前野雅弥 (日経新聞 シニアエディター) (2018)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesjb/60/11/60_656/_pdf/-char/ja
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もう少し角栄が首相を続けていたなら,角栄は何を成していただろうか。
それは間違いなく資源外交だった。
角栄は中国との国交正常化を成したあと,すぐさま資源問題に着手した。
角栄にはもともと日本にとって資源問題は極めて重要な問題との認識が強かった。
首相に就任した時から側近に「このまま日本が資源を海外に牛耳られているのは問題だ。
特に石油をメジャー(国際石油資本)に押さえられた現状ではダメだ。
こういうことこそ,政治のトップが前面に立って突破口を開いていかなければならない」。
こう話していたのだった。
ここで筆者が思い出すのが 1990 年代の後半,筆者はエネルギー記者クラブの配属となった時のこと。
エネルギー記者クラブの主な守備範囲は電力・ガス業界と石油業界なのだが,ここで奇妙な日本語を耳にする。
「石油元売り会社」という日本語だ。
日本には「石油会社」はない。
あるのは「石油元売り会社」だけだというのだ。
石油会社というのは探鉱,掘削など石油開発と石油精製をあわせて行うというのが必要条件。
日本の場合,石油開発はほとんど行っておらず,手がけているのは石油精製と販売だけ。
精製する大本の原油はその大半をメジャーに掘り出してもらい日本に回してもらっている。
だから「石油元売り会社」というのが正確なのだというわけだ。
分かったような分からないような話だが,いずれにしても日本のエネルギー調達が完全に海外に押さえられてしまっているという事実だけはよくわかる。
角栄はこれを危惧した。第2次世界大戦で中国に出兵した時,「ガソリンがないから」という理由で車に乗せてもらえず歩いたというエピソードを披露しているが,エネルギーがないということがいかに惨めなことなのか,角栄は身に染みて感じていた政治家だった。
だから,角栄は日中国交正常化を成し遂げた後,さほど時間を置かずに資源外交に乗り出した。
1973年9月のことだ。
フランスを皮切りに英国,ドイツ,ロシアと角栄にしては珍しい長期の外遊だったが,そこで角栄は徹底的に日本のエネルギー調達ルートの多角化に道筋をつけようと奮闘した。
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田中角栄が挑んだ資源立国 - J-Stage
前野雅弥 (日経新聞 シニアエディター) (2018)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesjb/60/11/60_656/_pdf/-char/ja
■「その油、米国が回してくれるのか」(田中角栄のふろしき)小長秘書官の証言
日本経済新聞 2018年4月30日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29918350X20C18A4X12000/
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フランスを皮切りに英国、西ドイツと欧州からスタートした2週間あまりの資源外交。
ソ連でのブレジネフ会談をもって、ひとまず幕を閉じた。
期待が大きかった北方領土返還で決定的な言質を引き出せなかったとはいえ、日本とソ連の間で領土問題が懸案として存在することを認めさせたのは間違いなく角栄の剛腕だった。
そして何より肝心の資源の共同開発では欧州の国々との間で大筋で合意を取り付けることができた。
角栄自身、「いくばくか」と抑制を利かせながら「実りある旅だった」と資源外交を評価した。
万事、自分のことには控えめな角栄にしては珍しいことだったが、確かに中東一極集中、石油に依存しきった日本のエネルギー調達体制に警鐘を鳴らした意味は大きかった。
ただ、皮肉なことに角栄が鳴らした警鐘の有意性はすぐに証明されることになる。
まるで角栄がソ連から東に向かうのに歩調を合わせたかのようにイスラエル軍は戦線を東に拡大、ゴラン高原で一部、1967年の休戦ラインを突破したのだ。
第4次中東戦争が激しさを増し、日本の石油調達に黄色信号がともった。
こうなると角栄は再び激務の中に放り込まれる。
「郷に入れば郷に従えとはいうけれど……」。
資源外交中、欧州の長い食事に辟易(へきえき)としていた角栄だったが今度は食事をとる時間もなくなった。
裏を返せばそれだけ日本は緊迫していた。
決定的だったのは10月17日。
石油輸出国機構(OPEC)加盟のサウジアラビア、イランなどペルシャ湾岸6カ国が原油の「公示価格」を21%引き上げることを決める。
ウィーンでメジャー(国際石油資本)と引き上げ交渉に臨んでいたが中東戦争を背景に値上げを強行したのだった。
危機は石油の価格だけにとどまらなかった。
「中東戦争に石油を武器に」と唱えるアラブ石油輸出国機構(OAPEC)がその閣僚会議で、イスラエル支援国に対する制裁を打ち出したのだ。
親アラブの「友好国」にはこれまで通り石油を供給するが、イスラエル支援する「反アラブ」、またはその中間でも「非友好国」と判断し石油の供給を絞り込む措置を決めたのだった。
この決定で日本は凍りついた。
政界、官界はもちろん経済界は混乱を極めた。
日本はどっちだ。
友好国に入れば、間一髪で命脈を保つ。
しかし、仮に反アラブと見なされれば……。
日本経済は間違いなく致命的なダメージを受ける。
反アラブか友好国か、それとも非友好なのか。
情勢を見極めようと角栄もあらゆるルートから情報収集を試みる。が、簡単ではなかった。
1973年7月に角栄が設立した資源エネルギー庁はフル稼働、世界情勢を刻々と伝えてきたが、それだけでは十分ではなかった。
時間とともに事態は悪化の一途をたどる。
10月末、エクソンなど国際石油資本(メジャー)が日本に対して原油の供給量の削減を通告してきたころには、一部地域はパニックといっていい状況に陥っていた。
銀座のネオンは消え、スーパーマーケットにはトイレットペーパーを求め長蛇の列ができた。
「このままだと日本はまずい」。
ヒリヒリするような角栄の緊張感が秘書官の小長啓一に伝わってきた。
そんな時だ。
中東からの帰途、米国務長官、キッシンジャーが日本にやってくる。
11月15日。午前11時から行われた角栄との会談ではまさに「息が詰まるようなギリギリのやり取り」だった。
「国務長官ご就任おめでとうございます」。
和やかだったのは冒頭だけ。
キッシンジャーはすぐに切り込んできた。
「米国と一緒にイスラエルの味方をしてくれとまでは言わない。ただ、アラブの友好国となりアラブの味方をするのはやめて欲しい」
しかし、角栄がひるむことはなかった。
そしてピシャリ。
「日本は石油資源の99%を輸入、その80%を中東から輸入している。もし輸入がストップしたらそれを米国が肩代わりをしてくれますか」――。キッシンジャーが一瞬黙る。すかさず角栄が「そうでしょう」。
そのうえで畳みかけた。
「アラブにある程度、歩み寄った対応をせざるを得ない、日本の立場を説明するためアラブ主要国に特使を派遣する準備を進めている」。
日本はこれまで通り同盟国である米国との友好関係を維持しながら、石油資源については独自の外交を展開せざるを得ないことを毅然として説明したのだった。
11月22日。
角栄の言葉は現実のものとなる。
閣議で石油危機を打開するため中東政策を転換することを了承したのだ。
武力による領土の獲得や占領を許さないこと、1967年戦争の全占領地からイスラエルが兵力を撤退させることなどを官房長官、二階堂進の談話としてアラブ支持を明確に発表したのだった。
12月10日、今度は副総理の三木武夫を中東八カ国に差し向けた。
いわゆる「油乞い外交」。
経済協力という切り札も切ったが、何よりも「国際紛争の武力による解決を容認しないというのが日本外交の基本的態度」という姿勢が中東諸国の共感を呼んだ。
そして運命の12月25日、クリスマス。
ついに朗報が舞い込む。
OAPECが日本を「友好国」と認めたのだった。
日本に必要量の石油が供給されることが決まり危機は去った。
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「その油、米国が回してくれるのか」(田中角栄のふろしき)小長秘書官の証言
2018年4月30日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29918350X20C18A4X12000/
ライブドアニュース 2016年8月8日 プレジデントオンライン
https://news.livedoor.com/article/detail/11861690/
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・改めて、田中角栄を評価する
【田原総一朗】
石原さんは、立花隆が「田中角栄研究――その金脈と人脈」を書く前に、「文藝春秋」に厳しい田中批判の論文をお書きになった。
僕も読みましたが、非常に厳しい内容でした。田中批判の先鞭をつけた石原さんが、ここへきて田中角栄を評価する文章をお書きになった。
これはどういうことですか。
【石原慎太郎】
日本の文壇は狭量でね。
僕が政治家として売れてくると、逆に作品には偏見を持たれました。
たとえば『わが人生の時の時』は野間文芸賞の最有力候補になりましたが、選考委員の吉行淳之介が「こんなもの文学じゃない」って言い出した。
それから、いくつかの短編を集めた『遭難者』は金丸信が起訴されて自民党が指弾されたときだったから、一行も書評が出なかった。
自分で選んだ道だからしょうがないけど、自分の文学に申し訳なかったね。
ただ、政治家を辞めたら、こんどは早稲田大学の社会学の森元孝さんが『(石原慎太郎の社会現象学)――亀裂の弁証法』という、いい評伝を書いてくれました。
これで俺の文学が少し救われた気がしたね。
そのお礼に森さんと会食したのです。
その席で彼にこう言われてね。
「石原さんの『国家なる幻影』には田中角栄さんが非常に詳しく書かれている。
あなた、実は角さんが好きなんじゃないですか」。「たしかにあれほど中世期的でバルザック的な人間はいない。すごく興味があります」と答えたら、「私はあなたが一人称で書いた作品を愛読している。いっそ角さんを一人称で書いたらどうだろう」と言ってくれた。
それで『天才』を書き出したわけです。
【田原】
でも、もともと石原さんは田中角栄の金権政治を痛烈に批判していましたね。
【石原】
角さんが総理になって最初に国政選挙があったときですよ。
福田系の候補者がグループ(後の青嵐会)幹部の集まりにきて「みなさんに共感しているので当選したらグループに入ります」と挨拶をしていきました。
その男が「いまから公認料をもらいにいく」というので、誰かが「総裁室は4階だぞ」と教えてやると、「いや、砂防会館の田中事務所でもらいます」という。
これにみんな怒ったんです。
党の公認料を私的な事務所で渡すとは何事かと。
彼は砂防会館から、3000万円入った袋を持って興奮して帰ってきた。
それに加えて2000万円もらったそうな。
「いやあ、田中さんは偉大です」なんて言っちゃってね。
結局、そいつは本籍福田派だけど現住所田中派になった。
それをきっかけに僕は田中金銭批判を始めたのです。
【田原】
そもそも青嵐会ができたのは、田中角栄が日中国交正常化をやったときでした。
【石原】
日中国交正常化に反対したわけじゃない。反対だったのは航空実務協定。あれはめちゃくちゃでした。
【田原】
どういうことですか。
【石原】
交渉の中で、北京から外務省に密電が入ったんです。
当時の大平(正芳)外務大臣の記者会見で、北京が手なづけた新聞記者に「台湾から飛んでくる飛行機の尾翼には青天白日旗(中華民国・台湾の旗)がついているが、あれを国旗として認めるのか」と質問させるから、必ず否定しろという内容です。
当時の外務省の役人は、いまと違って腰抜けじゃなかった。
「こんな実務交渉がありますか」と切歯扼腕して、僕らに密電を見せてくれた。
それで実務協定はいかんと思った。
大平さんは僕の先輩だけど、それから盾突くようになっちゃった。
あとで大平さんの秘書から「なぜ盾突いたのか。大平先生は渡辺美智雄よりあなたに期待をしていて、俺の金脈はすべて石原君にくれてやると言ってたのに」と教えられてね。
それを聞いて、惜しいことしたなと思ったけど(笑)。
・田中角栄のどこがスゴいのか
【田原】
石原さんは反田中だったのに、一方で田中さんに魅力を感じていた。
どんなところに惚れたんですか。
【石原】
包容力というかな。
無邪気といえば無邪気なんだな。
あるときスリーハンドレッドクラブ(茅ヶ崎市)にあるローンのコートで仲間とテニスをしたんです。
みんなは昼飯を食いに玄関に入っていったけど、僕は勝手を知っているから近道してテラスから入った。
すると、青嵐会の参議院の代表をしていた玉置和郎(元総務庁長官)が座っていて、こっちを見てバツの悪そうな顔をしている。
玉置の表情を見て怪訝に思ったんだろうな。
向かいに座っていた人がこちらに振り向いたら、闇将軍の角さんだった。
まずいと思ったよ。
青嵐会は角さんに弓を引きましたからね。
ところが角さんは、「おい、石原君、久しぶりだ。ちょっと来い」と手招きする。
恐る恐る近づいて、「いろいろご迷惑をおかけました。申し訳ありませんでした」と頭を下げたら、角さんが遠くにあった椅子を自分で運んできて、「お互い政治家だろう。気にするな。いいから座れ」と言って、ウエイターにビールまで注文してくれた。
僕もバツが悪いから、「先生、照る日も曇る日もありますから、またがんばって再起なさってください」と言ったんだけど、角さんは気にした様子もなくてね。
「君、今日テニスか。俺は軽井沢に3つ別荘を持ってる。テニスコートが2つあるんだが、子供や孫に占領されてできねえんだ」と言って笑うんです。
しまいには玉置に向かって「テニスはいいんだぞ。短い時間で汗かくから」とテニスの講釈まで始めた。
それを見て、この人はなんて人だろうと思ったな。
【田原】
なんて人だろうっていうのは、どういう意味ですか。
【石原】
何というのかな、端倪すべからざるというか、寛容というか。
僕は、この人は不思議な人だと思ってしびれたね。
【田原】
田中角栄は石原さんのことをどう思っていたんだろう。
【石原】
買ってくれてたんじゃないかな。
プロスキーヤーの三浦雄一郎っているでしょう。
僕はあいつがヒマラヤのサウスコル大滑降のときに総隊長を務めたんだけど、その縁で参院選の自民の全国候補にしたんです。
ただ、あいつは肉体派。
候補者として不規則な生活をしているうちにノイローゼになってきた。
いつだったか長野で講演会をやるというので様子を見にいったら、建物前の石畳にツェルト(小型テント)を張って三浦がビバーク(野営)していて、ニンジンをかじりながら出てきた。
「何してるんだ」と聞いたら、「僕、こうでもしていないともたないんです」と。
そのうちに僕は当時幹事長だった角さんから呼び出されてね。
「おい、石原君、これは何だ」と差し出されたのが、三浦から角さんへの手紙でした。
そこには僕への悪口が綿々と書いてある。
「石原はスポーツマンと称しているけどインチキだ」とかね。
長い手紙で、ぜんぶに割り印が打ってありました。
角さんはそれを見せて、「こりゃ疲れてるぞ。君がついているかぎり勝つに決まっているんだから、休ませろ」という。
おまえがついていれば勝てるだなんて、この人は俺を評価してくれているんだとそのとき思いました。
・田中角栄の功績は「日本列島を一つの都市圏」にしたこと
【田原】
僕は、田中角栄は人間的なキャラクターだけでなく構想力も一流だったと思う。
田中角栄は都市政策大綱というものをつくった。
要するに日本列島を一つの大きな都市圏にしようという構想です。
【石原】
角さんのおかげで日本は今そうなったじゃないですか。
【田原】
そう。北海道から九州まで、どこからどこへ行くのにも1日で往復できるようになった。
【石原】
日本中に新幹線と高速道路をめぐらせて、各エリアに地方空港をつくった。
それはやはりすごいことですよ。
われわれは角さんのつくった現実の中にいる。
ヘーゲルは「歴史は他の何にも増しての現実だ」と言ったけど、私たちは現代という歴史の中で生きているのだから、角さんをとても否定できませんよ。
【田原】
いまの日本をつくったのは、田中角栄の構想力ですか。
【石原】
文明史「勘」だと思う。
あの人の、先を見通す力はものすごかった。
【田原】
田中角栄は法律を議員立法で33もつくった。
これもすごいね。
【石原】
すごいですよ。
僕は大田区の選出だから、中小零細企業を抑圧する下請け契約を監視する経済Gメンをつくったらどうかという法律を議員提案したことがある。
自民党の中では「お前は社会党より左だ」と言われたし、労働組合に持っていったら総評(日本労働組合総評議会)も同盟(日本労働組合総同盟)も両方とも反対した。
結局みんな企業側だから、けんもほろろに言われた。
議員提案はとても難しいんだ。
【田原】
なるほど、石原さんは総評や同盟より左だったんだ(笑)。
【石原】
そう言われたね。
それから角さんとの絡みでいえば、選挙権を18歳に下げようというキャンペーンもダメだったな。
前にキャンペーンをやったことがあって、角さんが幹事長で僕が参議院にいたころ、もう一回、やろうとしたんです。
それで「自民党の講堂を貸してください」と頼んだら、「ダメだ」と一笑に付されました。
【田原】
なんでダメだったんですか。
【石原】角さんには、「選挙権なんて20歳でも早過ぎるんだよ。あんなの未成熟じゃないか」と言われましたね。
いま振り返ると、18歳は反権力、反権威で、自民党のためにならないと思ったのかもしれないけど。
【田原】
石原さんはロッキード事件をどう見ますか。
【石原】
僕は参議員のころから国会議員でただ一人、外人記者クラブのメンバーでした。
あのころ古いアメリカ人の記者たちといろんな話をしたけど、連中は異口同音に「あの裁判はおかしい。なぜコーチャン、クラッターに対する反対尋問を許さないのか。免責証言なんてアメリカでも問題になっている」と言っていました。
あれはやっぱり日本の裁判にとって恥辱。
最高裁は謝罪すべきです。
【田原】
僕はずいぶん詳しく調べたけど、少なくとも検察の言っている5億円の場所、日時、全部、間違いだね。
【石原】
あれは検事の書いた小説。
角さんの秘書の榎本(敏夫)がサインしちゃったけど、わけのわからない話だった。
それよりロッキード社に関しては、他にもP3C対潜哨戒機(対潜水艦用の航空機)の導入をめぐる疑惑があったでしょう。
ところがP3Cの問題は、児玉誉士夫がつぶしてしまった。
【田原】
僕はテレビ朝日の『モーニングショー』に秘書の榎本を呼んで証言させて、2日間、ロッキード事件をやったの。
2日目の終わりに「明日はP3Cをやる」と宣言したら、僕とプロデューサーは三浦甲子二(元テレビ朝日専務)に呼ばれて、「絶対P3Cは許さない」と言われた。
「それでもやる」って言ったら、「それなら番組をつぶす」とまで言われたよ(笑)。
話を戻すと、ロッキードの裁判はおかしかった。
石原さんは訴えますか。
【石原】
最高裁が間違いを認めることで角さんは浮かばれますよ。
俺の本が売れたぐらいじゃどうにもならないけど、あの人の贖罪はしなくちゃいけない。
だからあなたも協力してください。
【田原】
そうね。ぜひ。
(中略)
・なぜいま、田中角栄のような政治家は出てこないのか~田原総一朗
田中角栄のすごいところは2つあります。
1つは構想力。
1967年に社会党と共産党に支持された美濃部亮吉が東京都知事になりました。
それと前後して、神奈川、大阪、京都、名古屋が革新になった。
それに危機感を持った田中角栄は、「中央公論」に「自民党の反省」という論文を書きました。
解決策として提示したのが、「日本列島改造論」の下敷きになった都市政策大綱です。
日本は太平洋側だけ発展して、日本海側や中日本は取り残されていました。
そこで田中角栄は日本を1つの都市にしようと構想しました。
具体的には全国に高速道路と新幹線を張り巡らし、各都道府県に空港をつくり、日本の4つの島を橋とトンネルで結び、日帰りでどこでもいけるようにする。
そうすれば企業も分散するというわけです。
もう1つは、人間としてのキャラクターです。
石原さんも言っていましたが、田中角栄は誰でも受け入れるスケールの大きさがありました。
たとえそれが敵対する相手でもです。
昔の自民党は、そうした懐の深さがありました。
当時、自民党は田中派と大平派がハト派、福田派と中曽根派がタカ派で、どちらかが主流派になれば反対の派閥が非主流派になってバランスがとれていました。
党内で活発な議論をしていたから、当時、野党に関心を持っている人はいなかったですよ。
ここにきて角栄ブームが起きているのは、いまの政治に構想力が足りないせいでしょう。
アベノミクスは、第1の矢の金融政策と、第2の矢の財政政策が奏功して株価が上がりました。
しかし、第3の矢である成長戦略のための構造改革は進んでいない。
構造改革は改革したあとの世界をどうするのかという構想が必要なのに、そこを描き切れていません。
もしいま田中角栄がいたら、何かしら新しい構想を打ち出して国民に見せていたでしょう。
どうしていま田中角栄のような政治家が出てこないのか。
それは政治家が守りに入ったからでしょう。
田中角栄は何もない焼け野原から出発しましたが、いまの政治家は守るものがあって、チャレンジしないのです。
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田原総一朗×石原慎太郎「田中角栄論」
ライブドアニュース 2016年8月8日 プレジデントオンライン
https://news.livedoor.com/article/detail/11861690/
■石原慎太郎がいま明かす「私が田中角栄から学んだこと」~人を見て、先を見通す天才だった~
週刊現代 2016.05.06
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48554
~~~
・なぜ役人をうまく使えたか
田中角栄は29歳で初当選したとき、地元でこう呼びかけました。
「裏日本といわれている雪国の新潟を表日本にするには三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばしてやればいい。そうすれば新潟に雪は降らなくなって、その土を日本海にもっていけば佐渡島を陸続きにできる。そうなったら、逆に東京から人が新潟に出稼ぎに来るようになる」と。
むちゃくちゃだけど、これは、殺し文句だと思うね。
こういう郷土愛の延長に国への愛着があって、角さんは日本をより機能的、文明的に改良しようとした。
役人をうまく使ってね。
役人を使うのがうまかったというのは、言い換えれば役人を馬鹿にしていたということですよ。
だって、彼らには発想力というものがない。
僕も長いあいだ都知事をやりましたけど、知事というのは一種の「独裁者」的存在でね。
これは僕じゃなくて橋下(徹)君が言った言葉だけども、ある意味でそうだと思う。
発想力と権限をもった政治家が指揮しないと、役人は動かない。
国政も同じことですよ。
そういう意味では角さんは官僚出身の政治家を馬鹿にしていたと思う。
福田赳夫もそう。
一般には「角福戦争」と呼ばれて、角さんと福田さんは総理の座を争ったとされているけど、政治家としては角さんのほうが数段上。
戦う前からすでに角さんが総理になる方向で勝負はついていたと思いますよ。
少なくとも角さんはそう確信していたはずだな。
角さんのすごいところは、政治力というよりも、人間の能力ですよ。
予見性というのかな、先を見通せるだけの文明史「勘」をもっていた。
いまの政治家は発想力がないし、教養もない。
歴史も知らないでしょ。
まして文明史「勘」をもった政治家なんていませんよ。
彼はね、河井継之助に似ているんですよ。
司馬遼太郎さんの『峠』という作品に、越後長岡藩の家臣だった河井継之助が若い頃、上越国境の三国峠を雪崩に巻き込まれながら死ぬ思いで越えて江戸に出てくる話がある。
ところが江戸に来てみると、冬空はカラリと晴れてカラっ風が吹いていて、越後と江戸の風土の違いを痛感する。
と同時に中央に対する反感が生まれ、戊辰戦争で明治新政府に楯ついて最後は自滅してしまうわけだけど、角さんにも継之助と重なるところがある。
角さんの場合、雪の峠道を越えてきたわけじゃないかもしれないが、東京に対する憧れと反感というか、鬱屈した感情があったんでしょうね。
それは郷土愛の裏返しといってもいい。
あれだけ骨身を削って故郷のために尽くせば、そりゃ新潟の人たちは角さんのことを絶対に忘れませんよ。
いま上越新幹線や関越道を利用している人たちがみんな、今日こんなに便利になったのは田中角栄のおかげだと思っているわけではないでしょう。
けれど、新潟の人たちにとって、田中角栄はいまも記憶から拭いがたい存在であることに変わりはない。
・人を見る天才だった
たしかに私は、田中角栄の金権主義を最初に批判し、真っ向から弓を引いた人間でした。
いまさらこんなものを書いて世に出すことで「政治的な背信」と言われるかもしれませんが、政治を離れたいまこそ、政治に関わった者としての責任でこれを記しました。
歴史というものの重みを知ってもらいたいと思ったし、ヘーゲルが言うように、歴史とは人間にとって何よりも大事な現実ですからね。
私自身は商売に携わったことはないし、人からカネをもらったこともない。
選挙も自分のカネでやりましたけども、一方で自民党の戦後の歴史というのは、要するに金権主義なんですよ。
そういう自民党の中でのしあがっていくには、金権という方法論しかなかったんでね。
だから金権そのものは角さんのというよりは、自民党の体質だったわけです。
ただ、あの人が商売の天才だったことは間違いないね。
戦争中に25歳で田中土建工業を設立して、短期間で業界50社以内の売り上げにしている。
すごい話ですよ。
たんなるカネ儲けの才能だけじゃなくて、人を見る目、人間観も鋭い。
僕が角さんはすごいなと思うのは、ニクソン元米大統領やキッシンジャー元米国務長官がベタ褒めした周恩来元首相のことを彼はまったく評価していないことでね。
そんなことを言ったのは田中角栄ただ一人ですよ。
周恩来は役人として優れていただけで、毛沢東の下で生きながらえた。
何度も失脚の危機を乗り越え、「不倒翁」と呼ばれたのは、彼が小物だったからだと角さんは見抜いた。
結局、役人を馬鹿にしていたということです。
そんな田中角栄にてこずったのが米国でした。
米国に頼らない角さんの資源外交が彼らの逆鱗に触れて、それでロッキード事件によって彼を葬ったわけです。
・ロッキードは気の毒だった
ロッキード事件当時、私は国会議員のなかで、一人だけ外国人記者クラブのメンバーでね。
古参の米国人記者がロッキード裁判を傍聴して驚いていました。
ロッキード社副会長が日本で起訴されないことを条件に証言し、それが裁判の証拠として採用された。
しかも、当の副会長に対して反対尋問さえ許されない、という日本の司法のありように首をひねっていたのを覚えています。
私もあのとき米国の策略に騙された一人だったけれども、いまにして思えば、あのロッキード事件は角さんが気の毒だった。
角さんは航空機トライスターの購入をめぐって賄賂を受け取ったとして逮捕されましたが、ロッキード社に関しては他にもP3C対潜哨戒機の導入をめぐる、もっと大きな疑惑があった。
こちらに関与している政治家はもっとたくさんいたんですよ。
ところが、これは完全に黙殺されてしまった。
だから、あのロッキード裁判はいろんな意味でめちゃくちゃです。
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石原慎太郎がいま明かす「私が田中角栄から学んだこと」~人を見て、先を見通す天才だった~
週刊現代 2016.05.06
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48554
■石原慎太郎が語る田中角栄と日本政治!日本の政治はちゃちになってきた!
【石原慎太郎】 報道2001>石原慎太郎の「田中角栄と橋下徹」
https://www.youtube.com/watch?v=KkiBDlj6-k8
■石原慎太郎語録
・高速道路、新幹線、飛行機のネットワーク...私たちが生きている現代を作ったのは田中角栄だ。
・政治家には先の見通し、先見性こそが何よりも大切なので、未開の土地、あるいは傾きかけている業界、企業に目をつけ、その将来の可能性を見越して政治の力でそれに梃子入れし、それを育て再生もさせるという仕事こそ政治の本分なのだ。
・日本の政治家はみんな官僚みたいになりました。大学の教授に『田中角栄のことを一人称で書いたらどうですか』って言われ、なるほどな、と思って書きました。田中角栄とは天才ですね。郵政大臣の時に43のテレビ局全部を認可しました。新幹線も高速道路も、飛行場もそうです。すごい。こんな政治家いませんね。
・ロッキード事件は完全にでっち上げです。よく分かりました。角さんが総理大臣をやっていた昭和49年の参院選。あのとき自民党の公認料は1人3千万円ですよ。選挙で使ったお金は300億円です。だから、ロッキード事件の5億円は角さんにしたら選挙費用の中で、はした金。金集めたら偉いと思わないけど。それに彼が作った個人立法が33本あるんですよ。政治家1人が個人的に作った法律がそんなに通用している政治家はいませんよ。
・彼はアメリカという支配者の虎の尾を踏み付けて彼らの怒りを買い、虚構に満ちた裁判で失脚に追い込まれた。アメリカとの交渉で示した姿勢が明かすものは彼が紛れもない愛国者だったということ。
・いずれにせよ、私たちは田中角栄という未曽有の天才をアメリカという私たちの年来の支配者の策謀で失ってしまったのだ。歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、この国にとって実は掛け替えのないものだったということを改めて知ることは、決して意味のないことではありはしまい。
・(未曾有の日本国の高度な繁栄等は)その多くの要因を他ならぬ田中角栄という政治家が造成したことは間違いない。田中角栄という天才の人生は、この国にとって実に掛け替えのないものだった。この歳になって田中角栄の凄さが骨身にしみた。
(石原慎太郎)
■『知識ゼロからの田中角栄入門』
・そもそも田中角栄ってどんな人?
・田中角栄の青春時代
著者:小林吉弥
出版社:幻冬舎
発売日:2009年03月
楽天ブックス https://a.r10.to/hDs0AJ
■『人間・田中角栄』
時を越えて語り継がれる角栄の涙が、現代を生きる人々の「人生の足元」を明るく照らす。
人情、そして弱者への愛ー政治家の「原点」がここにある。
出版社:宝島社
発売日:2018年05月
楽天ブックス https://a.r10.to/haJb3p
■『田中角栄 上司の心得』
田中角栄元総理の言行より、やがて来る「コロナ後」の社会でも活用できる数多の心得を紹介
著者:小林吉弥
出版社:幻冬舎
発売日:2021年01月27日
楽天ブックス https://a.r10.to/hDJmu2
■『田中角栄回想録』
「池田・佐藤政権の屋台骨を支えつづけた十年」
「日ソ外交史に残る田中・ブレジネフ会談」
出版社:集英社
発売日:2016年08月19日
楽天ブックス https://a.r10.to/hwzTiU
■『田中角栄魂の言葉88』
角栄が残した言葉にはどんな時代にあっても変わらぬ「人間の真実」と「珠玉の知恵」がある。
“魂の言葉”とも言うべき名言をセレクト
レーベル:知的生きかた文庫
出版社:三笠書房
発売日:2016年06月03日
楽天ブックス https://a.r10.to/h6GdAz
■『入門田中角栄新装版 語録・評伝』
「原点」復刊。
・名語録(政界立志編/刑事被告人編/人生訓・趣味編)
出版社:新潟日報事業社
発売日:2016年07月
楽天ブックス https://a.r10.to/hDU8Lr
■『田中角栄100の言葉 日本人に贈る人生と仕事の心得』
「やる気」を引き出す天才、心に残る「角さん」の名語録
・仕事(まずは結論を言え/伝説の蔵相就任演説 ほか)
・人生(勤労を知らない不幸/二重橋を渡る日 ほか)
・生きる(人生の「間」/臭い飯 ほか)
出版社:宝島社
発売日:2015年02月
楽天ブックス https://a.r10.to/hy7D3f
■『田中角栄頂点をきわめた男の物語 オヤジとわたし』
「オヤジとわたし」改題書
54歳の若さで日本の最高指導者に登りつめた秘密のカギは何であったのか?
レーベル:PHP文庫
発売日:2016年06月03日
楽天ブックス https://a.r10.to/hDrQlt
■『実録田中角栄』
雪深い新潟の農村に生まれた男はいかにして権力の階段を昇ったのか。
著者:大下英治
レーベル:朝日文庫
出版社:朝日新聞出版
発売日:2016年08月
実録田中角栄(上)https://a.r10.to/hDOdPt
実録田中角栄(下)https://a.r10.to/hww9Av
■『田中角栄 最後のインタビュー』
全盛期の知られざる発言全記録!
「道徳観のない政治家に人はついてこない」
著者:佐藤修
出版社:文藝春秋
発売日:2017年05月19日
楽天ブックス https://a.r10.to/hDTHSt
■『戦場の田中角栄』新書版
著者:馬弓良彦
発売日:2018年09月
楽天ブックス https://a.r10.to/hDUyl6
・米国の「陰謀」-その構図
レーベル:産経NF文庫
発売日:2020年02月
楽天ブックス https://a.r10.to/hwYuMr
「日本のエネルギー自立を願う田中角栄と、それを苦々しく思うアメリカとの壮絶な駆け引きがあった」
著者:田原総一朗
出版社:講談社
発売日:2016年08月19日
楽天ブックス https://a.r10.to/hDgTEp
■『異形の将軍 田中角栄の生涯』
戦後最大の栄光と汚辱を描いた一大叙事詩
著者:津本陽
出版社:幻冬舎
発売日:2004年02月
異形の将軍(上) 田中角栄の生涯 https://a.r10.to/h5jBuw
異形の将軍(下) 田中角栄の生涯 https://a.r10.to/hDwAQC
歴史認識、戦争賠償などの対立を越え、結ばれた日中国交
冷戦下、アメリカとの関係維持に腐心しながら試みられたものだった
著者/編集:服部龍二
レーベル:中公新書
発売日:2011年05月
楽天ブックス https://a.r10.to/hMng1r
■『田中角栄を葬ったのは誰だ』
検察の駆け引き、最高裁の不可解な動き、アメリカの圧力、等々…
・「日米司法取決」の闇
著者:平野貞夫
発売日:2016年07月
楽天ブックス https://a.r10.to/h6gokD
日中国交正常化を実現、独自の資源外交を展開する田中角栄に、大国アメリカの巧妙で執拗な罠
著者:仲俊二郎
出版社:栄光出版社
発売日:2011年11月
楽天ブックス https://a.r10.to/hwyorV
■『田中角栄の資源戦争』
アメリカの傘下を離れ、世界の資源国と直接交渉する大胆な「資源外交」
アメリカや欧州の覇権、石油メジャーやウラン・カルテルの壁を突き破ろうとした角栄
著者:山岡淳一郎
出版社:草思社
発売日:2013年04月02日
楽天ブックス https://a.r10.to/hDEF13
■「田中角栄に今の日本を任せたい」
角川SSC新書 (角川新書)
著者 大下英治
発売日:2011年11月10日
https://www.kadokawa.co.jp/product/201105000506/
出版社:ワック (2014/10/24)
■米国すら超える!「日中韓が心を一つに団結すれば」
「日中韓が心を一つにして発展すればさらに実力を発揮できるので、米国を軽々と超えられる」
exciteニュース(2021年4月12日)サーチナ
https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20210412082/