■愛を平和を 寄り添い続け 寂聴さん 原点に戦争体験
山陰中央新報社 2021/11/12
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/120608
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瀬戸内寂聴さんは「戦争だけは絶対あってはならない」と繰り返し語り、平和の尊さを訴え続けた。
その原点には、母親と祖父を亡くした戦争体験があった。
終戦直前の7月、故郷の徳島市が激しい空襲に見舞われ、2人は防空壕(ごう)で焼け死んだ。
生真面目な母は「日本が空襲されるようになった時は、日本は滅びる時だ」と信じ、逃げようともしなかったという。
戦時中、北京に暮らしていた瀬戸内さんが2人の死を知ったのは、日本への引き揚げ後だった。
瀬戸内さんは「寂庵」(京都市)での毎月の法話の会でも、たびたび反戦を説いた。
2018年の共同通信への寄稿では「釈迦(しゃか)の教えの根本は『殺すなかれ、殺させるなかれ』である。その釈迦の言葉だけを信じて、晩年を生き延びている」と記している。
戦争への怒りは行動でも示した。
1991年の湾岸戦争、2001年の米中枢同時テロとアフガニスタン攻撃の際には、犠牲者の冥福と即時停戦を祈り断食を敢行。
03年のイラク戦争では、反戦を表明する意見広告を自費で新聞に掲載した。
安倍晋三政権(当時)が集団的自衛権の行使容認に突き進んだ14年には、作家の大江健三郎さんやルポライターの鎌田慧さんらと共に「戦争をさせない1000人委員会」を立ち上げた。
安全保障関連法案の成立が現実味を帯びた15年にも、国会前での反対集会に参加。
胆のうがんなどの療養後に活動を再開したばかりだったが、「良い戦争はない。戦争は全て人殺しです」と車いすから立ち上がって訴えかけた。
反戦運動に加えて、核兵器廃絶や反原発運動にも積極的に関わり、虐待や性暴力の被害に遭っている女性を支援する全国ネットワーク「若草プロジェクト」の呼び掛け人代表を務めた。
一貫していたのは、国家の横暴によって犠牲になる大衆に寄り添う姿勢だった。
鎌田さんは「すごく行動力のある作家でした」と振り返る。
「遠い声」など社会運動家を題材にした小説群を念頭に、「寂聴さんは当時の左翼の中では〝異端〟で、早い時期から無政府主義者を評価していた。出家して、政治運動に参加するようになる以前から、骨太な政治意識を持っていたのでしょう」と語った。
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愛を平和を 寄り添い続け 寂聴さん 原点に戦争体験
山陰中央新報社 2021/11/12
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/120608