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日銀金融緩和で刷られた円の行き先が日本企業でも日本国民でもないカラクリ(Dr.苫米地 2016年9月15日TOKYO MXバラいろダンディ) https://www.youtube.com/watch?v=tvzNqO6qsGI

ドライバーよ、怒れ!ドイツは高速道路無料なのに、なぜ日本の首都高はまたまた値上げするのか?~通行手形!?安倍晋三の新トンデモ政策であなたの自由は奪われる~

 

■ドライバーよ、怒れ! ドイツは高速道路無料なのに、なぜ日本の首都高はまたまた値上げするのか?

excite!ニュース(2021/5/25)週プレNEWS

https://www.excite.co.jp/news/article/Shueishapn_20210525_113695/


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無料化が約束されていたはずの日本の高速道路。

しかし、気がつけば通行料金は上昇の一途。

いったいいつになったら日本の高速道路は無料化されるの? 

一方で、自動車大国ドイツの高速道路はなぜ全区間無料なのか? 

自動車ジャーナリストの竹花寿実(たけはな・としみ)が解説する。

 


――首都高速が来年4月にまたまた値上げします! 一緒に怒りましょう!


竹花 (無視して)補足すると、正確には今年3月12日に新料金案が発表され、これから国交省などの認可を受けて、正式に決定します。まぁ、それは形式的なものなので実質値上げ決定ですが。

 

――で、どんな値上げ? 


竹花 これまで首都高速は、普通車で35.7㎞以上走ると1320円の上限料金が適用されていましたが、来年4月からは「55㎞以上で上限1950円」に。つまり、改定後は35.7㎞以上走ると現在より高くなる。

例えば横浜市の「幸浦(さちうら)IC」からさいたま市の「さいたま見沼IC」まで走ると、走行距離は最短で86.4㎞なので、現在は1320円なのが1950円になる。


――なぜ改定するんスか?


竹花 現在の上限ルールでは、首都高速はほかの高速道路と比較して、長距離になるほど安いので、一部区間で交通が集中しているんです。


――渋滞がハンパないと。


竹花 ですから、首都高速以外の高速道路や自動車専用道路と料金水準を合わせて、クルマの流れを分散しようという意図がある。


――確認ですが、今の首都高速の料金って安いんですか?


竹花 安いです。


――安いんかい! 一緒に怒ってくれると思ったのに!


竹花 (無視して)先ほど挙げた幸浦~さいたま見沼(86.4㎞)は、東名高速道路の東京~御殿場(83.7㎞)間とほぼ同じ距離ですが、東名の料金は2620円(深夜割引料金は1830円)で、首都高は改定後でも1950円ですから。


――だったら、今回の首都高速の値上げが、利用者にどんなメリットやデメリットが?


竹花 都心を横断・縦断するクルマが減るはずなので、渋滞は減ると思います。また午前0~4時に20%の深夜割引が導入される予定なので、深夜に利用する人はお得になります。法人や大口利用者を対象にした割引は、現在の最大35%から45%へ拡大。

さらにつけ加えると、35.8㎞未満の利用は、改定後も料金は変わりません。問題は現金利用者で、一律で上限料金が1950円になる。常に55㎞以上走る人以外は早急にETCをつけるべきです。


――なんか全体的にいい話になりそうですが、そもそも首都高速に限らず日本の高速道路はいずれ無料になるはずだったのでは!?(怒)


竹花 確かにかつては「建設費の償還後は無料化する」という話がありました。しかし、現実には東名高速道路の全線開通から半世紀以上がたっても料金を徴収し続けています。これは1972年に全国料金プール制が導入され、日本全国の高速道路ネットワーク建設にかかるお金をまとめて償還すると決まったからです。

しかも、すでに箱根新道や八王子バイパスのように、独立した一般有料道路が無料化された実績もあります。ただ、多くの高速道路や都市高速の無料化は......まぁ無理です。


――それはなんで?


竹花 まず日本の高速道路(都市高速含む)は、現時点で26兆円を超える債務残高がある。民営化で債務返済は加速したが、それでも今後数十年は返済が続きます。また、新規の高速道路建設や老朽化した区間の造り替え、点検や補修、改良には恒久的に莫大(ばくだい)な費用がかかる。

総延長が9200㎞を超える日本の高速道路は、維持費だけでも2050年までに軽く10兆円以上が必要という声もあります。東名高速道路にしても、全線開通から50年以上経過しているし、ほかの主要高速道路も老朽化している。日本では高速道路無料化の可能性はかなり低い。


――でも、例えばドイツは高速道路が無料ですよね?


竹花 ええ、ドイツのアウトバーンは全区間が無料です。では、日本とドイツの違いは何か。日本の高速道路はかつての道路公団が借金をして建設した「公団方式」。それに対して、ドイツは国が税金で建設した「公共事業方式」。だからアウトバーンは借金がないんです。

 

――それでもメンテナンスにはお金がかかりますよね?


竹花 かかりますが、国と州が税金から年間およそ30億ユーロ(約4000億円)を拠出して賄っています。全長約1万3000㎞の高速道路のメンテナンス費としては安いほうかと。

少し話はズレますが、私がドイツで仕事をしていた頃、日本に駐在経験のある自動車メーカーのエンジニアやデザイナーは、「日本の高速料金はクレイジーだ」と困惑していた。なぜなら、ヨーロッパは高速道路が有料の国は桁違いに料金が安い。例えばスイスは年間40フラン(約4700円)で高速道路に乗り放題になる。

 

――安ッ!

竹花 ヨーロッパは土地に余裕があって地震も少ないので、建設費や耐震基準が日本より抑えられるのも大きい。ドイツに限ると、「国民の移動の自由を守るため、アウトバーンは無料かつ速度無制限でなければならない」と考える人がとても多い。それはもう、"ドイツ人の基本的人権"といった感覚です。

また、政府も「移動性の確保なくして国の繁栄はない」との認識で、道路や鉄道への投資額を増やしている。ドイツは所得税付加価値税ガソリン税など税金は日本よりも高いですが、こと道路に関しては、しっかりしたサービスが提供されています。


――どうにか日本の高速を無料にしたいスけど、何かいい知恵ありませんか?


竹花 (元気よく)あります。日本がドイツから見習うべき点は、有権者の姿勢です。前回のドイツ連邦議会選挙(2017年)の投票率は76.2%。そりゃ、政治家は広く国民の声に耳を傾けますよ!


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ドライバーよ、怒れ! ドイツは高速道路無料なのに、なぜ日本の首都高はまたまた値上げするのか?
excite!ニュース(2021/5/25)週プレNEWS
https://www.excite.co.jp/news/article/Shueishapn_20210525_113695/

 

 

 

 

 

安倍晋三の新トンデモ政策であなたの自由は奪われる~解除後も、アホノミクスはまだ続く!~

「安倍政権が「通行手形」の復活」プレジデント 2020/05/28 渡瀬裕哉

https://president.jp/articles/-/35759?page=1


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・竹森氏の「国内パスポート」発言は冗談だと思われたが…


5月20日衆議院予算委員会新型コロナウイルス対策に関する参考人質疑で驚くべき発言があった。

国民民主党渡辺周衆議院議員の「インバウンドが厳しい、消費も厳しい、GDPの速報値も厳しい、日本はどのような形で内需をけん引するべきか」という質問に対し、経済学者の竹森俊平慶応義塾大学教授が雄弁に自説を語ったときのことだ。


竹森氏は、インバウンドや観光の現状・対策について触れたのち、県をまたいで移動をする際の対策として、「(県をまたいだ移動の)安全性を宣言するためには一種のパスポート、まずは国内パスポート、手形のようなものをどう作るのか考えていて……」と尋常とは思えぬアイデアを開陳したのだ。

「国内パスポート」発言は日本国民に衝撃を与え、ネット上では「通行手形」の復活を揶揄やゆする投稿が相次ぐ事態となった。


竹森氏が「私も温泉に行きたい」と冗談を交えたこともあり、今のところ竹森氏の主張を本気にしている人は少ない。

「『翔んで埼玉』のようだ」というコメントがネット上にあふれていることからも面白いジョークとして受け止められているようだ。

 

・安倍政権は「国内パスポート」に前向きに取り組む可能性がある


しかし、このアイデアは冗談では終わらないかもしれない。

筆者も竹森氏の「国内パスポート」発言は冗談だろうと思っていた。


ところが同日に行われた参議院予算員会での公明党・浜田まさよ参議院議員の地方創生にまつわる質問に際し、「私はパスポートという感覚があるのですけど…とまたもや「国内パスポート」の持論を展開した。

竹森氏が二度も同じ内容を発言したということは、「国内パスポート」政策に本気である可能性を示唆しているのではないか。


竹森氏は、新型コロナウイルス対策のため政府が設置した「基本的対処方針等諮問委員会」の1人であり、政府の経済政策の方向性を決める経済財政諮問会議の委員も務めている。

いわば、安倍政権のお気に入りの経済学者である。


実際、消費税増税の際も参考人として国会に招致され軽減税率の導入などを事実上擁護していた。

したがって、その発言は政府に対して一定の影響を与える可能性がある。


いや、むしろ現政府の代弁をしていると捉えても良いのかもしれない。

つまり、安倍政権が「通行手形」の復活に前向きに取り組む可能性はゼロではないのだ。

 

・WHOは警鐘を鳴らすが、各国の対応は…


実際、このような国内パスポートのモデルとして、EUでは現在「COVID-19 passport」が検討されている。

シェンゲン協定によってEU加盟国間の往来は自由化されてきた。


しかし、新型コロナウイルスの蔓延により加盟国間においても国境封鎖や外出規制などといった制限措置を実施せざるを得ず、観光産業が深刻な打撃を受けている。

そのため、ギリシャEU圏内での旅行の再開を目指し、旅行者が渡航前に感染検査を受けることを義務付けたうえでの「パスポート」発行を求めている。


米国をはじめ他のいくつかの国においても、抗体検査で「抗体がある」と証明された人に「パスポート」を発行し職場に復帰させるという動きがある。

各国は自国の生産力を回復するために、抗体検査を用いてどうにか建前を整えようと必死になっているのだ。


一方、WHOは4月25日、都市封鎖や移動制限緩和の基準として抗体検査を用いないように警告している。

その理由は単純明快で「同一人物が新型コロナウイルスに感染しないという根拠はないから」としている。


ただし、経済再開を求める多くの国の指導者はWHOによる警告を真摯に受け止めない可能性もあり、依然としてどのような方向に事態が進んでいくかはわからない。


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「日本の奇蹟をぶっ壊す!」安倍晋三の新トンデモ政策であなたの自由は奪われる
~解除後も、アホノミクスはまだ続く!~
「安倍政権が「通行手形」の復活」プレジデント 2020/05/28 渡瀬裕哉
https://president.jp/articles/-/35759?page=1

 

 

 

 


■コロナ危機で、国家の「権威と権力」はさらに強大化する~グローバル化の「裏の顔」があらわに~

週刊現代 2020.04.28

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72141


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グローバル化の「二つの顔」


新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、世界は国境封鎖し、鎖国状態になっている。

こうした事態を受けて、グローバル化は終わりつつあるという議論が欧米を中心に始まっている。


しかし、このような主張は皮相的なものにすぎない。

やや逆説的に聞こえるかもしれないが、各国による国境閉鎖は、ある意味でグローバル化当然の帰結だからである。


つまり、鎖国は、グローバル化という現象の「もう一つの顔」をあからさまにしたのである。

以下に敷衍しよう。


一般にグローバル化とは、人やものの自由な移動、さらには「ボーダーレス」な世界の到来として語られる。

しかし、そうした現象の裏側で同時進行しているのは、国家による国境監視の強化である。


国境をフィルターにたとえれば、グローバル化は、一面において、フィルターを通過する人やものの大幅な増大を意味する。

しかし、その反面、フィルターは、国家が通過させたくない人やものをふるいにかける。


2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、テロリストであると疑いがかかる個人を世界中で特に警戒するようになったのは周知のことである。

一方、私が居住するニュージーランドでは、自然環境を保護するために、動植物などいわゆるバイオハザードの対象となるものが国内に入るのを厳しく制限している。


そして、今回、フィルターにかけられているのは感染病ウイルスであり、それに感染している個人である。

20世紀末以来論じられてきているグローバル化は、このように「二つの顔」を持つ。「表の顔」が人やものの自由な移動だとすれば、「裏の顔」は移動する人やものの国家による監視の強化である。


そう考えれば、世界諸国が鎖国状態にあるのは、グローバル化の「裏の顔」が「表」になったことを意味する。

 

・パスポートはいつ発明されたか


国境を越える人とものの移動の増大が、国家による監視の強化に伴っていたことは、最近始まった現象ではない。

海外渡航する際、パスポートを携帯することが義務づけられたのは、第一次世界大戦中のヨーロッパであった。


アメリカの社会学者ジョン・トーピーが『パスポートの発明』(法政大学出版局)で論じたように、19世紀以前にもある種のパスポートがヨーロッパ諸国で用いられていたが、パスポートのあり方について世界的に標準的な慣行はまだ定まっていなかった。

実際、パスポートを発給するのは国家であるとは限らなかった。


地方の聖職者や役人が自国民、他国民を問わず、一種の通行手形や、携帯者の品行方正を証明する推薦状のようなパスポートを発給していたのがその実態であった。

こうした事情が大きく変化を遂げたのは第一次世界大戦の時代だったことを、20世紀イギリスを代表する歴史家A・J・P・テイラーが『イギリス現代史 1914年-1945年』の開巻冒頭でこう書いている(英文原書より筆者が翻訳)。


1914年8月まで、分別があり法を遵守する英国人であれば、郵便局や警察を除いて、国家の存在にほとんど気づくことなく人生を過ごすことができたであろう。

どこでも好きなところで、好きなように生活することができたはずである。


公式なナンバーや身分証明書も持たなかった。

海外旅行したり海外移住したりするに際しても、パスポートも公式な許可書の類も必要なかった。


携帯者の身分証明書であると同時に、国家による移動の管理手段でもあるパスポートは、およそ1世紀前に本格的に導入されたものなのである。

国境が封鎖される数週間前まで、我々は国際的な移動の自由を享受してきたわけだが、そうした自由は、各人が帰属する国家によって発給されるパスポートによって我々の移動が管理される限りにおいて成立していた。


つまり、国際的な移動の自由とは、国家による監視によって保証されるという逆説的な事態なのである。

第一次世界大戦当時、パスポートの携帯が義務づけられるに際して、そうした移動の監視はあくまでも一時的な方策とされていたが、その後まもなく恒常化することとなった。


今日では、パスポートという手段によって国家が移動を監視することの正当性を疑問視する人はほとんどいないであろう。

このように近代パスポートの歴史を振り返ったとき明らかになるのは、人的移動の自由と国家による移動の監視とは切ってもきれない関係にあるということである。


こうした歴史に鑑みれば、現下のパンデミックが終息した後に、国際的な人的移動の自由を回復することは、国家による監視のさらなる強化との引き換えという形でしかありえないのかもしれない。

そもそも、移動の自由における「自由」概念とは、17世紀イギリスの政治哲学者トマス・ホッブズのいう古典的な消極的自由である。


つまり、物理的拘束が欠如している状態にすぎない。

自由をこのような意味で理解する限り、何らかの強制力によって国境を越える移動が阻止されていない限り、たとえ監視下にあっても、移動の自由は存在するとみなされることとなろう。

 

・国家は人々の「移動」を管理する


このように、現下のコロナウイルスをめぐる危機のひとつの核心とは、国家が人的移動を、前例のないほどの規模で制約していることである。

それは国際的な移動だけでなく、国内移動についても同様である。


だからこそ、ロックダウンの状態にある諸国の住民たちはほぼ例外なく、いわば自宅監禁のような状況にあるわけである。

ここに明らかなのは、近代国家が、移動の自由を管理する正当な権限を独占するという特徴である。


さらに、コロナ危機の結果、世界経済は危機に直面しているが、それは、いうまでもなく、経済活動が正常に運営されるためには人的移動の自由が不可欠の条件だからである。

ただし、ここで注目すべきは、その自由がもっぱら国家によって与えられているということなのである。


つい先頃まで、グローバル資本主義の時代の到来とともに、近代国民国家は歴史的役目を終え、「ボーダーレス」な時代がやってくると喧伝されてきたが、グローバルな感染病拡大という事態は、それが間違っていることを見事に実証した。

グローバル企業も大資本家も、パンデミックの発生以来、鳴りを潜めてしまっている。


ウイルス感染に対して対策を講じているのは、国家だけである。

しかも、つい先頃まで新自由主義と「小さな政府」を目指していたアメリカやイギリスといった国々は、一変して、経済に積極的に介入する「大きな政府」へと舵を切った。


さらに、ヨーロッパ圏内における移動の自由も、ヨーロッパ連合加盟国が次々と国境封鎖を行なったことで雲散霧消し、その限りでは、ヨーロッパ連合は、すでに経済人類学者カール・ポランニーのいう「甲殻類的な国家」(鎧のような外殻を持った、外と内を峻厳に区別する国家)の集合体へと変貌してしまった。

こうした一連の事態は、近代国家こそが、この世における究極的権威であって、いかなる国際的な公的組織も、いかなるグローバルな巨大資本も、国家に比肩することはできないことを如実に示している。

 

魔女狩りコロナウイルス


パンデミックが終息した後、移動の自由の回復は、国家による監視の強化と引き換えという形でしかなされないかもしれないと前述したが、このような国家権力の強大化の趨勢は、近代国家形成の歴史を参照しても容易に想像のつくことである。


16・17世紀のヨーロッパで絶対主義国家として成立した近代国家がその権力を増長させたのは、現下のパンデミックと同様「目に見えない敵」である「悪魔」との戦いを通じてであった。

悪魔の支配するところとなった魔女たちが、人間や家畜、農作物に被害を与えたり、ひいては、魔術によって国王暗殺を試みたりしていると信じられた結果、政治的支配者から一般民衆に至るまで、ありとあらゆる人々がその脅威に怯えていた。


悪魔の力に抗するために、ヨーロッパの絶対君主たちは、神的権威を自らが帯びていると主張した。

なぜなら悪魔に打ち勝てるのは神以外ではないからである。


こうしていわゆる王権神授説が唱えられ、王権は神に比肩する権威を主張するようになり、そのような権威を背景に、いわゆる魔女狩りが16世紀から17世紀にかけて猖獗を極めることとなった。

魔女狩りと近代国家の権威増強のプロセスとは、表裏一体の関係にあったわけである。


新型コロナウイルスは、2020年の「悪魔」である。

この「悪魔」に取り憑かれた人々は、魔女のように火刑に処されることはなく、国家によって隔離されるにすぎないが、魔女狩りの時代と同様、ある社会では不幸にも差別の対象になっている。


魔女狩りが近代国家の成長を助長したという歴史に照らしてみれば、ウイルスとの戦いが、近代国家をさらに強大化する可能性を示唆しているといえよう。

当然、国家は、感染病へのより迅速な対応を追求するようになるだろう。


迅速な対応は、経済活動の停滞期間を最小化するという意味でも、重要だからである。

しかし、その一方で、感染病の蔓延を防止するということが人命の保全という至上課題である限り、国家は人的移動の制限を必要に応じて行う権限を強化することにもなろう。


平時から、潜在的な感染ルートについてのデータを収集する必要にせまられることになり、それは監視国家への道を用意することにもなろう。

すでにBluetoothを使った人の移動の監視は日本でも論じられているし、ドローンによる監視はヨーロッパ諸国ですでに始まっている。


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コロナ危機で、国家の「権威と権力」はさらに強大化する~グローバル化の「裏の顔」があらわに~
週刊現代 2020.04.28
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72141