oonoarashi’s blog

岸信介がA級戦犯を逃れるため米国と交わした裏取引きが!「安倍晋三首相が愛してやまない祖父、岸信介」エキサイトニュース 2015年8月17日 https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_1400/

■「無関心は敵」政治は生活に直結していることに気づいてほしい HuffPost News(ハフポスト)2016年07月01日


■「無関心は敵」政治は生活に直結していることに気づいてほしい

HuffPost News(ハフポスト)2016年07月01日

https://www.huffingtonpost.jp/patriots/deli_b_10745822.html


~~~


千葉県松戸市議会議員として活動するDELI氏。

アーティストとしてヒップホップ界で活躍する中で、東日本大震災原発事故をきっかけに脱原発デモなどに参加するようになり、「政治や社会に対する無関心が最大の敵」と意識が大きく変化し、出馬を決意。

活躍の舞台を松戸市議会に移しました。

そんなDELIさんに、政治と生活の関係性や日本の政治について伺いました。

 

・政治や世の中を変えるチャンスは、すべて自分たちの中にある


― 政治に関心を持つきっかけとなった出来事や想いを教えてください。

東日本大震災で、「大人たちに任せすぎていた」「過信していた」ということに日本中が気づきました。誰もが、お上である行政はもっとまともだと思っていたんですよね。もっとちゃんとやってくれているだろう、舵取りしてくれているだろう、と。でも、全然そうじゃなかったし、思った以上に酷いことがわかった。もともと自分は運動家でもなく、社会に対する問題意識はあっても活動したことはなかったんですね。それが、原発問題を真剣に考えるようになり、活動に参加する中で、少しずつ「政治家の文句を言ったり、悪を外につくり悪者にして、すべてが解決するのか?」。そうじゃない、敵は無関心だ。自分の中や、身の回りにある無関心をなくさないといけない。誰かを倒す革命じゃなく、各々が内から起こす意識革命じゃないと、どんなスーパーマンが登場しても絶対に変わらないんですよ。政治家の成熟度は、イコール国民の成熟度。つまり、政治や世の中を変えるチャンスは、すべて自分たちの中にあります。

 

・ヒップホップを通して知った「政治は生活に直結している」


― ヒップホップは本来、黒人の社会問題を歌ったものが多いですが、意識はありましたか?

自分の世代だと90年代で、まだヒップホップがポップスとして認識されていない時代です。パブリックエナミーは自分達を「ブラックCNN」だと叫び、CNNが伝えてくれない社会のさまざまな問題を音楽に乗せてレポートしだしました。そういうものに感化されましたし、アメリカに友人知人も多かったので自然とその意識はありました。若い世代は背景を知らずに楽しんでいる。それはそれでいいけれど、ヒップホップの成り立ちを理解していくと、社会と密接で、実は政治とも近いことがわかるんですね。60年代からマルコムXやマーティンルーサーキングなどが活躍して公民権運動が盛り上がった今より酷い人種差別が存在した時代。彼らは思い半ばで亡くなってしまいます。その時代を経て、アフリカ・バンバータというニューヨーク州ブロンクス区出身の黒人アーティストが登場し、黒人の創造性文化を「ヒップホップ」と名付け、カルチャーとして市民権を得ることに成功しました。「ヒップホップ」という文化の根底にはそういう精神性が引き継がれていったと思います。差別により社会に入っていけない人たちが争い殺しあい混沌としていた世界に、ダンスバトルなどを提唱し、「自分たちのファッション性や音楽性をエンターテインメントとして確立しようじゃないか。憎しみから社会を攻撃するんじゃなく、自分たちのアイデンティティを肯定することで社会にクロスオーバーしていこう」と。ものすごくポジティブ・バイブレーションですよね。


― 政治団体「プラネット・ロック」もヒップホップに関係している名前ですか?

「プラネット・ロック」の団体名はアフリカ・バンバータの曲です。自分のやりたいことを考えたとき、どうしても彼のこの曲のタイトルを使いたかった。本人に使用許可依頼の手紙を書き、返事をもらって、スカイプで直接ディスカッションして想いも伝えています。日本とアメリカを比べたとき、昔も今もアメリカのラッパーは、黒人同士で政治や政治家に対しての意見を話しあっているんですね。「あの政策はダメだ」とか「うちの母親はこういうことを話していたよ」とか。若い世代もみんなそんな感じで、誰もが本質的に「政治は自分の生活に直結している」ことに気づいているんです。日本で同じことをやろうとしても、平和だからやっぱりリアリティは感じないし、土壌が違う。でも、「政治は自分の生活に直結している」ということは、世界共通なんですよ。そろそろ日本もそれに気づかないといけない。


― アーティストとしての経験が今、活きていると感じることはどんなところですか?

自分は音楽も独学です。「アーティストになる」と話したとき、周囲は「絶対無理だ」としか言わなかったほど。それでも「挑戦したい」という想いが強く、チャレンジをして、メジャーデビューまでできて、税金も払えて社会の一員になれた。この成功体験が、選挙活動や議員になってからもベースになっています。政治家の秘書などの経験もないし、選挙活動の手伝いをしたこともなかった。それでも「もう無関心じゃダメだ」と。自分が市議会に入ることで、政治や政治家のハードルを下げ、「政治は生活に直結していることだから、みんなで考えよう」ということを周知したい。そのためには、市民感覚のままコミットしていかないと意味がない。それをブレない信念にしています。

 

・選挙は、自分の未来を選択し、自分の主張を確認するもの


― 日本は政治家を「先生」などと呼ぶ人が多いですが、それに対してどう感じていますか?

日本は政治家を高く見積もりすぎなんですよね。政治家は、投票で選ばれて「街のルールを決める人」です。つまり、2、3年後の自分の生活に直結している。毎日忙しいし、街や国のことに取り組めないから、税金を払うことで議員を雇っている。そういう感覚でいいんです。お願いはしているけれど、「先生!」なんて感覚はやめたほうがいい。そんなに上に見ることはないんですよ。24時間365日、自分の未来をどうしたいか考えることはむずかしい。でも、選挙のときくらい、「この街でどう暮らしていきたいか」「自分は未来をどうしたいか」と真剣に向き合って、選挙に行ってほしいですね。


― 「みんなが参加することで政治が変わる」ということですね。

みんなで取り組まないと変えられないですよね。たとえば、東電に5兆円もの予算がつぎ込まれ、あげくボーナスは満額支給。こんなのありえないですよね。一般の人たちにとって「そうするべきじゃない」という方向にばかり舵が切られている。なぜかというと、投票率が低いからです。とかく議員は次の選挙のことばかり考えがちです。組織票だけで議員が続けられるので、献金団体などを再優先にしてしまう。だから、政治家が変わることや、街のヒーローを待つのではなく、特に若い世代が投票に行くだけでも変わります。「今までのやり方が通用しなくなる」から。投票は、自分の未来を考えるきっかけにしないといけません。人を選ぶということは、自分の未来を選択するということ。自分の主張を確認する機会にしてほしいんですね。


~~~
「無関心は敵」政治は生活に直結していることに気づいてほしい
HuffPost News(ハフポスト)2016年07月01日
https://www.huffingtonpost.jp/patriots/deli_b_10745822.html

 

 

 

 

 

 

 

■日本の政治家とマスコミは「政治」ではなく「選挙ビジネス」をしているだけ

PRESIDENT Online 2020/11/22

https://president.jp/articles/-/40674


~~~


・永田町まわりから民主主義を「解放」せよ


「政治的なるもの」の惰性で民主主義を回している限り、本質的な議論も責任ある決断も行われようがなく、したがって、アイデンティティの政治、グローバリズムの副作用、ネット言論空間における社会の分断、国会の形骸化や法の支配の空洞化など、日本社会の病理を根本的に治療することは難しい。

ここにいう「政治的なるもの」とは、政党を中心とした政治家・メディア・市民運動体など、政治という名の選挙ビジネスを飯のタネにしている永田町まわりの人々の総体だ。

だからこそ、選挙と政党から、民主主義を「解放」しなければならない。

今現在我が国で行われている学芸会的「ミンシュシュギ」の幕を下ろし、なんとかして血を流さずに、しかし血の通った本物の民主主義へと再生させなければならないのだ。

さあ、この21世紀の日本社会において、敗戦や革命など国内外の多大な犠牲と引き換えにせずとも、新しい民主主義をスタートさせることは可能なのか。

その挑戦のメニューが、立憲主義の制度的強化と民主主義のルートの多様化である。

 

・崇高な価値を語っても「うさん臭さ」が浸透するだけ


リベラルが再度人々の心や理念を超えて受け入れられるためには、リベラルが大切だと考える権利や自由が一部の特権的な人のためのものであったり絵に描いた餠でないのだという実感を、人々がその属性に関係なく持てるかどうかである。

具体的には、

①法が定める「手続」:誰でも共通の手続を経れば実質的に権利・自由の救済や異議申立てが可能であり、その条件が多元的・多層的な手段で担保されていること

②法の「中身」:リベラルな価値がどのようなアイデンティティの人間に対しても等しく適用されるように基準が明確化・明文化され解釈の余地ができる限り統制されていること

である。

崇高な価値をいくら語ってもその原理が自分たちには適用されないと考える人が存在すれば、その人は疎外感を覚え、むしろリベラルの「口だけ」「うさん臭さ」が社会に浸透する。

立憲主義の強化とあわせて、リベラルの再生に欠かせないのは民主主義のルートの多様化だ。

 

・国会議員とマスコミは「信頼できない」が46%


まず、日経新聞が2019年に行い2020年初に公表した郵送式の大型アンケートを紹介したい。

アンケート項目は政治経済から生活様式まで多岐にわたるが、私が取り上げたいのは「あなたは日本のどの機関、団体、公職を信頼できますか」という問いである。

「信頼できる」との回答を得たランキングは、1位:自衛隊(60%)、2位:裁判所(51%)、3位:警察(47%)、4位:検察(42%)、5位:国家公務員(26%)。

対して「信頼できない」は、1位:国会議員(46%)、1位:マスコミ(46%)、3位:教師(27%)、4位:国家公務員(25%)、5位:警察(15%)であった。

国会議員とマスコミは「信頼できない」同率1位で、永田町を中心とした「政治的なるもの」への漠然とした不信を表している。

 

・選挙に「信頼」は必要ないから「不信」歓迎


この「信頼できない」という不信の感覚は、積極的に反対票を投じて変革を求める意志と同義ではない。

我が国での「不信」は無気力、ニヒリズム、脱政治、を意味している。

そして、「政治的なるもの」にとって、それはそれで好都合なのだ。

信頼される必要はない。

無党派層は「寝ていて」くれさえすれば、与野党双方とも、自分たちの政局に明け暮れることができる。

そして、最終的には政局のゴールである選挙において、旧来の市民運動家たちを含めた一部の熱狂的な「過剰代表」、ノイジーマイノリティの支持さえ調達できれば、少なくとも現状維持は可能なのだ。

加えて、大手メディアの政治部との依存関係もこの構造を維持するためには重要である。

政局部と堕した大手政治部は、全紙代わり映えのしない同じ論点について、上司に言われた文字数に前例踏襲的な定型句を嵌め込むことを仕事にしているかのようだ。

その情報収集のために群れを成して政治家に付き従い、永田町の廊下を往復する。

その光景はまるで秘書か党職員と見間違えるほどだ。

 

「政党化」する大手政治部記者の思考回路


他方、政治家もすべては選挙中心の行動原理で動くから、メディアへの露出度をアップするために、メディアが設定した論点や論調にあわせて、自己の主張を立論する。

私も、大手政治部の記者と話していて「○○という言い方をしてくれれば記事に書けるんだけど」と言われることがある。

あるいは、憲法改正の議論についても、「安倍総理自衛隊明記案」「自民党改正草案」など政党として打ち出した案は項目に出されるが、議員各人の提案は、その政策的価値とは全く無関係に「党として出してないから書けない」と紙面から外される。

このことはつまり、大手政局メディアが、選挙や政党の構造とその思考回路を完全に一致させており、その枠を超えたオリジナルで価値ある発信はほとんどなされないことを示している。

これほどまでに、政治メディアと政党はぴったりと表裏一体なのだ。

1970年代以降の政党衰退は、マスコミュニケーションの発達によって、政治的な争点形成機能を果たすプレーヤーが広がったこともその一因だった。

このときマスメディアは、社会的な役割として、独自に市民が議論し熟考するための争点形成機能を果たしていく役割を担っていたはずだったのだ。

しかし、我が国では、むしろマスメディア自身が番記者を通じた政党の広報機関の地位に甘んじた結果、政党の衰退とともに、政治問題を政局や政党の利害を超えて提示できる機能も社会から失われたのだ。

~~~
日本の政治家とマスコミは「政治」ではなく「選挙ビジネス」をしているだけ
PRESIDENT Online 2020/11/22
https://president.jp/articles/-/40674