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■金子勇 (プログラマー) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


金子勇 (プログラマー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

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金子 勇(かねこ いさむ、1970年〈昭和45年〉7月 - 2013年〈平成25年〉7月6日[1][2])は、ソフトウェア開発者、情報工学者。専門はオペレーティングシステム、シミュレーション環境[5]。

東京大学大学院情報理工学系研究科特任助手を経て、東京大学情報基盤センタースーパーコンピューティング研究部門特任講師を務めた。

Peer to Peer通信を利用したファイル共有ソフト"Winny"の開発者として47氏という渾名でも呼ばれていた。

 

・生い立ち


栃木県下都賀郡都賀町[6](現・栃木市)出身。

小学生の頃からプログラム技術に興味を持ち、栃木県立栃木高等学校在学中に第一種情報処理技術者試験に合格した。

1989年に茨城大学工学部情報工学科に入学。

その後、同大学院工学研究科情報工学専攻修士課程を経て、1999年に同博士課程を修了し、博士(工学)を取得する[7]。

学位論文は『プロトタイプベースオブジェクトファイルシステムの開発とそのシミュレーションシステムへの応用』。

 

・研究者として


卒業後は博士研究員として日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)に勤務。

地球シミュレータ向けソフトウェアの研究開発に従事する。

2000年から2001年にかけて、情報処理推進機構 (IPA) の未踏ソフトウェア創造事業の一つ「双方向型ネットワーク対応仮想空間共同構築システム」に参加。

[8]2000年1月、エクス・ツールス株式会社に入社[9]。

この前後、3D物理シミュレーションソフトウェア「Animbody[10]」「Nekoflight[10]」などのフリーウェアを発表する。

2002年1月、東京大学大学院情報理工学系研究科数理情報学専攻情報処理工学研究室(数理情報第七研究室)特任助手(戦略ソフトウェア創造人材養成プログラム)に任用される。

同年5月にピュアP2P型の通信方式を持たせたファイル共有ソフトWinnyの最初のベータ版を電子掲示板サイト「2ちゃんねる」のダウンロードソフト板で公開した。

 

Winny事件、逮捕と無罪判決


同じファイル共有ソフトであるWinMXを利用した公衆送信権送信可能化権)の侵害が横行し、著作権法違反で逮捕者も続出していた中で、匿名性が強化されたWinnyへ移行する利用者が後を絶たず、2003年11月にはWinnyを利用して著作物を送信した人物が逮捕された[11]。

これに影響される形で2004年5月10日、金子は著作権法違反幇助の疑いにより京都府警察に逮捕、5月31日に起訴された。

裁判所での事件名は「著作権法違反幇助被告事件」[12]。

弁護士の壇俊光ら「ウィニー弁護団」が、2ちゃんねるやサイトなどのネット上で呼びかけをすることで裁判費用を有志で募り、わずか3週間で1600万円を集めることに成功する。

2006年12月13日、京都地方裁判所(氷室眞裁判長)において罰金150万円(求刑は懲役1年)の有罪判決が言い渡された。

金子側は同日、大阪高等裁判所に控訴し、京都地方検察庁の新倉明次席検事も「罰金刑は想定外で、非常に軽い」とコメントし、検察側からも刑が軽すぎるとして控訴がなされた。

2009年10月8日に大阪高裁での控訴審(小倉正三裁判長)判決にて逆転無罪判決となり[13][14]、21日に大阪高等検察庁は判決を不服として最高裁判所に上告。

2011年12月20日 最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は検察側の上告を棄却。

無罪が確定した[15][16]。

 

・新たな配信システムの開発


Winny開発者の金子勇氏が新技術で特許取得 (2010年2月23日)

2006年 株式会社ドリームボート(後のSkeed)において、コンテンツ配信システムのSkeedCastの技術に顧問として関わり[17]、2011年7月27日に同社社外取締役に就任する[18]。

2012年10月1日に株式会社Skeed取締役ファウンダー兼CINO(Chief Innovation Officer)に就任するも、11月30日付で取締役を退任し、翌12月1日に東京大学情報基盤センタースーパーコンピューティング研究部門特任講師に就任[19]。

ハイパフォーマンスコンピューテングのソフトウェアの研究・開発に従事し、後身の育成にも努めていた[20][21]。

 

・死去


2013年7月6日、18時55分頃に急性心筋梗塞のため、42歳という若さで死去した[1][2][3]。

日本のインターネットを切り拓いた第一人者である村井純は、「金子さんの遺志が健全に羽ばたける世に治すことを硬い約束としたい」と金子の死を悼んだ[22][23]。

仲津正朗は2019年、金子がビットコインの考案者「サトシ・ナカモト」だとする仮説を唱えた。

金子と交流のあった技術者らの理論との関連性、P2Pの技術的仕組みの共通性、論文に読み取れる「既存システムへの不信感」を挙げている。

さらには、ナカモトが保有しているとされる100万ビットコインが一度も使用されていないこと、本物のナカモトが未だに名乗り出ないことも、金子が故人であることを考えれば説明がつくとしている。

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金子勇 (プログラマー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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