■独裁「前夜」の危うさ ナチスの手口と緊急事態条項
神奈川新聞 | 2017年8月31日
https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-18155.html
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災害対策の大義の下に、人々の権利をやすやすと政府に預けてしまうのは危ない。
改憲論議の俎上(そじょう)に載せられている「緊急事態条項」のことだ。
「緊急事態条項の乱用がヒトラー独裁を生んだ」と。
憲法学者の長谷部恭男・早大法学学術院教授と、ドイツ近現代史が専門の石田勇治・東大大学院総合文化研究科教授が今月「ナチスの『手口』と緊急事態条項」(集英社新書)と題する対談形式の共著を刊行した。
第2次大戦前のドイツで瞬く間に出現したナチス独裁が、時を超えて今の日本でも起こりかねない、との危機感が2人にはある。
折から自民党は、党総裁の安倍晋三首相が改正憲法の2020年施行を目指すと5月に表明して以降、党内論議を加速。憲法改正推進本部で9条改正や教育無償化に加え、緊急事態条項の条文化を進めている。
・「手口」学ぶ
29日に「何百万人を殺したヒトラーは、いくら動機が正しくても駄目だ」と発言、30日に撤回した麻生太郎副総理兼財務相。
書名の「手口」とは同じ麻生氏が13年7月に改憲を巡り発した語句だ。
趣旨は次のようなものだった。
ヒトラーは民主的な選挙で選ばれ、議会で多数を握り、当時の欧州で最も進んだワイマール憲法をみんなの納得の下、ナチス憲法に変えた。
「この発言を忘れるべきでない。真意は分からないが、発言は自民党改憲草案が出された翌年にあったからだ」。
24日夜、都内の書店で開かれた著者2人のトークイベントで、石田教授は強調した。
麻生発言には史実に照らして誤りがある。
ヒトラーが実権を握ったのは選挙で多数を占めたからでも、国民の支持を背景に憲法を変えたのでもない(そもそもナチス憲法というものは存在しない)。
政権掌握の手段、それこそがワイマール憲法に定められた「大統領緊急令」つまり緊急事態条項だった。
・権力への道
1932年7月の国会選挙でヒトラー率いるナチ党は第1党に躍進、半年後の33年1月に彼は首相に就任した。
だがこの間、同党は選挙で過半数を獲得できず、共和国も議会制も否定するナチ党、共産党という両極の急進勢力が合計で議席の半数を占める膠着(こうちゃく)状態に。
結果、緊急令による国政運営が常態化した。
多数の支持を得ていないヒトラーが首相の座に就けたのは、共産党の台頭に危機感を抱いた財界が「飼いならす」つもりで後押ししたためだ。
だが、ひとたび首相に就任すると、独裁は急展開した。
33年2月、国会議事堂炎上事件が発生。
ナチスの自作自演だったと近年分かったが、当時は共産党の仕業とされ、ヒトラーは時の大統領ヒンデンブルクに緊急令を出させた。
この緊急令は大戦終結まで解除されなかった。
つまり12年もの間、ドイツで基本的人権が停止されていたのだ。石田教授は「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)が“合法”とされた根拠は、この時の緊急事態条項だった」と説明する。
翌3月、ヒトラーは授権法(全権委任法)を制定。
「国の法律は、憲法に定める手続きによる他、政府によっても制定しうる」「政府が制定した国の法律は…憲法に背反しうる」。
事実上の憲法停止といえる。
以降、矢継ぎ早に、政党の設立が禁止され、遺伝病を「強制断種」する法が制定され、ユダヤ人の迫害そして虐殺が制度化された。
・法律で十分
「自民党の改憲草案はここまでひどくない、と言えるだろうか」。
長谷部教授は問う。
草案99条「緊急事態の宣言の効果」は、非常時に政府に法律を改廃する権限を与えると定めた。
長谷部教授は危惧する。
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独裁「前夜」の危うさ ナチスの手口と緊急事態条項
神奈川新聞 | 2017年8月31日
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