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日銀金融緩和で刷られた円の行き先が日本企業でも日本国民でもないカラクリ(Dr.苫米地 2016年9月15日TOKYO MXバラいろダンディ) https://www.youtube.com/watch?v=tvzNqO6qsGI

■【石原慎太郎 日本よ ふたたび】 奢れる白人よ 君たちの世界支配はもう終わったのだ 産経ニュース:2015.12.26

 

■【石原慎太郎 日本よ ふたたび】

奢れる白人よ 君たちの世界支配はもう終わったのだ

産経ニュース:2015.12.26

https://www.sankei.com/column/amp/151221/clm1512210006-a.html


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世界の歴史を振り返ってみると、長く暗黒だった中世が終わった後の世界の歴史は白人による有色人種の国土の一方的植民地化と富の収奪だった。

アメリカはその典型的な実例の一つといえる。


唯一の例外はトインビーが奇蹟と称した日本という近代国家の存在だった。

それが引き金となり第二次世界大戦は起こり、さらにそれが引き金となって戦後あらゆる植民地は独立を果たし国連にも参加を許されるようにはなった。


大江健三郎はかつてノーベル賞の受賞記念講演で何にへつらいおもねったのか『日本は所詮ヨーロッパの周辺の国です』と述べたがこれは歴史的無知としかいいようない。


中世以後の白人による支配がいかに無慈悲一方的だったかを明かす事例にはことかかない。

比類ない文化を誇ったインカ帝国は侵入したスペイン人が持つわずか三挺の鉄砲によって滅ぼされ支配に屈した。

ヨーロッパの白人が十五世紀にアラブ人から習った航海技術によって初めて大西洋を渡り発見した西インド諸島でゲイムとして猟犬を使って無慈悲な人間狩りをした頃、彼等はキリスト教の本山のバチカンにお伺いをたて彼等有色人種を人間と見なすべきかそれとも獣とすべきかを質(ただ)し、時のパウロ三世は「本来は獣であるが、キリスト教に改宗したら人間と見なす」との御宣託を与えている。


十六世紀に入り日本にやってきた宣教師たちがおぼろげな日本の地図を造り持ち帰って見せた時のバチカン法王は、当時のイベリア半島からイスラム教徒をすべて駆逐しつくして勢いを誇っていたスペインとポルトガルに媚びてその地図に線引きし、今の近畿地方に線引きしてそこから東と北の部分は全てスペイン、西と南はポルトガルの領土として与えると宣言している。


天下一統を念じた信長やそれを成し遂げた秀吉がそれを聞いたらそんな輩は即座に斬り殺せといったろう。


そうした白人の奢りは本来何にもましてフェアであるべきスポーツの祭典のオリンピックにもさまざまに露呈していて、奢ったIOCに対する招致決定のゲイムは招致運動など体ではなしにまさに懇願運動の体たらくでしかありはしない。


白人の奢りは今日まで続いてきたので、それに対する反発がこの現代に勃発するのは、過去の歴史が主要矛盾として証すことで歴史的な強い蓋然性があるといわざるを得ない。


アメリカにおける大規模な連続テロの首謀者のビンラディンアメリカが彼の祖国アフガンの爆撃を始めた時「我々はこの八十年来の屈辱を晴らす」と言明したのは八十年前に第一次大戦が終わった時、イギリスとフランスが中東に従来の伝統や民族の関わりを無視して一方的に国境線を定めアラブやアフリカを分割支配してきたことへの遺恨に他なるまい。


人はこれを新しい宗教戦争ともいうが、今日のこの深刻な混乱の資質は単に宗教という範疇より極めて複雑なもので宗教を超えて、大国の資源獲得や政治力の拡大への野心が絡んでより複雑深刻な態様を示している。


しかしこの危険な混乱の背景には毛沢東が指摘したように、中世以来一方的に続いてきた白人による有色人種への支配と略奪の歴史が存在していたということを歴史の現実として知ることこそが、これから混乱の色を深めるに違いない世界とその中に身を置くこの国の立ち位置と将来を見極めるための大切なよすがに他なるまい。


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■【石原慎太郎 日本よ ふたたび】
奢れる白人よ 君たちの世界支配はもう終わったのだ
産経ニュース:2015.12.26
https://www.sankei.com/column/amp/151221/clm1512210006-a.html

 

 

 

 

■ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

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コロンブス以後】

 

・疫病の蔓延と人口減少

 

16世紀のヨーロッパ人やアジア人は既に、牛、豚、羊、山羊、馬および様々な家禽といった家畜を飼い、住まいもそれらと近接しているという状態が長く続いていたが、アメリカ大陸ではそうではなかった。

1492年以降ヨーロッパ人が大挙してアメリカ大陸に押し寄せ、先住民族接触するにつれて、先住民が経験したことのない、従って免疫性のない病原菌を持ち込むことになった。


天然痘(1518年、1521年、1525年、1558年、1589年)、チフス(1546年)、インフルエンザ(1558年)、ジフテリア(1614年)、およびはしか(1618年)といった疫病の大流行があり、先住民族人口のうち、1千万人ないし1億1200万人、95%ないし98%は減少したと考えられている。


この人口の減少に続いて文化的な混乱と政治的な崩壊が起こり、ヨーロッパ人による既存文明の征服と土地の植民地化が容易になったとされている。


(中略)


ヨーロッパ人と先住民族の抗争が原因で死亡した者の数も結論が出ていない。


歴史愛好家ウィリアム・M・オズボーンはその著書『荒野の辺境:ジェームズタウンからウンデッドニーまでのアメリカ・インディアン戦争における残虐行為』の中で、最初の接触(1511年)からフロンティアの消滅(1890年)まで、今日のアメリカ合衆国本土内で記録されたすべての「残虐行為」を集計し、先住民族による残虐行為での死者が9,156人、ヨーロッパ人による残虐行為での死者が7,193人とした。


オズボーンは残虐行為を市民、負傷者および捕虜に対する殺人、拷問あるいは人体切断として定義している。


(中略)


コロンブス航海の後1世紀半で、アメリカ大陸の先住民族人口は80%減じたと見積もられている(1492年の5千万人から1650年の8百万人)。

これは旧世界からの疫病の流行だけでなく、何度かの虐殺と強制労働によるものであった。

 

(中略)

 

・強制移民


ヨーロッパ諸国の移民が現れる前にも奴隷制は存在していた。

先住民族は他の種族を戦争で捕虜として捕らえ、奴隷化していた。


これら捕虜の中には、例えばアステカのような種族では人身御供とされる場合もあった。

スペインはカリブ海で現地の住民を奴隷化した。


疫病や強制労働および無作為な殺人によって先住民人口が減少するに連れて、大規模な奴隷貿易によって輸入されるアフリカ人に置き換えられていった。

18世紀までに、黒人奴隷の数が圧倒的になり、先住民の奴隷はほとんど見られなくなった。


奴隷船でアメリカ大陸に送られたアフリカ人は、その故郷の海岸に住む種族が捕まえて売り払った者達が多かった。

アフリカではヨーロッパ人が疫病に罹患する確率が高かったので、奴隷を捕まえる役割は現地の種族に限定された。


奴隷貿易の代価はラム酒、銃および弾薬が大きなものだった。

1810年頃までに30万ないし40万人の黒人奴隷がチャールストンやニューポートの港に届けられた。


カリブ海の諸島、ブラジル、メキシコおよびアメリカ合衆国に輸入された奴隷の総数は1000万人ないし2800万人と見積もられている。

 


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■ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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