■国産ワクチン、なぜ出てこない?
塩野義・手代木社長に聞く
日経ビジネス 2021.3.30 大竹剛 日経ビジネス副編集長
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/032600173/
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ー塩野義製薬を含む日本の製薬会社のワクチン開発が欧米勢より遅いのはなぜでしょうか。
手代木功・塩野義製薬社長(以下、手代木氏):ワクチンや治療薬、診断薬を開発するフットワークが重いのではないかと見られていることについては、真摯に受け止めないといけないと思っています。
もちろん、日本の製薬会社は規模が欧米に比べて小さいとか、バイオ医薬品の潮流に全体として乗り遅れたとか、そういった理由もあるでしょう。
ただ今回、欧米で接種が始まっているメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンにしても、ウイルスベクターワクチンにしても、日本にそうしたプロジェクトをやるベンチャーや製薬会社がなかったのは、産官学でそうした基盤を育ててこなかったからです。
その点については、欧米に学ぶところは多いと思います。
また、緊急事態だという割には、緊急時に備える制度が不十分という点もあります。
米国では、Emergency Use Authorization(EUA、緊急使用許可)という、通常の薬事承認ではない制度があります。
今、日本で接種が始まっている米ファイザーのワクチンなどは、通常の承認ではなくてEUAを受けています。
いわば、「平時」と「戦時」の体制の違いが、日本と欧米との間で際立ってしまったと思います。
ーワクチンの開発で、日本は「戦時」への備えが十分ではなかったということですか。
手代木氏:一言で評価するのは難しいのですが、ワクチンの開発については当初想定していなかった状況になりました。
ワクチンの種類で分けると、ファイザーと米モデルナのmRNAワクチン、英アストラゼネカと米ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)のウイルスベクターワクチン、米ノババックスの組み換えタンパク質ワクチンの3つが、圧倒的に開発が速かった。
しかし、日本にはこれらの開発基盤がなくて、不活化ワクチンという伝統的な技術しかありませんでした。
これは、インフルエンザのワクチンをつくるために使っている技術で、卵で培養したウイルスを不活化するものです。
新型コロナウイルスのワクチンには、卵でウイルスを培養して不活化するという伝統的な手法が一切使えませんでした。
この状況から「ヨーイ・ドン」で開発競争が始まったので、スピードの面ではかないません。
さらに、ファイザーやアストラゼネカは従来ならどんなに早くても開発に3~5年かかるところを、8カ月ほどで製品化してきました。
そして、後発組にとって厳しい状況が生じます。
ファイザーなどのワクチンが急ピッチで進んだことに加えて、現時点で分かる範囲のデータでは、高い有効性が確認されたことです。
その結果、後発組が治験のフェーズ3(第3相)に必要なプラセボ(偽薬)との比較をする大規模試験を実施することが難しくなってきています。
ーどういうことですか?
手代木氏:有効性が確認されているワクチンが既にあるなかで、健康な人にプラセボを接種することは倫理的な観点から難しいからです。
プラセボは健康な人にとっては、デメリットしかありませんから。
何もワクチンがない時点なら、プラセボとワクチン候補の比較試験をするしかありません。
しかし、有効性のあるワクチンができた後では、健康な人にプラセボを打つことは正当化しにくい。
そのため、ファイザーなどがワクチンを提供し始めた後は、世界中の会社がプラセボとの比較をするフェーズ3を実施することが難しくなっています。
ただ、今先行しているワクチンがベストなワクチンなのかどうかは、まだ分かりません。
そうした中で今後どうしていくのかに、今、世界中が迷っています。
フェーズ3を実施する代わりに、例えば、フェーズ1、2を経て一定の規模感でテスト投与をしてみて安全性を確認する。
そして、ウイルスをなるべく無毒化する中和抗体とウイルスを排除しようとする細胞性免疫がきっちり機能していることを確認したうえで、接種後の副反応や、発症した人の状況を細かくデータを取ってモニタリングすることを条件に仮承認するといった対策が必要ではないでしょうか。
さもなければ、残された手段は「チャレンジ試験」くらいしかありません。
これは意図的にウイルスに感染させて、ワクチンを打った人とそうでない人を比較するという試験です。
これも1つの選択肢だとは思いますが、本当に切れ味のいい治療薬がまだない中で、どこまで現実的に可能なのか。英国はチャレンジ試験を許可しましたが、背景にはそこまでしなければ新しいワクチンが出てこないという危機感があります。
・ワクチンだけでは「平時」には戻れない
ーそうした状況で、塩野義のワクチン開発はどのような段階にありますか。
手代木氏:2020年12月に治験を始めて、生産体制の構築も同時に進めています。
4月からは生産設備を増強して、年間3000万人分のワクチンをつくれる体制を2021年中に整えます。
ワクチンの開発と生産体制の構築については、当初計画からの遅れはありません。
フェーズ3を実施するための体制はできています。
ただ、先ほどお話ししたように、現時点ではフェーズ3を実施することが難しくなってきている点がネックなのです。
そのため、しっかりデータを取ってモニタリングをするのでフェーズ3の代替手段を認めていただけないかと、国に相談させていただいています。
ー国産ワクチンは安全保障上の観点からも重要だと指摘していますね。
手代木氏:例えば変異株の問題があります。
インフルエンザウイルスも毎年、自然変異しています。
世界保健機関(WHO)がそのシーズンに流行するのはこのウイルス株ではないかという予想を出しています。
ワクチンメーカーは、それに合ったワクチンをつくっているんです。
日本で毒性の強い変異株が新たに出たとしましょう。
そんなときに、日本株向けのワクチンを海外メーカーが迅速につくってくれるでしょうか。
また、創薬国である日本が、新型コロナのワクチンを自らつくらず、海外から買い占めるような行為には批判がつきまといます。
国産ワクチンを提供できない現状では、国民を守るために政府ができる限りのことをして人数分のワクチンを確保するのは正しいと思います。
しかし、この先もそれを続けていいのでしょうか。
むしろ、世界的に見れば、日本はワクチンを供給する側に立つべきですし、その力はあります。
世界も日本にそう期待しているのではないでしょうか。
中国は、アジアの国々に対してワクチンを供給することで関係を強化しようとしています。
困ったときの助けがあってこそ、平時の関係が強化されるのです。
我が国も、そういうことをもっと考えてもいいのではないでしょうか。
ー日本でもワクチン接種が始まっていますが、今がまだ「戦時」の状況だとすると、「平時」に戻るのはいつごろになるとみていますか。
手代木氏:ワクチンは決して、コロナ対策のゴールではないんです。
ワクチンは1回打って終わり、という話ではなくて、安全性や有効性を継続的に判断していくために、中長期的にきっちりと接種した人の状況をデータベース化してフォローしていく体制も必要になってきます。
日本はかかりつけ医の先生方がいるので、本来はかかりつけ医で接種してもらい、何か異常があったら先生に相談するということができる体制が整っていますが、集団接種ではそれが機能しません。
今後は、日本の医療体制を考えたワクチンを作ることが必要でしょう。
とりあえず、急いで全国民にワクチンを打てば生活は正常化するんだ、という状況ではないのです。
ゴールは、診断薬、ワクチン、治療薬の3セットが具備されて、インフルエンザと同じような状況になって国民が安心して生活できるようになることです。
一刻も早く安心して生活が送れるように、私たちもワクチンや治療薬、診断薬の開発に夜を徹して努力していますが、そのような状況になるのは22~23年ではないでしょうか。
・次のパンデミックへ国全体で備えを
ー「平時」に戻っても、次のパンデミックが起きる可能性もあります。
手代木氏:次のパンデミックが起きるときに備えて、重症化した際の医療体制を構築することが大切です。
そして、今回はワクチン、治療薬、診断薬の3つがそろうまでに2~3年かかる見込みですが、それを1年でできるような体制づくりを、産業界や学術界も含め国全体として進めておくことが必要でしょう。
ただ、現状では国内の感染症研究者はどんどん減ってきて非常に少ない。
どうしてこのような状況になったかというと、感染症の研究をする人にお金が回らないからです。
製薬会社も悪い。
ほとんどのメーカーが感染症をやらずに、がんなどお金になるものばかりやってきました。
がん研究者には潤沢にお金が回るんですよね。
一方、感染症はお金にならないから、大学も研究室を維持できずにどんどん縮小してきました。
こうした状況を何とか変えなければなりません。
パンデミックが起きたら、何十兆円もの経済的な損失が出ます。
それほどの損失が仮に10年に1回出るとしたら、研究体制や生産体制の構築に、平時から毎年数千億円の規模で基盤整備を進めた方が安くないですか。
それには、国のサポートと国民のコンセンサスが不可欠です。
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国産ワクチン、なぜ出てこない?
日経ビジネス 2021.3.30
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