■なぜ日本は壊れていったのか…「ロッキード・リクルート事件」の真相
現代ビジネス(講談社)2021.03.23
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81104
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592ページにも及ぶ超弩級ノンフィクション『ロッキード』(文藝春秋刊)著者・真山仁氏と、リクルート創業者江副浩正の真の姿を描き切った『起業の天才!』(東洋経済新報社刊)著者・大西康之氏の特別対談後編。
なぜ「ありえない」ことが次々と起きたのか?
語られざる「ロッキード・リクルート事件」の真相から、この国のかたちと難題が見えてくる。
・検察との仁義なき攻防
真山 ロッキード事件は、目白の大豪邸に住み、金権政治でのしあがった総理大臣・田中角栄を追い詰めた特捜検察の執念が実を結んだ事件でもありました。それを世論が後押ししたという背景も見えてきます。
大西 リクルート事件も、「未公開株」を政治家に配った「成り上がり」江副浩正への憎悪の世論が特捜部の捜査や裁判を後押ししました。しかし、どちらも裁判で有罪判決がくだされながら(田中は一審、控訴審で有罪、最高裁の審理中死亡により公訴棄却。江副は一審、検察と江副双方控訴せず有罪確定)、冤罪だという見方が根強くあります。
真山 ロッキード事件には、ざっくり言えば、大物フィクサーの児玉誉士夫が21億円を受領したという「児玉ルート」と全日空が買った大型のジェット旅客機「トライスター」をめぐる「丸紅(まるべに)ルート」があります。児玉ルートで火がついたロッキード事件は、丸紅ルートで角栄に襲い掛かってきました。
1976年7月27日、田中角栄は東京地検特捜部に逮捕されます。総理在任中に、総合商社の丸紅を通じてロッキードから同社のトライスターを全日空に導入させる見返りの賄賂として、5億円の現金を受け取ったという容疑でした。検察は受託収賄罪で起訴し、東京地裁は検察の主張を認めて有罪とします。
しかし、この裁判には不可解な点がたくさんあった。
民間企業の機材の選定に総理が口出す権限などありません。たしかに当時の航空会社は、監督官庁の運輸省(現・国土交通省)の強力な権限のもとにありましたので、運輸大臣に賄賂を贈って口利きをさせたというのならわからなくもない。ロッキードの裁判では、検察も裁判所もその運輸大臣を総理大臣は指揮監督する権限があったとして角栄を有罪にしましたが、もし総理にそのような職務権限があるとされれば、総理は国政のありとあらゆる業務に対して職務権限があることになる。これは法をあまりに拡大解釈しています。実際に、こうした批判は少数ながら当時からありましたが、角栄バッシングの猛威の中で封殺されていきました。
大西 そもそも角栄がロッキードから5億円をもらう理由についても、腑に落ちない点があります。
真山 そうなんです。元毎日新聞の政治記者、西山太吉さんは「5億円なんちゅうのは角栄にとっては、はした金だ」と言っていました。また角栄にほれ込んだ通産官僚の小長啓一さんも「5億円のようなはした金を、外国人からもらうなんてありえない、と田中さんが繰り返していた」と言うのです。
庶民から見れば大金ですが、西山さんが担当していた宏池会(現在の麻生派や岸田派の源流)では財界への電話一本で億単位のカネを集金したという当時の政治背景を考えれば、この程度の献金は当たり前でした。つまり5億円は丸紅からの単なる献金で、ロッキードからの賄賂ではなかったという見方は充分に成立します。
検察の起訴状によれば丸紅からの金銭授受は、英国大使館裏の路上やホテルオークラの駐車場などで白昼堂々と行われています。やましいカネなら料亭でこっそりやるはずなのに。検察が主張したカネを運んだルートも実際に現場検証をしましたが、不可解なことだらけでした。
大西 角栄にはロッキードの要請に応じて、トライスターを全日空に導入させて、その見返りに5億円をもらうという動機そのものが見当たらないわけですね。
リクルート事件でも上場を目前としていたリクルートコスモスの未公開株を政治家や経営者に配ったと言っても、株を買ってもらったわけです。未公開株を買った人たちは、上場後に株が上がれば儲かりますが、下がって損をするリスクも負っているわけです。社会的信用力のある政治家や財界人に未公開株を引き受けてもらうということは、経済界の常識でしたし、上場を担当する証券会社では当たり前のように行われてきたこと。しかも江副は政財界の全方位的に配っていて、特定の誰かに便宜を図ってもらおうとする意図があったようには見えません。
当時はバブル経済の真っ盛り。リクルートは川崎の再開発地にビルを建てました。そのときリクルートの交渉相手だった川崎市の副市長が、リクルートコスモスの未公開株を同じリクルートのノンバンクからおカネを融資してもらって買い、上場後すぐに値上がりしたその株を売って売却益一億円を得た。それを報じた朝日新聞のスクープ記事によって、リクルート追及報道に火がついたのですが、この川崎市のケースは、警察も検察も、立件できないとして見送っていたんです。
ところが朝日新聞はこの報道を皮切りに、森喜朗をはじめとして、安倍晋太郎、竹下登、中曽根康弘らが未公開株を貰ったことを次々と暴いていった。特別な地位にいるだけで、「ぬれ手でアワ」でおカネを手にした政財官の要人たちへの怒りが燎原の火のように広がりました。その世論をフォローの風にして、東京地検は江副を逮捕、取り調べをしますが、そもそも贈収賄の見立てには無理がある。
検察のシナリオに沿った罪の自白をするまで土下座を強要したり、長時間壁に向かって立たせたりする戦前の特高まがいの取り調べや不当な長期に及ぶ勾留は、その後問題視されますが、当時は検察のやりたい放題。
頭に浮かんだのは、つかこうへいさんの小説「熱海殺人事件」です。ショボい事件を大犯罪に仕立てていくために犯人に自白を強要していく物語ですが、主人公の部長刑事は「凶器は浴衣の腰ひもです」と供述する犯人に「そんなショボい凶器で、国民が納得するか」と事件を脚色していく。これはフィクションのなかだけの話だと思っていたら、現実でも同じでした。
真山 検事の中にも「未公開株は賄賂ではない」「あれを賄賂認定するのはダメだよ」という人もいるくらい、あの事件の検察の捜査はひどかった。いまの若い検事にはロッキード事件を否定的に捉える人は少なくありません。それでも一定以上の年齢の検事になると、ロッキードは政界中枢にメスを入れた特捜検察の金字塔なのです。ロッキード事件の不可解さを尋ねても、「あの事件は優れたブツ読みがされている」と。証拠(ブツ)が本物かどうかは別にしても入手したブツから積み上げて、ロジックをしっかり詰めているというわけです。
ロッキードの主任検事は今でも特捜検事の神話となっている吉永祐介。そして後にリクルートで主任検事となる宗像紀夫さんも丸紅ルートの公判検事を務めました。突破力のある吉永がロッキード事件の主任検事だったことは、角栄にとって不運なめぐりあわせでした。
ロッキード事件の検察の主張のおかしさを宗像さんに尋ねると、「それは裁判所が決めることだ」と言うのです。検察はブツとロジックを積み上げて罪の可能性を追求するのが任務であって、有罪か無実かを決めるのは裁判所。有罪率が99%に迫る日本で、我々は立件する検察こそが有罪を決定づけているのではないかと思いますが、彼らの理屈はこうなのです。しかし、それは制度としては正しい理屈でもある。
大西 そして、その裁判所がまた世論の影響を受ける。
真山 そのとおりです。もちろん法に則って判断をされているのですが、証拠のほころび、被告側から違法性を指摘された調書をどのように解釈し、採用するかしないかは、世論の方向性も影響していると思います。たとえばロッキード事件は有罪となった角栄に世論が背を向けていた。一方で、ロッキード事件同様に検察側の証拠に問題の多かった09年の「障害者郵便制度悪用事件」で無罪となった厚労省の村木厚子さんには、世論が彼女に味方して、検察による調書のでっち上げが次々に法廷で暴かれていきました。
最高裁の判事として角栄の判決に参加した園部逸夫さんは、角栄が生きているうちに判決を出せなかったことを残念がっていた。角栄が生きていたら、再審でもなんでもやって身の潔白を主張し続けたでしょうから。園部さんも「裁判所が、世論の影響を全く受けなかったと言えば、ウソになります」と話していました。
園部さんは、法律家として良心的な方でした。ロッキード事件は、アメリカの上院外交委員会多国籍企業小委員会(通称・チャーチ委員会)でロッキード社のアーチボルト・コーチャン副会長が、日本の政府高官に多額の賄賂を渡したと証言したことで発覚しました。これを端緒に角栄は逮捕されたのですが、検察が米連邦検察官に嘱託して聴取したコーチャン嘱託尋問は、日本の刑法に照らせば、違法に収拾された証拠、つまり違法性が高かった。だから、最高裁はコーチャンの嘱託尋問の調書を証拠採用しませんでした。ギリギリのところで誤った判例を残すことを防いだのです。
・事件を動かしたトリックスターたち
大西 『ロッキード』では、多くのキャラクターが登場しますが、印象深いのは「5億円受領」を検察に自白させられる榎本敏夫です。側近中の側近でヤバい金を扱う存在だった榎本が検察側の取り調べにあっさりと落ちてしまう。その後、否認に転じる榎本ですが、その元妻の榎本三恵子が検察側の証人として法廷に立って「5億円の受領」を証言してしまう。この「ハチの一刺し」も強烈でした。角栄にしたら、身内からなんでこんなバカな証言がでるんだと思ったでしょう。
リクルート事件でもいったん収束したかと思ったときに、江副の側近の松原弘がやらかしてしまう。ロッキード事件の国会追及でも名を馳せ、リクルート事件でも追及の厳しい「国会の爆弾男」の楢崎弥之助に口封じのための現金を渡す現場を日テレに隠し撮りされ放送されてしまう。
彼らのようなある種のトリックスターがかき回して、事件が大きく動き出した。
真山 榎本敏夫に重要な役目を負わせていたことを見ても角栄は人をうまく使えていなかったということでしょう。もし小説なら、鉄壁の布陣の組織トップを裏切る人物を描くとしたら、もっとずるくて、頭が良くて、読者の納得のいく動機が必要です。ところが、現実の世界では、なぜこんな人がと思う人物が事件を動かしてしまう。
・二つの疑獄の「因縁」
真山 ロッキード事件に大きな影響を及ぼしたとされるキッシンジャーも、角栄を嫌っていた節があります。角栄は気がついていなかったようですが、キッシンジャーは、角栄を秘密の守れない男だと嫌悪して、一方でエリートの中曽根を重要視していた。
「空飛ぶコンピュータ」と呼ばれた高額の対潜哨戒機P-3C導入をめぐる「児玉ルート」の線上に名前が浮上し、ロッキード事件の後のダグラス・グラマン事件でも中曽根の名前が挙がっていますから、検察は中曽根にも強い興味を持っていた。その中曽根追及の執念はリクルート事件に引き継がれている。
大西 たしかにそのとおりです。通信業界に影響力を持っていた田中派は、NTT民営化後の社長に守旧派の北原安定を推していた。かたや時の総理の中曽根は電電改革に大ナタを振るった電電公社最後の総裁、真藤恒を据えようとしていた。
当時の巨大利権が絡んだNTT民営化論争は、田中派と中曽根派の代理戦争の場だったのです。ところが角栄が脳梗塞で倒れたことで拮抗が崩れ、結果、真藤がNTTの初代社長になりました。しかし、真藤は江副が渡した未公開株で逮捕されてしまう。
リクルートの江副逮捕がNTT利権、中曽根派に検察が切り込む端緒であったとすれば、まさに角栄が倒れなければ、この事件はなかったかもしれません。
しかし、私から見れば真藤の逮捕で、日本が失ったモノは大きかった。彼はアメリカが電話・通信事業を独占していたAT&Tを9社に分割し解体、その結果、通信コストが劇的に下がったことで、数々の新興企業が生まれネット勃興の時代の下地となったように、NTTの分割民営化を推進した人。もし真藤が失脚しなければ、もっと徹底した民営化が行われて、いまの日本のIT産業も少しは変わっていたかもしれません。
日本経済新聞の社長で「オンライン化」と「グローバル化」を80年代に構想した森田康も未公開株で社長を辞任した。ちょうど私が入社した88年のことでした。
・角栄と江副「天才たるゆえん」
真山 角栄も江副も、中曽根よりもナイーブな人柄だった。だからこそ、ハーバード卒の謀略が大好きなキッシンジャーが丁々発止で活躍する国際政治や、成り上がりを叩く大衆のバッシングに巻き込まれてしまったのかもしれません。
私は田中角栄は打算のない、純粋に人のために働く政治家だったと思います。
彼の特長は法律の作り方が抜群にうまかったこと。小学校しか出ていない角栄にとって、政治家の仕事とは教科書に書いてあるとおり、立法府の国会で法律を作ることでした。角栄の秘書官を務めた元通産省事務次官の小長啓一は、角栄の予算を作る力をリスペクトしていました。高速道路を作るために、重量税やガソリン税を作った。
国会議員の仕事は法律と予算を作ること。それを優れた才能でやり続けた総理は、田中角栄だけでしょう。
大西 江副も経営というものをピーター・ドラッカーに学んで、その教えのとおりに生きました。リクルート疑獄から26年後、リクルートは上場を果たしましたが、創業者を失っても成長を続けた会社は世界を見渡しても、そうはありません。江副は科学的な経営をして方法論を具体的に会社のシステムに落とし込んだからこそ、後進は、彼が設計した通りに生き生きと働くことができた。社員たちに主体性があって多くのビジネスマンが独立し、会社を大きくしました。
しかし、リクルートはあの疑獄があってよかったのかもしれません。リクルートコスモスは、江副が逮捕されるまで、地価が高騰する中で、狂ったように土地を買い続けていた。バブルがはじけて1兆8000億円の借金を出したけど、事件で江副が失脚していなかったら3兆円、4兆円と借金が膨らんでリクルートはこの世になくなっていたかもしれません。これは多くのリクルートOBたちの意見です。
一方で、コンピューティングパワーにいち早く目を付けた江副が指揮を執り続けていたならば、情報産業がいまどうなっていたかは見てみたかった。もちろん当時のテクノロジーはまだまだ脆弱で、うまくいったかどうかはわかりません。しかし、江副が倒れても、必ずや第2、第3の江副が登場し、巨大なIT産業が生まれたのではないでしょうか。
真山 私は角栄も江副も、破滅は必然だったと思います。歴史的に見たら、二人はたとえば幕末の吉田松陰なのではないでしょうか。吉田や高杉晋作、坂本龍馬の屍を乗り越えていった多くの志士たちが、明治維新を成功させました。
GAFAも同じで、彼らが登場する前にも優秀な人間はたくさんいた。目立っている成功者だけがすごかったわけじゃない。角栄や江副は、疑獄がなかったとしても、きっとどこかで躓いたでしょう。しかし二人の教訓を生かして偉大な政治家やプラットフォーマーが生まれなかった日本は、まだまだ未成熟なんだろうと思います。
・若者の危機感が本物になってきた
大西 リクルート事件のころは世界の時価総額ランキングのベスト10のうち、7社が日本企業だったのに、いまはトップ50以内に入っているのは49位のトヨタ自動車のみ。経済のみならず、ガタガタの菅政権で政治も迷走して展望の見えにくい日本ですが、チャンスはまだ残っています。GAFAが登場し、ITの分野で日本はすってんてんに負けました。ところが、いまネットがリアルの世界に染み出して、ネットとリアルを融合させたビジネスモデルが次々と生まれている。その時にリアルに強い日本の技術に需要が次々と生まれそうです。例えば鮮度を保つ運搬技術とかね。
また、日本は無為のままこの30年を過ごしてきたように見えますが、ちょこちょこと稼いできた人たちがベンチャーキャピタルを形成し、日本にもエンジェル投資家とよばれる人が出てきています。日本では徒手空拳の起業家はこれまで銀行から借りるしかなかったけど、借金でなく投資されたカネで新しい産業が生まれる芽が出てきたのです。
江副浩正の生涯を描いた『起業の天才!』には、冒頭にエンジェル投資家として活躍し19年に47歳の若さで亡くなった瀧本哲史さんのインタビューを収録しています。彼は「江副さんがダークサイドに落ちてしまったのは、彼を乗りこなす騎手、つまりまともなエンジェル投資家が日本にいなかったから」と語っています。江副のような暴れ馬のイノベーターが活躍する土壌が着実に育っています。
真山 私は若者たちの危機感がようやく本物になってきたと感じています。大学生を集めた真山ゼミを10年近くやっていますが、数年前から東大生でも意識が変わってきました。5年ほど前は日本の危機を語っても、理解はするけど「まあなんとかなるでしょ」という感じだった若者が、いまは挫折をいとわずチャレンジすることを怖がらなくなっています。彼らはようやく「日本はこのままではダメだ」と、この国の危機を真剣に受け止めて行動を起こし始めています。
ロッキードとリクルート、二つの疑獄という昭和の教訓は、いま、ようやく生かされる時代になったのかもしれません。
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なぜ日本は壊れていったのか…「ロッキード・リクルート事件」の真相
現代ビジネス(講談社)2021.03.23
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81104
■田中角栄はアメリカにハメられた…今明かされる「ロッキード事件」の真相
黒幕は、とあるアメリカ高官だった…
春名幹男 国際ジャーナリスト
現代ビジネス 2020.11.15
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77216
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・ロッキード事件は「復讐劇」か
どんな陰謀も「動機」なしに企むことはない。
動機があるから企みを実行する。
動機はしばしば、「怒り」から生じる。怒りは突発的なものであり、時とともに鎮まって、忘れてしまえば、雲散霧消することもあり得る。
だが、怒りは度重なると「憎しみ」となり、さらに「復讐」の動機を生む。
復讐のための陰謀を企むと、「純粋性」を失い、さまざまな計略を考える。
哲学者の三木清は、そんな人間の業を教えてくれる。
しかし、これまでに浮上したどの陰謀説も、動機を立証できていない。
『ロッキード疑獄』は第一部で、田中角栄を葬った実行行為を特定し、法執行機関による捜査、刑事的決着までを描いた。
だが、田中角栄はなぜ葬られたのか。
ここでその理由を解明しなければならない。
長年にわたる取材で、実は田中角栄は、日中国交正常化以後、首相在任中の外交課題で繰り返しキッシンジャーらの激しい怒りの対象になっていたことが分かった。
怒りは雲散霧消することなく、憎しみに深化していったとみられる。
キッシンジャーが、田中の外交に復讐していたことも分かった。
その事実は、今に至るも、日本の外務省にもまったく知られていない。
ロッキード事件は、国際政治スキャンダルでもあった。
英語ではこの事件は「スキャンダル」とも呼ばれている。
ここでは、「事件」と「スキャンダル」を分けて考えてみたい。
「事件」の方の動機、例えば贈賄の動機は立証済みであり、ここでは追及しない。
ここで探るのは、政治家としての田中を葬った、国際的な「スキャンダル」の動機である。
田中が“被害者”となったスキャンダルに、殺人事件の捜査手法を当てはめてみたい。
殺人事件の捜査なら、(1)殺害の凶器、(2)殺害の方法、(3)動機について、証拠を認定することが必要不可欠となる。
(1)田中を葬った凶器とは、「Tanaka」もしくは「PM(首相)」などと明記した証拠文書である。
(2)方法とは、その文書を日本側に引き渡し、刑事捜査を可能にした手続き。つまり、「キッシンジャー意見書」と日米司法当局間の文書引き渡し協定だ。文書は、意見書に基づき、米証券取引委員会(SEC)に渡され、日米協定に従い、最終的に東京地検に渡った。
キッシンジャーはその際、自ら実行行為に参画したわけではなく、補助的な役割を演じただけだった。
しかし、スキャンダルも、(3)動機が証拠付けられなければ成り立たない。
その動機は、刑事事件の動機ではなく、田中を政治的に葬るという動機である。
既述の通り、(1)を含む文書を(2)が示す方向で、最終的に東京地検に届くよう導く役割を演じたキーマンは、事件発覚時の米国務長官ヘンリー・キッシンジャーだった。
残された課題は、キッシンジャーにどんな「動機」があったのか、なかったのかを確認することである。
・「田中外交」への嫌悪感
私とほぼ同じ時期に、米国政府文書を取材していた朝日新聞の奥山俊宏も、キッシンジャーが田中に対して「痛烈な皮肉の言葉を浴びせた」ことを文書で読んでいた。
しかし、発見した文書の数が少なかったせいか、キッシンジャーが田中を嫌った真の理由には到達しなかったようだ。
「キッシンジャーの田中への軽蔑の念が少なからず影響した」あるいは「キッシンジャーは、政策ではなく、その人格の側面から田中を蛇蝎のごとく嫌って……」などと、個人的な感情の問題に帰してしまっている。
確かに、キッシンジャー発言には感情的な言葉が多々見られる。
しかし、2人は公人同士であり、政策や外交戦略に絡む対立が出発点で、それに個人的葛藤が付随したのだ。
田中を葬ることにつながる、キッシンジャーの「動機」を示す文書記録は多数残されていた。
対立は「日中国交正常化」から、日本の「中東政策」、「日ソ関係」などの外交分野に広がっていた。
・眠っていた極秘資料
筆者は、ロッキード事件の取材を15年前、まさに「動機」を突き止める作業から始めた。
ある刺激的な秘密文書の存在を、長年の畏友が教えてくれたのがきっかけだった。
「国家安全保障文書館(ナシヨナル・セキユリテイ・アーカイブ)」という、民間調査機関の上級アナリストを務めるウィリアム・バー。2005年10月のことだ。
その前年に、彼のドキュメンタリーがABCテレビ番組「機密解除・ニクソンの中国訪問」で放映され、エミー賞ニュース・ドキュメンタリー調査部門賞を受賞していた。
彼が日本を訪れ、赤坂で食事をした際に、「驚くべき文書を発見した」と明かしてくれた。
その機密文書は翌2006年5月、国家安全保障文書館のホームページにアップされた。
テーマは「ニクソン―フォード政権時代の秘密外交を詳述する2100件のキッシンジャー『会談録』文書」の一つだった。
今も、ネット上の同じページに掲載されている。
筆者をロッキード事件取材に駆り立てたこの文書は、1972年8月31日付で、「トップシークレット/センシティブ/特定アイズオンリー」と指定された「会談録」だ。
「アイズオンリー」とは、配布後に回収される文書で、機密度が非常に高い。
・キッシンジャーの激しい「怒り」
キッシンジャー大統領補佐官は、その中で、田中角栄とみられる日本人らを烈火の如く「ジャップは上前をはねやがった」と罵っている。
キッシンジャーはなぜ、そんなに怒っていたのか。
「上前をはねた」とは、一体どういう意味なのか。疑問が募った。
この文書こそ、まさにキッシンジャーの激しい「怒り」を示した文書だったのだ。
しかも、田中による日中国交正常化を厳しく非難した言葉だった。
この文書からスタートして、米国立公文書館やニクソン大統領図書館、フォード大統領図書館などで、田中首相在任中の米国の文書を渉猟した。
長年の取材で分かったのは、キッシンジャーとニクソン大統領が、政治家田中の外交政策を嫌悪していたことだった。
「日中国交正常化」だけではなかった。
第四次中東戦争に伴う石油ショックで、田中は日本外交の軸を「アラブ寄り」に転換し、さらに独自の日ソ外交を進めた。
日ソ外交で、田中は今も知られていない復讐をされていた。
興味深いのは、田中自身を含めて、日本政府側は当時も今も、こうした米側の思考と外交をほとんど認識していないことだ。
ただ、日本の「アラブ寄り外交」への転換について、田中とキッシンジャーは激論を闘わせており、田中も米側の意向を十分理解したに違いない。
三木清ではないが、キッシンジャーの怒りは度重なり、「復讐心」を持つほどのレベルに達していったのである。
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田中角栄はアメリカにハメられた…今明かされる「ロッキード事件」の真相
現代ビジネス 2020.11.15
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77216
■「日本は政治的“ピグミー”だ」ロッキード事件の裏側で田中角栄への侮蔑を重ねたリチャード・ニクソン
文藝春秋 2020/10/30
https://bunshun.jp/articles/-/40998
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・「日本は良き同盟国ではない」
1973年1月31日、ニクソンは首相を退任した佐藤のために、秘書の楠田實(くすだみのる)や外務省高官らもホワイトハウスに招き、夕食会を開いた。
佐藤をもてなす合間の同日夕、ニクソンは午後5時前から1時間余り、前財務長官のジョン・コナリーらと懇談した。
コナリーはジョン・F・ケネディ大統領暗殺時にテキサス州知事で、ケネディの前の助手席に座っていて、重傷を負った人物として知られている。
前年の大統領選挙で、コナリーはニクソンを支持する民主党員票の掘り起こしに協力した。
そのコナリーとの懇談の席で、ニクソンは田中のことを、次のように非難した*2。
コナリー「いま佐藤が来ていますか」
ニクソン「彼は日本で今も尊敬され、われわれの友人だ。彼が首相の時、現在の田中首相の時よりずっとうまくやれていた。田中は非常に生意気で強硬だ。佐藤は岸と同じように米国を助けてくれた」
それから約半月後の1973年2月16日、ニクソン大統領は閣僚らと国際貿易・通貨問題を議論した。
その際、ニクソンは日本経済に対する強い不信感をぶちまけている。
「日本の大商社がすべて政府と共同所有されていることはみんな知っている」
「基本的な問題は、貿易分野で日本が良きパートナーではないことだ」
「田中に関して言えば、日本は良き同盟国ではない」
・ニクソンの感情的な発言
以上、1973年1月と2月のニクソンの生の発言を紹介した。
いずれも、国務省歴史室が地域・年代別に発行する「米国の外交関係(FRUS)」シリーズの「1973~1976年東・東南アジア編」「日本」の項に、掲載されていた。
原典は、両方とも録音テープだった。
ニクソン大統領はホワイトハウスでの会話を録音していたので、今も録音テープが残されている。
上記二件の発言は、国務省歴史室の「ヒストリアン(歴史記録者)」が重要性に注目してFRUSに収録したものだ。
日本関係のFRUSで生の声を記録したものは珍しい。
これらの大統領の発言が、米国の対日外交の重要な部分を成すとみて、取り上げたのである。
しかし、その内容はひどい。
日本には国が保有する大手商社などない。
比喩(ひゆ)的な言い方かもしれないが、感情的な発言には驚く。
・日米関係見直しを二度指示した大統領
ニクソン政権は、日本に対してどう対応すべきか、分からなくなっていたようだ。
田中政権の日中国交正常化は米国側にしこりを残した。
対日外交は何とかならんか、という気持ちになったのだろう。
ニクソン政権は「対日政策」の見直しを指示する、同じテーマの「国家安全保障検討メモ(NSSM)」を1971年4月15日、さらに約2年後の73年3月7日、と続けて発出した。
前者(NSSM122「対日政策*4」)では、「日本の国際的役割に関する日本の態度変化」「米中関係の展開の影響」など、国際環境の変化をテーマにしていた。
後者(NSSM172「米国の対日政策*5」)では、「対日関係をめぐる米国の基本的国益の特定」「向こう5年間の日本の関心と目標の特定」といった基本的な課題に関心が移っている。大統領は日米関係の基本を見直そうとしていた。
同年3月27日、愛知揆一蔵相とジョージ・シュルツ財務長官の会談が、ホワイトハウスのキッシンジャーの部屋で行われた。
その会談の途中でニクソンが顔を出し、心にもないことを口にした。
「あなたに知ってもらいたいのは、私が良き日米関係に意を強くしたということだ。米国と欧州の協議は多々あるが、日本が加わらないと取引はできないことを知ってほしい。日米は二大経済大国で、対等だ。日本を外した米欧の取り決めなどない*6」
続けて、同席したキッシンジャーに「首相の訪米の時間はとれるよね」と尋ねた。
キッシンジャーはこれに、「イエス。8月初めです」と答えると、「いいことだ。首相と天皇にも会いたい。そして来年は私が日本を訪問する」とニクソンは言っている。
翌年、自分がウォーターゲート事件で辞任し、思い通りに訪日は実現しなかった。
ニクソンは、5月12日には、訪米した大平正芳外相と大統領執務室で会った。
大平は田中より先に、ホワイトハウスで大統領を表敬訪問する栄誉に浴した。
大平への米国側の期待が強いことを態度で示したのだ。
(中略)
・日本人は「裸で立っているピグミー」か
その後、ニクソンは次のように、計三回、日本をアフリカの「ピグミー族」にたとえる差別的な発言をした。
ニクソン 「 自分の基本的な見方だと、経済大国は政治的なピグミーにとどまることができないということだ。それは自然の法則に反する。経済大国は政治的ピグミーにとどまれない……首相は日本が将来歩むべき道をどう考えるのか」
田中 「 すべての日本国民は米国が過去四半世紀、日本に与えた援助に感謝している。それによって、日本は全面的敗北から復興するまれな成果を挙げた。日本国民の基本的な願いは、米国と緊密に協議し、永久に自由諸国とともに地位を維持することだ」
ニクソン 「 中国、ソ連、日本、米国を見ると、一つの事実が際立っている。日本は近隣諸国の中でソ連などとは対照的に、経済大国ながら軍事的かつ政治的にはピグミーとして裸で立っている。……現在の安保関係の取り決めは、それら諸国が熟れたスモモのような日本を見ても、むしり取ろうと思わないよう、最良の保障となっている」
田中 「 大統領の見方と同感です。米国と日本の固い結合が他のあらゆる関係にとっても重要です。それなしに日本は中国と国交正常化できなかった」(太字部筆者)
・侮蔑を受け止めた田中角栄
田中はニクソンから「ピグミー」と侮辱されても、反発することなく、戦後米国から受けた支援に感謝し、安保条約のおかげで日本は守られていると認めた。
そして、日米安保があったから日中国交正常化ができた、とも主張した。
論理的には、のれんに腕押しのような反論だ。
では、「五年後の世界」はどうなるか。
ニクソンは「日米安保条約が廃棄され、日本で支持されなくなったら、多くのアメリカ人は喜んで出て行く。韓国から米軍も撤退する」と言った。
言うことを聞かなければ米軍を撤退させる、というカードをここで見せた。
それにしても、日本と日本人に対して、これほど侮辱的な言葉を使った米大統領がいただろうか。
日本側の会談記録はどうなっているのか。
外務省に情報公開請求して入手した。
外務省の会談記録では、ピグミーを訳さず「政治的な小人(political pygmy)」とカッコ付き、あるいはカッコなしで英文のまま記していた。
「田中総理・ニクソン大統領会談の模様」と題する1973年8月23日付9ページの文書は、こうした刺激的な発言を省いていた。
この会談が外交問題化しないよう配慮した形だ。
「ピグミー」は、『リーダーズ英和辞典』(研究社)によると、「アフリカ赤道森林地帯の矮小黒人種」とある。
それが転じて「こびと」「知力の劣った人」という意味もあるとしていて、差別的に使用され得る言葉であることが分かる。
~~~
■「日本は政治的“ピグミー”だ」ロッキード事件の裏側で田中角栄への侮蔑を重ねたリチャード・ニクソン
『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(春名幹男)より
文藝春秋 2020/10/30
https://bunshun.jp/articles/-/40998
米高官・CIAを後ろ盾に暗躍した「元戦犯容疑者」たちを徹底究明
クーリエ・ジャポン(講談社) 2020.10.31
https://courrier.jp/news/archives/216989/
~~~
・田中がアメリカに嫌われた真の理由を明らかにする
日本人の心に、強烈な印象を残した田中角栄(たなかかくえい)。
ロッキード事件で、逮捕・起訴され、一、二審で実刑判決を受けて政治生命を絶たれ、病にも倒れて、鬼籍に入った。
しかし、この事件には、未解明の重大な疑問が残されている。
当時、ほとんどの日本人は田中が現職の首相時代に犯した犯罪だから、田中が「巨悪」だと受け止めていた。
だが、本当の巨悪は他にいて、断罪されないままになっているのだ。
田中訴追に直接関係する証拠は米国司法省から東京地検特捜部に引き渡され、法の裁きを受けた。
しかし、巨悪解明につながる証拠は提供されなかった。
アメリカは、なおその証拠を秘匿している。
戦後最悪の国際的疑獄となった、この事件。
昭和から平成、さらに令和の時代を迎えた今も、真相を紡げないまま、歴史のかなたに葬ってしまっていいのか、と痛切に感じる。
田中角栄の逮捕から40年たった2016年、田中に関する書籍や記事、テレビ番組が相次ぎ、角栄ブームにもなった。
かつての政敵の一人、石原慎太郎(いしはらしんたろう)が著した小説『天才』(幻冬舎)やNHKスペシャルなど、ドキュメンタリー番組も話題になった。
その中で、朝日新聞編集委員の奥山俊宏(おくやまとしひろ)が書いた『秘密解除 ロッキード事件』(岩波書店)は、新しい取材に挑戦し、米国の公開文書を系統的に点検していた(1)。
この本が出版された時、私はひやっとした。
奥山は、ロッキード事件に関する米国政府機密文書を発見して、2010年から朝日新聞に何度かスクープ記事を書き、本と同じタイトルの特集記事もまとめていた。
正直に打ち明けると、私は同じテーマで、彼に先駆けて、2005年から取材を開始し、関係文書を大量に入手していた。
その中には、奥山に先に報道された文書もある。
だが、まだ私の取材は全部終わっていなかった。
先に出版されてしまえば、それまでの長年にわたる取材が無に帰してしまう、と恐れていた。
案の定、彼の本が先に出版された。親切にも彼は著書を贈ってくれたので、慌てて読んだ。
意外にも、私の心配は杞憂(きゆう)だった。
彼が、アメリカの公文書を取材した意義は大きい。
しかし、多くの未解明の疑問に対する答えを出していなかった。
この著書の副題「田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか」という問いは、疑問符のまま残されている。
「キッシンジャーは、政策ではなく、その人格の側面から田中を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っており、その意味で田中は米国の『虎の尾』を踏んでいたと言える」と奥山は書いている。
しかし、真相はそんなことではなかった。
田中がアメリカに嫌われた真の理由、それを初めて明らかにする。
ロッキード事件は、第一段階で田中首相在任時の日米関係、第二段階で事件発覚から捜査、裁判に至る経緯、と二つの段階から成り立っている。
これまで、二つの段階の間に重大な因果関係があったことを解き明かした著作はなかった。
それを解明することによって、初めて事件の真相が見えた。
つまり、田中が政治的に葬られた理由は彼の外交にあったのだ。
・Tanaka文書の経緯を逐一追う
次々と出版された類書から大幅に遅れながら、あえて拙著『ロッキード疑獄』を上梓(じょうし)したのは、ロッキード事件の新しい歴史を刻むことができたと考えたからだ。
事件解明の最大の壁は、事件が「アメリカ発」であり、米国政府から捜査資料を入手しなければ、捜査は不可能という現実だった。
捜査資料とは、全部で5万2000ページ以上、ロッキード社が保管していた秘密文書のことだ。
最終的に、東京地検特捜部が入手したのは、そのうち2860ページだった。
本書では、これらの文書が辿った複雑な道のりと関連の動きを、逐一、丹念に追うことによって真相を追究する手法を取った。
田中の運命を決したこれらの文書は、どのような経緯で東京地検特捜部にたどり着いたのか。
文書の中には、確かに「Tanaka」ないしは「PM」(Prime Minister=首相=の略)と明記した文書があった。
特捜部の捜査をリードした堀田力(ほったつとむ)も、そのことを認めている。
これらの文書は、田中や丸紅、全日空両社の首脳らの逮捕、起訴、裁判の過程で、活用された。
・巨悪の正体
しかし、アメリカは田中関係の文書とは対照的に、「巨悪」に関する情報の公開を阻んでいる。
「巨悪」は訴追を免れたが、その全体像は、ロッキード事件の三年後に発覚したダグラス・グラマン事件も含めた取材で、浮かび上がった。
その正体とは、どんな人たちなのか。
日本では、おぞましい人たちが姿を現した。
戦前・戦中は軍国主義を突き進み、終戦直後に「戦犯容疑者」として連合国軍総司令部(GHQ)に逮捕され、巣鴨(すがも)拘置所に勾留されたものの、起訴を免れ、釈放された「紳士」たちだ。
アメリカでは、彼らを生き返らせて、表舞台に復帰させた「フィクサー」らが暗躍した。
その後ろ盾に、米国の軍部と軍需産業から成る軍産複合体が控えていた。
東西冷戦の激化で、アメリカは日本を「反共の砦」として、経済的に繁栄させるため、これらの元戦犯容疑者たちを復活させた。
日米安全保障体制を強化するため、アメリカは1950年代以降、自衛隊に高価な米国製の武器・装備を導入させた。
その「利権」を分け合った日米の黒いネットワークが露呈したのが、ダグラス・グラマン事件であり、ロッキード事件だったのだ。
事件の主役は、日米安保関係の根幹に巣くう人脈であり、彼らを「巨悪」として訴追すれば、安保体制は大きく揺らぐところだった。
事件を表面化させたアメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ小委)のジェローム・レビンソン首席顧問は、事件が「インテリジェンスの分野に入ってしまったので、チャーチ小委の調査も終わってしまった」と筆者に語った。
この証言は、日米安保関係の秘密の部分に調査のメスを入れることができなかった事情を雄弁に語っている。
「巨悪」のグループには、米国の軍産複合体のほか、米中央情報局(CIA)も含まれている。
日本の元戦犯容疑者たちは、CIAの協力者としても暗躍したのである。
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■ロッキード事件の「真の巨悪」は田中角栄ではなかった
米高官・CIAを後ろ盾に暗躍した「元戦犯容疑者」たちを徹底究明
クーリエ・ジャポン(講談社) 2020.10.31
https://courrier.jp/news/archives/216989/
■ロッキード事件の“もみ消し”をアメリカ政府に頼んだ中曽根康弘
~自民党幹事長はなぜ総理を裏切ったのか~
週刊文春(2021/02/06)
https://bunshun.jp/articles/-/43199
~~~
ロッキード事件において田中角栄は、本当に有罪だったのだろうか――。
1976年、田中角栄は、米国の航空機メーカー、ロッキード社からの賄賂を総理在任中に受け取り、全日空に同社の「トライスター」を購入するよう口利きをした罪を問われた。
ロッキード社のコーチャン副会長の証言によると、彼は30億円にものぼる賄賂を、日本の政界にばらまいたという。
裁判は、1993年の田中角栄の死によって収束を迎える。
しかし、田中角栄は嵌(は)められたという主張も未だ根強い。さらに、総理を支えるべき自民党幹事長(当時)の中曽根康弘による、奇妙な“裏切り”も後に発覚した。
作家の真山仁氏が事件の真相を追求した『ロッキード』より、一部を抜粋して紹介する。
・中曽根の狼狽
2010(平成22)年2月12日、朝日新聞朝刊一面に、1本のスクープ記事が掲載された。
スクープをものにした記者は、米国で公文書を徹底的に読み解き、ロッキード事件を新たな視点から検証してまとめた『秘密解除 ロッキード事件』を著した朝日新聞編集委員の奥山俊宏だった。
【ロッキード事件「中曽根氏から?もみ消し要請」米に公文書】
《ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている》
問題となった文書は、1976(昭和51)年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米国大使が、国務省に送った公電だ。
チャーチ委員会でロッキード事件が発覚したのが、2月4日。
務省は18日、「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に改めて要請するよう、駐米大使に訓令した。
これは三木武夫首相の意志であった。
ところが中曽根は、その夜と翌朝に、三木首相の要請とは正反対の秘密のメッセージを米国政府に伝えよと、米大使館に依頼したというのだ。
《中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい(KURUSHII)政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。さらに中曽根氏は翌19日の朝、要請内容を「もみ消す(MOMIKESU)ことを希望する」に変更したとされる》
ちなみに、この公電では、「苦しい」と、「もみ消す」は、その英単語に続いて敢えてローマ字表記の日本語が記されている。
・もみ消したいと思ったのは中曽根自身だったのではないか
中曽根が米政府に「MOMIKESU」よう要請したのが、三木の意向だったとは思えない。
自民党の幹事長、つまり総理である総裁と歩調を合わせ、政権維持をサポートする立場にある者が本当に発言をしたならば、不可解としか言いようがない。
そして、もみ消したいと強く思ったのは中曽根自身だったのではないか、という疑問が湧いてしまうのだ。
同様の解釈を、ホジソン大使もしている。
《「今後の展開に関する中曽根の推定は我々にはオーバーに思われる。三木の判断について中曽根が言っていることは、我々の理解する三木の立場と合致しない」
当時、三木武夫首相は、事件の真相解明を国民に約束し、中曽根氏はそれを支える立場にあった。
国民の間で真相解明を求める声は高まっており、「日米安保の枠組みの破壊につながるかもしれない」という見方は誇張に過ぎるというのが大使の見解だったようだ。
さらに大使は「中曽根自身がロッキード事件に関与している可能性がはっきりしない点にも注意すべきだ」として、要請の意図にも疑問を投げかける。
ただ、大使は「日本政府の公式の姿勢とは異なり、自民党の指導者たちの多数は、関与した政府高官の名前を公表してほしくないのではないか」「日本政府の公式の要請を額面通りに受け止めるべきではない」と指摘。
米政府としては「もし可能ならばこれ以上の有害情報の公開は避けるのが我々の利益だ」と結論づけている》(朝日新聞・同日34面)
中曽根の思惑を、大使は見抜いていた。
だから、大使は、中曽根の要請を公電に載せたのだろう。
・事件捜査に懐疑的な態度
奥山の『秘密解除』では、この「MOMIKESU」依頼について、中曽根が積極的に米国政府と接触する様子がより詳細に紹介されている。
まず、ロッキード事件発覚翌日、偶然来日していた国務省日本部長ウイリアム・シャーマンと会談している。
単なる表敬訪問となるはずの面会だったが、結果的に話の中心は、ロッキード事件になった。
その内容は、同日、米国大使館を通じて国務省に公電として伝えられた。
それによると、「このようなことがらについて(米国の)国内問題として調査するのはいいことかもしれませんが、他国を巻き込むのは別問題であり、慎重に検討されるべきです。
米政府にはこの点を認識してほしい。
この問題はたいへん慎重に扱って欲しい」(『秘密解除』)と中曽根が釘を刺している。
・中曽根の指示で自民党幹部がワシントンDCへ
また、「ロッキードに有利な取引はニクソン大統領と田中前首相の間で結論が出ていた」との疑惑にも言及したという。
これは、72年9月、ハワイで行われた日米首脳会談において、ニクソンと角栄が、トライスターまたはP-3Cについて話し合いがあったと暗に匂わせている。
両国のトップによる決定を蒸し返すなとでも言いたかったのだろうか。
さらに11日朝には、幹事長の中曽根の指示で、自民党幹部の佐藤文生がワシントンDCに行き、東アジア・太平洋担当の国務次官補フィリップ・ハビブと面談している。
佐藤は、日本政府高官の名前に関する議論に触れ、「自民党は自らの立場を守らなければならない」と述べたと公文書に記録されている。
在日米大使館内でも、灰色高官の候補についての分析が行われ、中曽根は現職の党幹部の中で「もっとも脆弱に見える」とされ、「ワシントンで具体的な情報が明るみに出れば辞任となる可能性がある」と同じく公文書に記録されている。
・中曽根は誰に伝言を依頼したのか
奥山は、さらに不可解なものを発見している。
機密として文字が伏せられた箇所があったのだ。
《前後の文脈からすると、そこには、中曽根と会話した相手の名前や役職が記載されている可能性がある。秘密を解除できない理由は「国家安全保障上の制約」。白抜きにされたのは2007年7月23日。この公電のその他の部分の秘密解除についてCIAの承認が下りたのと同じ日なので、CIAの都合で秘密とされているのではないかと推測できるが、実際のところは分からない》
中曽根は、誰と接触したのだろうか。
相手が大使なら、わざわざ名を伏せる必要はなかっただろう。
もしも、相手がCIAだったとすると、中曽根との繋がりが気になる。
そして、中曽根と関係が深いと取り沙汰されていた児玉誉士夫は、CIAとのパイプがあった。
中曽根の必死のもみ消し作戦は、中曽根がロッキード事件に深く関与していたことを、自ら喧伝するようなものだ。
いずれにしても、米国からもたらされた情報によって、角栄は逮捕された。
中曽根のもみ消し作戦は、失敗だったのか。
いや、自身が罪に問われなかったという意味では、成功だったのか。
・曖昧な否定
タブー視される社会問題を次々と切り裂いていく奥山に、「MOMIKESU」発言についてさらに詳しく尋ねた。
「『検証 昭和報道』という朝日新聞の大型企画の一環で、ロッキード事件を再検証しようということになりました。それで、私は米国公文書館に通って、ロッキード関連の秘密解除文書を探しました」
それが「MOMIKESU」と記された公文書を発見したきっかけだったと、奥山。
文書は膨大で、かつ、あちこちに散らばっている。ホワイトハウス、国務省、司法省、国防総省、証券取引委員会、裁判所、議会など機関ごとに文書は整理されているが、それ以上は、おおざっぱな目録を見ながら勘を働かせて見当をつけ、根気よく一枚ずつチェックするしかない。
その上、歴代大統領にゆかりのある地それぞれに国営図書館があって、ホワイトハウスの内部文書はすべて、そちらに移される。
そこへも足を運ばなければならない。
「MOMIKESU」ことを中曽根が依頼した文書を見つけたのも、フォード大統領図書館(ミシガン州アンアーバー)だった。
・ロッキード事件発覚時からあった疑惑
そもそも、そんな重大発言の存在など、奥山はそれまでまったく知らなかったという。
「中曽根氏が、何らかの形でロッキード事件に関わったのではないかという疑惑は、事件発覚時から取り沙汰されていましたし、国会の証人喚問も受けています。そういう意味では、疑惑の人だった。あの文書を発見したことで、その疑いがより強まったのは、間違いありません」
中曽根本人がトライスターやP-3C採用について、口利きをしたり、ロッキード社からカネを受け取ったというような裏付けはない。
また、奥山のスクープ記事が掲載された時に、朝日新聞は中曽根事務所に文書についての事実確認をしているが、「ノーコメント」と返されている。
その後、2012年に刊行された『中曽根康弘が語る戦後日本外交』の中で、中島琢磨が、その点を問いただしている。
それに対する中曽根の答えは「アメリカ人に対して『もみ消す』なんていう言葉を使うはずがありませんね。私と大使館の間に入った翻訳者がそう表現したのかもしれないが、日本の政局も考えて、仮に摘発するにしても、扱い方や表現の仕方を慎重に考えてくれと伝えたつもりです」という歯切れの悪いものだった。
また、同書で中曽根は、「アメリカ側には、田中勢力の打倒においては、三木に期待していたところがあったのでしょう。
田中は石油を世界中から獲得するために、中東だけではなく、ソ連、ノルウェー辺りの石油にまで日本が手に入れようと動き出しているので、アメリカ石油資本が田中は敵(エネミー)だと認識して、彼をやっつけろと。
嘘か本当か知らんが、そういう情報もありましたね」と述べている。
角栄が、米国の虎の尾を踏んだために、葬られたという説を、暗に追認している。
・未だ極秘扱いされている人物
「MOMIKESU」と公電に記載されたメッセージを伝達した相手について、中曽根は、「私が個人的に使っているアメリカ通の英語のできる人間に指示したのだろうね」と答えている。
中曽根の説明の通りだと、中曽根は大使館関係者に会ったのではなく、大使館に通じている密使を立てたことになる。
奥山と私が、この言動を不思議に思うのは、中曽根がロッキード事件に関与していたのなら、下手な動きは禁物なのに、よりによって米国政府に、隠蔽を依頼しているからだ。
「もみ消しを頼むことそのものが、中曽根さんにとっては、負い目になったはずだと思います。表では『徹底的に究明する』と公言していたのに、裏では国民世論の大勢に背くだけでなく、上司である総理・総裁をも裏切って『もみ消し』を外国政府に依頼した。中曽根さんがアメリカに弱みを握られたのは、間違いないですよね」
それぐらいの損得勘定は中曽根にも分かっていたはずだ。
国務省への極秘メッセージを依頼した人物について、未だ極秘扱いされていると先述の中島に伝えると、彼は驚いた。
「中曽根さんが、アメリカ大使館にそのような対応を求めていたなら、相手の氏名や所属先を秘密扱いにする必要はありません。大使や公使の署名入りの公文書は、肩書きと名前も含めて公開されています」
類推すると、やはり中曽根が「MOMIKESU」ことを頼んだ相手は、情報機関─CIA局員の可能性が高いと考えるのが妥当ではないだろうか。
しかも、CIAといえども一局員の立場では、国務省幹部に伝える権限などなかった。
だとすれば、この公文書は、日本にいた大物情報部員からの報告だったと考えられる。
・何をもみ消したかったのだろうか
国務省幹部に繋がるような立場の人物が、当時日本にいたのだろうか。
CIAのアセット、ロッキード社のエージェント─。
可能性のある人物はいるが、それは状況から見た推理に過ぎない。
今もってなお、公文書で明かされない名前がある。
その事実を前にすると、事件を過去のものとして扱うにはまだ早いと感じる。
果たして中曽根は、何をもみ消したかったのだろうか。
自民党幹事長という責務を捨て、米国の協力者に強引に頼み込むほどの、暴かれては困る秘密があったのだろう。
またそれは、中曽根の異常行動にこそ、ロッキード事件の真相を解く鍵があったと裏付けているとも考えられるのではないか。
中曽根の秘密が暴かれていたなら、角栄は破滅しなかったのではないか。
しかし、中曽根亡き今、全ては闇の中に葬られてしまった。
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ロッキード事件の“もみ消し”をアメリカ政府に頼んだ中曽根康弘
~自民党幹事長はなぜ総理を裏切ったのか~
週刊文春(2021/02/06)
https://bunshun.jp/articles/-/43199
「この事件には陰謀が絡まっている。底が深すぎるし、奇々怪々だ」
産経ニュース 2016/7/25 石井一
https://www.sankei.com/premium/news/160723/prm1607230016-n1.html
~~~
--昭和51年7月27日、田中氏はロッキード事件で逮捕されたが
「その年の2月から米国のチャーチ委員会(上院外交委員会多国籍企業小委員会)で、事件が取り上げられ、日本でも捜査が進められていたが、私も含めて田中の周辺ではだれも逮捕まで踏み切るとは思っていなかった。それに対して、東京地検は金権政治の象徴である田中を逮捕することが正義だというおごりのもとに、前の首相を、それも最初は外為法違反という容疑で逮捕するという暴挙に突っ込んだ。これは歴史的に糾弾されるべきことだと思っている」
--その後の裁判をどう見たか
「田中は終始一貫、無罪を信じて切っていたし、やましいという様子を全く見せなかった。そこで、私は事件に疑問を持つようになり、弁護団らと話をしているうちに、田中は本当に無罪ではないかと思って、自分でも調査することにした。田中派だからとかそういうことよりも、政治家として捜査や裁判が行き過ぎたり、曲がったりしたときは追及していくのは使命ではないかという思いが強かった」
--58年1月26日、検察側は田中氏に対し、懲役5年、追徴金5億円を求刑した
「その時、私は『検察側のストーリーをつぶすには、日本国内の法廷闘争だけでは勝てない。米国で調査を進めて真相に迫らなければならない』と思い、渡米を繰り返した。協力してくれる政治専門の優秀な弁護士はいないかと考え、スタンフォード大学大学院時代からの友人に相談したところ、その年の2月にリチャード・ベンベニステという弁護士に会うことができた。ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件で主任弁護士を務めた凄腕の持ち主だった。私が事件の関連資料を渡し、田中の弁護を依頼したところ、10日ほどして『引き受けましょう』という返事がきた。改めて渡米した私に、彼は『この事件には絶対、陰謀が絡まっている。底が深すぎるし、奇々怪々だ』と語った。そして、事件発覚の経緯や田中側への5億円の資金提供を認めた嘱託尋問調書を日本政府が要求して裁判所が証拠として採用したことなどの点をしてきた。そのうえで『事件を証言したロッキード社(元副会長)のコーチャンは日本で刑事免責を受けているが、自分が米国内で彼を訴追することは可能だ』とも語った」
--その後のベンベニステ氏との調査は
「彼は3月14日、同僚や秘書など総勢10人で来日した。私が手配して高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル新高輪)の最上階をフロアごと借り切り、急ピッチで本格的な調査を始めた。10日ほどが過ぎ、代理人を依頼するため、田中にどう会わせようかと思案していたところ、田中から突然、東京・目白の私邸に呼ばれた。田中は『いろいろ苦労をかけているようだな。だが、大変申し訳ないが、アメリカの弁護士は断ることにした』と言われた。私は『そんな話がありますか。せっかくすごいのを連れてきたのに』と言ったが、田中は「分かっとる。分かっとる。が、すまん、許してくれ」とわびた。さらに私は『このままだと有罪になりますよ』とも言ったのだが、田中は『いや有罪にはならない』と譲らなかった。私はすぐにベンベニステにこのことを伝えた。彼は『田中の気持ちは理解できる。すぐに帰国するよ』と受け入れてくれた」
--田中氏はなぜ依頼を断ったと思うか
「ひとつは『米国から仕掛けられたワナから逃れるのに米国人の手を借りたくない』という日本人としての意地とプライドがあったと思う。もうひとつは田中が無罪を固く信じていたということだ。それで米国人の弁護士まで頼む必要はないと思ったのだろう」
--58年10月12日の1審判決を前に、調査の結果を小冊子にまとめ、田中氏らに渡したということだが
「事件と裁判には多くの問題があるのに、田中が有罪になることには納得がいかなかったので、自分なりの調査の結果を手書きの小冊子にまとめた。最初はみんなに配って公開しようと思ったが、世論の状況を考えると逆に反発を受けるのではないかと思い、田中とその周辺の5人にだけ渡した。内容は事件の発端への疑問や嘱託尋問調書が採用されたことの問題点、田中への請託の有無や金銭授受の不確かさなど指摘し、『有罪とするのは困難と見ざるをえない』という見解を示したものだった」
--田中氏の受け止めは
「小冊子を読み込み、いつも枕元に置いて大切にしてくれていたそうだ。その後、判決が出て、私もその年の12月18日に行われた衆院選で落選した。その10日後、田中周辺からの誘いで、目白の私邸を訪ねた。田中は新潟料理をふるまって、『君を落としたのは本当に残念だ』と慰めてくれたのだが、その後、私が渡した小冊子の話になった。田中が『君一人が書いたのか。どうしてこんなことが分かるのか』と訪ねたので、私は『事件は完全にでっち上げられたものだと思っています。ただ、感情的に言っても仕方ありませんから、事実を並べて論理的に書いたのです。時を経て、世間が冷静さを取り戻せば、いつか真実が明らかになる日がくると思います』と答えた。田中は深く、深くうなずいていた」
--1審での懲役4年、追徴金5億円という有罪判決を田中はどう受け止めたのか
「田中は判決に向かうとき、無罪だと信じていた。しかし、有罪判決が出て司法に対する憤りに満ちていた。裁判所から帰ってくると、自宅事務所の会議室に駆け付けた国会議員だけを入れ、『総理大臣経験者としての私が、このような罪を、このような形で受けることは、国民に申し開きのしようがなく、名誉にかけて許せない』と演説をした。その後の田中は派閥をどんどん大きくして、自民党を完全に支配した。その異常なまでの執念の背景には、首相というポストを傷つけてしまったという反省と、自分の無実をかならず晴らすという意地があったのだと思う」
--事件をめぐっては日米政府の陰謀説もある
「米国の政権は自分の思い通りになると思っていた日本を、日中国交正常化や資源外交などで独自の道に進めようとした田中を追い落とそうとした。田中は『(当時国務長官だった)キッシンジャーにやられた』ということを私にも言っていた。一方、日本側では事件当時の首相の三木武夫が、自分の政権基盤を強化しようとして、事件を機に田中を葬り去ろうとした。それに歩調を合わせて裁判所や検察という司法が、異常な執念と思い上がりから、首相経験者を仕留めようとした。そこへマスコミが追い打ちをかけ、世論は田中を罰することが日本の民主主義を救うことになるというムードになってしまった。これは歴史的に検証されなければならないことだと思う」
--田中氏は平成5年12月に刑事被告人のまま、75歳で死去した
「ものすごく悔しかったと思う。昭和60年に脳梗塞で倒れ、障害が残ってから亡くなるまでの間は筆舌に尽くしがたい苦悩があっただろう。無実でありながら、罪を晴らせないままこの世を去ったことはまさに悲劇だ」
--田中氏を政治家としてどう評価しているか
「政治家として並外れた能力の持ち主だった。予算の数字から政策の中身を知り尽くし、議員立法もたくさんやった。その意味で政党政治家の模範といえる存在だった。一方で『カネ』のイメージが強かった。ただ、それは自分の力で作ったもので、反省面ではあるが、希有な政治家だったと言えるのではないか。ただ、紛れもない愛国者であり、庶民の目線を持っていた。ロッキード事件がなく、田中の能力が発揮されていたら、日本の国は北方領土問題をはじめ、いまだに残っている問題もとっくに解決できていただろう。田中がどれほど大きな功績を上げることことができたかと考えると残念だ」
~~~
冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相
「この事件には陰謀が絡まっている。底が深すぎるし、奇々怪々だ」
産経ニュース 2016/7/25 石井一
https://www.sankei.com/premium/news/160723/prm1607230016-n1.html
■東京地検とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E9%83%A8
~~~
東京・大阪・名古屋の各地方検察庁に設置されている。
特捜部(とくそうぶ)・特捜(とくそう)と略されることが多い。
【概説】
隠退蔵物資事件を契機にGHQ主導で設立された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が前身。
通称「東京地検特捜部」。
東京地検特捜部が連合国軍による占領下で、旧日本軍が貯蔵していた隠退蔵物資を摘発してGHQの管理下に置くことを目的に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」としてスタートした経緯や特捜部エリートに駐米大使館の一等書記官経験者が多いことから、「アメリカの影響を受けている」とする見方がある。
また、捜査対象が歴史的に木曜クラブの流れを汲む平成研究会系列(田中派―竹下(登)派―小渕派―橋本派―津島派―額賀派―竹下(亘)派―茂木派)の政治家に集中する一方で、党風刷新連盟を興りとする清和政策研究会系列(福田派―安倍(晋太郎)派―森派―町村派―細田派―安倍(晋三)派)の政治家は多くが免れていることから、「捜査対象が偏っているのではないか?」という主張がある。
~~~
特別捜査部(ウィキペディア(Wikipedia))
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E9%83%A8
■『知識ゼロからの田中角栄入門』
・そもそも田中角栄ってどんな人?
・田中角栄の青春時代
著者:小林吉弥
出版社:幻冬舎
発売日:2009年03月
楽天ブックス https://a.r10.to/hDs0AJ
■『人間・田中角栄』
時を越えて語り継がれる角栄の涙が、現代を生きる人々の「人生の足元」を明るく照らす。
人情、そして弱者への愛ー政治家の「原点」がここにある。
出版社:宝島社
発売日:2018年05月
楽天ブックス https://a.r10.to/haJb3p
■『田中角栄 上司の心得』
田中角栄元総理の言行より、やがて来る「コロナ後」の社会でも活用できる数多の心得を紹介
著者:小林吉弥
出版社:幻冬舎
発売日:2021年01月27日
楽天ブックス https://a.r10.to/hDJmu2
■『田中角栄回想録』
「池田・佐藤政権の屋台骨を支えつづけた十年」
「日ソ外交史に残る田中・ブレジネフ会談」
出版社:集英社
発売日:2016年08月19日
楽天ブックス https://a.r10.to/hwzTiU
■『田中角栄魂の言葉88』
角栄が残した言葉にはどんな時代にあっても変わらぬ「人間の真実」と「珠玉の知恵」がある。
“魂の言葉”とも言うべき名言をセレクト
レーベル:知的生きかた文庫
出版社:三笠書房
発売日:2016年06月03日
楽天ブックス https://a.r10.to/h6GdAz
■『入門田中角栄新装版 語録・評伝』
「原点」復刊。
・名語録(政界立志編/刑事被告人編/人生訓・趣味編)
出版社:新潟日報事業社
発売日:2016年07月
楽天ブックス https://a.r10.to/hDU8Lr
■『田中角栄100の言葉 日本人に贈る人生と仕事の心得』
「やる気」を引き出す天才、心に残る「角さん」の名語録
・仕事(まずは結論を言え/伝説の蔵相就任演説 ほか)
・人生(勤労を知らない不幸/二重橋を渡る日 ほか)
・生きる(人生の「間」/臭い飯 ほか)
出版社:宝島社
発売日:2015年02月
楽天ブックス https://a.r10.to/hy7D3f
■『田中角栄頂点をきわめた男の物語 オヤジとわたし』
「オヤジとわたし」改題書
54歳の若さで日本の最高指導者に登りつめた秘密のカギは何であったのか?
レーベル:PHP文庫
発売日:2016年06月03日
楽天ブックス https://a.r10.to/hDrQlt
■『実録田中角栄』
雪深い新潟の農村に生まれた男はいかにして権力の階段を昇ったのか。
著者:大下英治
レーベル:朝日文庫
出版社:朝日新聞出版
発売日:2016年08月
実録田中角栄(上)https://a.r10.to/hDOdPt
実録田中角栄(下)https://a.r10.to/hww9Av
■『田中角栄 最後のインタビュー』
全盛期の知られざる発言全記録!
「道徳観のない政治家に人はついてこない」
著者:佐藤修
出版社:文藝春秋
発売日:2017年05月19日
楽天ブックス https://a.r10.to/hDTHSt
■『戦場の田中角栄』新書版
著者:馬弓良彦
発売日:2018年09月
楽天ブックス https://a.r10.to/hDUyl6
・米国の「陰謀」-その構図
レーベル:産経NF文庫
発売日:2020年02月
楽天ブックス https://a.r10.to/hwYuMr
「日本のエネルギー自立を願う田中角栄と、それを苦々しく思うアメリカとの壮絶な駆け引きがあった」
著者:田原総一朗
出版社:講談社
発売日:2016年08月19日
楽天ブックス https://a.r10.to/hDgTEp
■『異形の将軍 田中角栄の生涯』
戦後最大の栄光と汚辱を描いた一大叙事詩
著者:津本陽
出版社:幻冬舎
発売日:2004年02月
異形の将軍(上) 田中角栄の生涯 https://a.r10.to/h5jBuw
異形の将軍(下) 田中角栄の生涯 https://a.r10.to/hDwAQC
歴史認識、戦争賠償などの対立を越え、結ばれた日中国交
冷戦下、アメリカとの関係維持に腐心しながら試みられたものだった
著者/編集:服部龍二
レーベル:中公新書
発売日:2011年05月
楽天ブックス https://a.r10.to/hMng1r
■『田中角栄を葬ったのは誰だ』
検察の駆け引き、最高裁の不可解な動き、アメリカの圧力、等々…
・「日米司法取決」の闇
著者:平野貞夫
発売日:2016年07月
楽天ブックス https://a.r10.to/h6gokD
日中国交正常化を実現、独自の資源外交を展開する田中角栄に、大国アメリカの巧妙で執拗な罠
著者:仲俊二郎
出版社:栄光出版社
発売日:2011年11月
楽天ブックス https://a.r10.to/hwyorV
■『田中角栄の資源戦争』
アメリカの傘下を離れ、世界の資源国と直接交渉する大胆な「資源外交」
アメリカや欧州の覇権、石油メジャーやウラン・カルテルの壁を突き破ろうとした角栄
著者:山岡淳一郎
出版社:草思社
発売日:2013年04月02日
楽天ブックス https://a.r10.to/hDEF13
■「田中角栄に今の日本を任せたい」
角川SSC新書 (角川新書)
著者 大下英治
発売日:2011年11月10日
https://www.kadokawa.co.jp/product/201105000506/
出版社:ワック (2014/10/24)
■米国すら超える!「日中韓が心を一つに団結すれば」
「日中韓が心を一つにして発展すればさらに実力を発揮できるので、米国を軽々と超えられる」
exciteニュース(2021年4月12日)サーチナ
https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20210412082/