伝子検査をして、新型インフルであるか否かの調査をする必要があるのでしょうか。
まだ明らかになってはいませんが、新型インフルは強毒性ではないようです。
さらに、通常の治療で回復する疾患のようです。
私は、A型インフルエンザと診断された患者さん全てに遺伝子検査をする必要性は無いと考えています。
遺伝子検査を十分行っていないからといって、首都圏でバタバタと人が倒れていっているわけでもありません。
まんえん期に入り、散発的に新型インフルが季節性インフルに混じって発生するような場合、発熱外来のような対応は適切ではないと考えられます。
すでに世の中に新型インフルがまんえんしているのに、発症してもいない人を社会から隔離して何の意味があるのでしょう。
つまり、新型強毒性ウイルスに対する対策を新型インフルにそのまま採用したことが過ちのひとつで、過剰過ぎてしまったともいえます。
さらに、それでも、食い止めることもできずに、まんえんしている。
現場では、私たちはあまり病に倒れることもなく社会活動を行えている。
メディアの操作も人々の混乱も、おどろくほど変わらないものです。
・歴史は繰り返す、今が「終了形」だ
実際をきちんとわきまえないで、「新型=隔離」、「新型=遺伝子検査」といったステレオタイプな対応しかしないから混乱が起きているのです。
大切なことはひとつ。今のところ、新型インフルは、いつものインフルエンザと同じで大丈夫なようだ。
だから、季節性のインフルと同じように予防して、同じように治療すればよい。ということです。
恐ろしい何者かが迫っているような報道は自粛すべきです。
落ち着いて、毎年の冬にやっているようなことを今年は夏にもすれば良いだけ、ということを報道すべきです。
通常のインフルが流行っている時期にも、マスクで予防していない人がほとんどでしょう。
マスク売り切れもナンセンスです。
疫学的にやりたいことや理論的に正しいこと、が、実際の現場で正しいとは限らない。
全例PCR(遺伝子検査)の方針はもう止めることです。
首都圏でも既に混じっているでしょうから。
・・・
いかがでしたか?
その後、新型インフルは騒がれなくなり日常化して忘れ去られていきました。
皆さんにも、新型コロナの未来が見えてきませんか?
2009年5月21日の記載なので、時期もソックリです。
現在の形が、実は終了形なのです。
恐怖の継続のためかインフルとコロナは違うと言われますが、同じウイルス性呼吸器疾患なので似た点の方が多いのです。
当時、私は新聞のコラムでも新型インフルのソーシャルディスタンスや重症化について繰り返しお伝えしていました。同じです。
歴史は繰り返します。
そして、「一度目は悲劇として、二度目は、喜劇として」にならないようにしましょう。
・「複数の医師が議論する番組」がない
コメンテーターが無責任に好き勝手に発言を繰り返すTVプログラムはあっても、様々な医療者が責任を持って国民の未来について建設的な激論を円卓で戦わせる映像を見たことがありますか?
面白いことに、一つの番組に専門家として登場する医師は、番組の趣旨に沿った1名だけの場合がほとんどです。
異なる意見の複数医師が隣り合わすことはありません。
皆さんも不思議に思いませんか?
ガン治療の際、その人の命がもちろん一番ですが、仕事や家族の事も考えて相談して治療方法を決めます。
良い医師は「病気を見て人を見ず」なんてことはしません。
患者さんのためを思って異なる意見の医師たちが、治療方法について議論を戦わすことが日常風景です。
考え方の多様性がリスクを減らすからです。
・全体主義と相互監視の恐怖を感じる
私は、コロナウイルスの見方に多様性が無い状況を危惧していました。
未知のウイルスなので、世の中に詳しい人は1人もいない。
だから、とりあえずよく知っている専門家の意見にツベコベいわず従いましょう、守らない人がいると感染が増えるから相互監視も強化しましょう、そういうことだったと思います。
自粛警察もマスク警察も、他県ナンバー狩りも、感染者の家への投石も根っこは一緒です。
他の医療者が黙ってしまい過剰防衛したのもそのためかもしれません。
私は、ウイルス自体にはではなく全体主義と相互監視強化の恐怖を感じていました。
この二つは、ユートピアと反対の絶望的な社会ディストピアの源泉です。
映画『1984』や『未来世紀ブラジル』などで、繰り返し描かれているのでご存知の方も多いでしょう。
ウイルス自体による影響は、11年前のブログの状況とほとんど変わりません。
異なっているのは、メディアの手法などが洗練されたことです。
人間の心理バイアスを巧妙に利用しています。
実際は新型インフルと共通の点が多かったにもかかわらず、絶望を与えるディストピア化をどのように後押しされたのか学ぶことが重要です。
・コロコロ言うことが変わるメディアの無責任
メディアは無責任にウイルスの毒性が弱まったとも言いだしました。
新型コロナウイルスは、人工ウイルスになったり強毒になったり弱毒化したり忙しいウイルスです。
今になって、「ウイルスが刻々と変化しているのでTV出演して説明してくれませんか」などという出演依頼がいくつか来ました。
何を戯事たわごとを言っているのでしょう。
新型コロナウイルスは、最初から今も何も変わっていません。
現在、陽性者は5万人を突破しています。
予定では夏でも強毒で少なくとも2割が重症化して何万人も瀕死の状態のはずだったと思います。
どうなってしまったのでしょう。
沖縄での流行が報道されていますが、その数百人、一人ひとりの沖縄までの経路を報道しなくて良いのですか?
最初メディアは個人の路線特定など詳細に公開すべきと主張していました。
こうなることを半年以上前の2月から予見し、忘れないように記録を続けました。
様々なことが、どれだけ放言されているか理解できるでしょう。
・「正しい情報をもとに我慢して粘り強く頑張りましょう」と言いたい
末端の弱い個人やお店を追いつめる一方で、スウェーデンの疫学責任者アンデシュ・テグネル氏や米ニューヨーク州のクオモ知事のような、未来のどうなるかわからないことにも責任を取る覚悟をした統一された指揮者は、日本には最初から不在でした。
記録は破棄され、チームは解散しました。
冒頭のバス会社の社長さんや国民は、この状況と戦っていたのです。
お店を閉めた老舗の店主の方、甲子園やインターハイが中止され、休校になった学生、ウイルスを持っていないのに地元に帰れない都民……皆同じです。
不条理の極みです。
私は最初から「正しい情報をもとに我慢して粘り強く頑張りましょう」と凍える人々を毎日励まし続けました。
冷たい波を一緒にかぶりながら周りの人々を励まし、泳ぎつづけました。
そして、6月から凪がやってきました。
恐怖を与えず、もっと外に出るべきだったと思います。
これからは、美しい外の風景を楽しみましょう。
・「守りの自粛」だけでは負けてしまう
受け身の検査に過ぎないPCR、抗体検査や自粛は、問題を解決しないことは自明です。
米国感染症研究所のファウチ所長はワクチンの有効性を50%ほどだろうと予測していますが、登場すれば安心につながるでしょう。
日本用のワクチン確保の報道も少しだけ流れました。
最初中国やアジアで起きて日本で起きていることを観察して洞察した私の予想を、補佐する論が報告されるようになりました。
心強いかぎりです。
けれども「検査を拡充したら、ワクチンが出たら、治療薬が出たら」と結論を先延ばししてはいけません。
失点ゼロでも自ら得点しないかぎり、良くても引き分けの敗北パターンです。
要は心の持ちようです。
新型コロナウイルスは、遺伝子RNAと殻しか持たない弱い物質です。
細胞内だけでしか増殖できません。
自然界のものに付着しても短期間で壊れてしまいます。
細菌のように、自然物をエサにして自己増殖することもできません。
真夏の日光も浴びたいし、秋には涼しい高原を歩きたいものです。
外で友達と元気に遊んだりスポーツしたりする子供たちの姿を眺めつつ弁当を食べることは、平和な国ならではの至福の一つです。
公園の芝生にウイルスはいません、外に出て自分で得点を重ねていきましょう。
私は、流行は6月から10月初旬まで小康状態だろうと予想しています。
まんえん期では、クラスターと呼ばれるものも調査拡大による陽性者の判明にすぎず重症者は少ないものです。
・日本人は何をするにも真面目すぎる
そうは言っても、高齢で持病もあるし……と思われる方も多いでしょう。
当面、それで良いと思います。
不安な間は、無理をしなくて良いでしょう。
ただ心に余裕を作り、正しく判断する気持ちを育てておきましょう。
日本人は、何をするにも真面目すぎます。
真面目さが清潔と整頓を生んでいるのですが、行き過ぎはよくありません。
他人がみんなウイルスのカタマリに見えてしまいます。
新型コロナウイルスは、ここかしこに薄く広がりつつも悪さはしていません。
私たちの体には細菌もウイルスも常在しています。
コロナの話題になるたびテレビを消していたら、元気に生活できるようになりました! とおっしゃってくれる患者さんが増えています。
テレビを消しても、見逃して損してしまうことはありません。
それよりも、息を整え自分の思考を自分の手に取り戻しましょう。
夏や秋の早朝の体操や散歩は、気持ちのよいものです。
外に出て、散歩しながら樹々を眺めて自分の頭で思索しましょう。
夏の今、流行は凪状態なので安心して熱中症に気をつけて散歩などをすればフレイル(年齢を重ねて虚弱になること)と心肺能力低下の予防にもなります。
冬にワクチンや治療薬が出たら、追加の安心になると考えましょう。
心に遊びや余裕を作って希望をはぐくむ気の持ちようが、正しい判断をしたり活き活きとした生活を送ったりする処方箋になります。
恐怖に追いつめられると他者に自分の人生を乗っ取られて、判断を誤ります。
コロナ災害は数十兆円かけた一つの勉強でした。
それを飛躍につながる先行投資に変えていくビジョンが大切です。
一人ひとりが元気になりさえすれば、経済活動も自然に浮上してきます。
心に余裕が生まれれば、日本の国際的な新しいやるべき役割にも目を配ることができるようになるでしょう。
私は、そう願っています。
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現役医師「恐怖を煽るテレビを消して、私たちは外に出よう」11年前の新型インフルと状況は同じ
PRESIDENT Online 2020/08/18
大和田潔(医学博士)
https://president.jp/articles/-/37981?page=1
【日本唯一の公共放送NHKを守れ!】
■民放各社は米国に乗っ取られているのか
「民放各社大株主に米国系の投資ファンドが名を連ねている」
・外国人株主比率は日テレ22%、フジ約30%
「テレビ朝日が12.7%、TBSは13.34%」
日刊ゲンダイ 2015/11/09
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/168954
■報道自由度、日本は4つ下げ71位に 国境なき記者団
日本経済新聞 2022年5月3日
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF031WY0T00C22A5000000/
■「武力を使わない情報戦争」の真っただ中にある日本は大丈夫か
ZAKZAK(産経デジタル)2015.11.07 ケント・ギルバート
https://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20151107/dms1511071000003-n1.htm