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【『論語』は「日本人の心のよりどころ」】日本人と『論語』の歴史とは? ~人生の悩みや迷いを読み解くヒントとして知られる『論語』人生を導く孔子の名言5選~


■なぜ日本人は『論語』を「心のよりどころ」にするのか

ゼロから学んでおきたい「日本人と『論語』」①

國學院大學メディア

https://www.kokugakuin.ac.jp/article/242102


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視点①「日本人と『論語』の歴史とは? 」


論語』とは中国・春秋時代の思想家・孔子(紀元前551年?~紀元前479年)とその弟子たちの言行を記録した書物だ。


「人はどう生きるべきか」や道徳観について説き、中国や日本、朝鮮半島ベトナムなどで後世に大きな影響を与えた。


日本人と『論語』の関わりは古い。

奈良時代に編纂された『古事記』や『日本書紀』の両方に、既に『論語』の記述がある。

 
「又百済の國に、『若(も)し賢(さか)しき人有らば貢上(たてまつ)れ。』と科(おほ)せ賜ひき。故、命(みこと)を受けて貢上れる人、名は和迩吉師(わにきし)。即ち論語十巻(とまき)、千字文一巻(ひとまき)、并せて十一巻(とをまりひとまき)を是の人に付けて即ち貢進(たてまつ)りき」(『古事記』應神天皇条より)
 

石本教授は「日本で初めての『本』として登場したのが『論語』だったという事実に注目してほしい」と解説する。

古事記』によれば、『論語』は朝鮮半島百済から和迩吉師(わにきし)によって應神天皇に献上され、日本にもたらされた。

論語』の言葉が発せられてから1000年ほど後になる。

「登場の歴史が華々しく、当時から『論語』は特別の書(ふみ)だった」(石本教授)。應神天皇は宮中での王子の教育のために家庭教師をつけて『論語』を学ばせたという。


例えば聖德太子(厩戸王)が制定した『十七条憲法』(※1)の第一条「和をもって尊しとなす」も『論語』の教えを取り入れている。

「有子曰 禮之用和爲貴(有子曰はく、礼の用は和を貴しと為す)」(『論語』學而「禮之用和爲貴」章)


「聖德太子もこれはよい教えだということを認識していて、たった十七しかない憲法の中に掲げた」と、石本教授は説明する。


興味深いのは、十七条憲法で取り入れられた「和」は、もともとの『論語』の中で最も重要な言葉として位置付けられていないという点。

石本教授は「『論語』の教えの中から日本人はその時代時代で、主体的に自分たちにとって価値のあるものだけを選んできた」。


つまり、外国の制度や書物、全てを取り入れたわけではないということだ。

例えば日本は中国の科挙は根付かなかった。

科挙とは中国・清の時代まで約1300年にわたり、導入されていた官吏登用試験だ。

石本教授は「厳しい試験制度は、和を尊び利己を嫌う十七条憲法の日本にはなじまないと考えたのではないか」とみる。


論語』に話を戻そう。

日本に伝来してから『論語』は長く、宮中など身分の高い一部の人だけのものだった。

時代によって解釈も少しずつ変化した。

中国において『論語』の古い注釈はおおむね漢から唐の時代で、新しい注釈は北宋以降になる。


そして『論語』が爆発的に広がる江戸時代に入る。(続く)

 

・視点②「学問の基礎だった江戸時代の『論語』」


論語』が日本国内で大きな広がりを見せたのが江戸時代だ。

青木准教授は「爆発的に読む人が増え、出版が盛んになった。

江戸時代で売れた本でトップ5に入るだろう」と語る。

石本教授と青木准教授は現在、神道文化学部の西岡和彦教授と江戸時代に武士や庶民がどのようにして『論語』を学んだかといった研究を進めている。


徳川幕府朱子学を推奨し、代表的な書物である「四書五経(※1)」が注目される。

論語』はその中でも重要な書物、学問への入り口として普及していく。


例えば戦国時代、武士階級では『論語』を知る武将は少数だった。

加藤清正前田利家から『論語』を勧められ、驚いたというエピソードがあるほどだ(『明良洪範』)。

しかし江戸時代、武士は文武の教養を積むことを求められ、藩の教育機関である「藩校」 (※2)で『論語』を学んだ。

一方、庶民階級では「寺子屋」が普及し、日常生活に必要な教養を身に着けていった。


また、藩校や寺子屋以外にも江戸時代は「塾」ができる。

人気の塾は門人が3000人以上いたところもあるという。

幕藩体制であったため、こうした教育機関は全国に作られた。


論語』の広がりとともに、内容を分かりやすく解説した数多くの「訓蒙書」が登場する。

石本教授は「当時の広告を見ると、訓蒙書のターゲットがよくわかる。昼間忙しい商人や農民向けの訓蒙書から藩校の先生用の“虎の巻”まで。コラムや図版が入っているものもあり、今の学習参考書の基となった」と説明する。

本には総ルビがふられ、漢字や仮名で書かれているため、漢文と比べて親しみやすいことも人気の理由だった。

 

・わかりやすく説明にまでルビがふられた江戸時代の訓蒙書(渓百年『論語余師』)


訓蒙書の中には、200年以上ベストセラーになった『名著』もあるという。

「商売が成立するために一番大事なことは『信』だ」と説く本も。現代ならビジネス啓発本といったところか。江戸時代に出版された『論語』の訓蒙書は100種類を超える。訓蒙書が多く流通していた証左となるのが、現代での古書店での値付けだ。「神保町の古書店では安価で売られている本もあり、非常に広く流通していたことがわかる」(青木准教授)


次第に『論語』は「人間をつくるための本」として知られるようになっていく。

「日本人は教育や習い事の目的の中に『人格形成のため』などの目的を掲げることが多い。礼儀作法や態度、言葉遣いといった人格を形成するための教えが書かれている『論語』はぴったりだった」(石本教授)。


青木准教授は「中国古典をそのまま受け取るのではなく、一度自分たちの内部に取り込み、咀嚼して新たな解釈を加えた点が面白い」と語る。

江戸時代の儒学者伊藤仁斎は『論語』を「最上至極宇宙第一の書」と言い切った。

荻生徂徠は「朱子学は人情の自然を抑圧する」と批判的な見方をした。

思考を止めることなく、それぞれが新しい解釈を加えていった。(続く)

 

・視点?「渋沢栄一はなぜ『論語』を掲げたのか」


文明開化の波が押し寄せた明治時代に入っても、『論語』はよく読まれた。

話はいよいよ渋沢栄一と『論語』の関わりに入る。

資本主義の制度設計に携わり、「近代日本経済の父」と言われる渋沢がなぜ『論語』を掲げたのか。


青木准教授はこう解説する。

「渋沢は『実行の人』、つまり現実主義者だった。

現実的にどうするかが書かれていてる『論語』とは親和性が高かった」。

論語』、儒教は実践の学問だった。


実は渋沢は『論語と算盤』の他にも『論語』をテーマにした本を著している。

『実験論語処世談』と『論語講義』の2冊。

青木准教授は「『論語と算盤』は有名だが、お薦めは『論語講義』で、特にその前半」と話す。


青木准教授が薦めるポイントは2つある。

1つは渋沢が自らの生涯を通して経験した原理原則を『論語』にあてはめ説明していること、もう1つは文中から、大切なことを若い人に伝えたいということが読み取れることだ。

「文中では『(渋沢自身の)人生から見ると』や『青年諸君、紳士淑女』といった表現が非常に多い。これから長い人生を歩む若者に、渋沢自身の人生から見つけ出したものを伝えたいという気持ちがあったのでは」(青木准教授)。


「世間では学校出身者も実際には左程の価値なしといふ人あれども。余はさうは思はぬ。学校の課程を順序よく修めて居る人は。之を学校出身でなき人に比すれば。すべて仕事に秩序的な所があつて、能率がよく挙がると思ふのである。(中略)広い意味からいへば。学問は一種の経験で。経験も又一種の学問である。老年も青年も斯(この)消息は宜しく心得て置かざるべからず。(『論語講義』公冶長「必有忠信如丘者焉」章)


また、渋沢は「文明国、文明社会の紳士を目指せ」とも『論語講義』の中で説く。

論語』の「君子」を渋沢は「ジェントルマン(紳士)」に置き換えているのだ。

孔子の言はれた本章の主意は現代にても実行せらるべき性質もものであって。決して時代に適せぬ言と見るべからず」(『論語講義』學而、「不患人之不己知」章)などと呼び掛けている。

また、「さて今の青年には外見上の体貌に修飾を加へて。風采を整ふる事には余念なきが如しと雖も。心意上の修飾に至ては遺忘し居るに似たり」(『論語講義』八●(はちいつ、人偏に八の下に月)「繪事後素」章)と若者への厳しい指摘も。


約500社もの会社設立に携わり、実業家としての側面がクローズアップされることが多い渋沢だが、生涯をかけて「道徳経済合一」を追い求めた。

私利私欲ではなく、公益を追求する「道徳」と、利潤を求める「経済」が事業において両立しなければならないという考えだ。

その道徳の手本とすべきとした書物が『論語』だった。


「…。更に望むらくは、世の青年諸君は後日の紳士為政者たるべき人なれば。一身の為めにも国家の為めにも。道徳を基調とせられたし。道徳に斃れたる例はこれあらざるなり」(『論語講義』為政「道之以政」章)

石本教授は「物事の本質を考える時に古典はとても有力だ。

時代や社会が変化しても本質は変わらない」と強調する。 


「民無信不立(民、信無くんば立たず)」(『論語』顔淵「民無信不立」章)

仕事上の取り引きから友人関係まで全てに通じる『論語』の教えは、コロナ禍でコミュニケーションが取りにくくなった今、ますますその重みを増している。


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なぜ日本人は『論語』を「心のよりどころ」にするのか
ゼロから学んでおきたい「日本人と『論語』」①
國學院大學メディア
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/242102

 

 

 

 

 

 


■『論語』に学ぶ。人生を導く孔子の名言5選

人生の悩みや迷いを読み解くヒントとして知られる『論語

東洋大学

https://www.toyo.ac.jp/link-toyo/culture/confucius/


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孔子とはどのような人物か


   
孔子は紀元前552年(551年とも)、魯の国(現在の中国・山東省)に生まれました。

3歳のときに父を亡くした孔子は巫女だった母の仕事を見て育ったこともあり、遊びでも祭器を並べて礼法の真似事をするような礼儀正しい子どもだったと言われています。


孔子が17歳のときに母も亡くなり、孤児として育ちながら勉学に励みます。

20歳を過ぎたときには魯の役人として、貨物倉庫の出納係を立派に勤め上げ、後に牧場を管理することに。

そして30歳を過ぎたときには周の都に行って、勉強に打ち込みます。

その後、孔子は貴族の横暴な政治が横行していた魯の政治を立て直そうと励みますが、あえなく失敗。

再び政治の世界に舞い戻る……ということはなく、諸国を遊説して回るようになります。

このときに孔子を慕う弟子が続々と現れ、最終的には3,000人もの弟子がいたとも言われています。

孔子はそれほど多くの人の心をつかむ哲学者として、現代にも通用する考えを説き続けたのです。

 人生を通し、常に学ぶ姿勢を持ち続けた孔子。その生き方から得た言葉の数々を見てみましょう。


    
【仕事編】心に留めたい、論語の教え

 

論語』は、孔子と弟子たちとの対話をまとめたものであり、国や時代を問わず多くの人に気づきを与えてきました。

それでは仕事で生かせる、孔子の教えを『論語』から読み解いていきましょう。
   


・上司とどう付き合えばいいかがわからない


子路(しろ)、君(きみ)に事(つか)えんことを問う。子曰く、「欺くことなかれ。而(しか)してこれを犯せ。」”

【現代語訳】

子路が「主君に対して、どのように仕えるべきなのでしょうか。」と孔子に尋ねた。「嘘はついてはいけない。そして、主君にさからっても諫めよ。」と孔子は答えた。


トラブルが発生しそうなときに「指摘されるのが怖いから黙っていよう」、「自分でなんとかしよう」と勝手に判断し、いざトラブルが表面化してから慌てる……そんな出来事に覚えがある人もいるのではないでしょうか。

そんな「嘘をついたり隠したりする」ことを孔子は厳しく諫めています。


一方で、上司もミスをすることがあるでしょう。

そんなときは「上司だから」、「逆に怒られるかもしれないから」と引いてしまうのではなく、堂々と誤りを指摘するべきだ、とも孔子は説きます。

自らの立場を守るために上司の顔色を伺うのではなく、「間違ったことは事実」として声をあげる勇気が、今の世の中には必要なのかもしれません。


そして、もし自分が部下を抱えているのなら、自分の部下はどちらのタイプなのかを思い浮かべてみてください。

顔色ばかりを伺うのではなく、多少気は強くとも「それは違います!」と言える部下がいるのなら、あなたの大きな助けになるのではないでしょうか。


  
・仕事が楽しくない


   
“之れを知る者は之れを好む者に如(し)かず。 之れを好む者は之れを楽しむ者に如(し)かず。“

【現代語訳】

ある物事を理解している人には知識があるが、好きな人には敵わない。 ある物事を好きな人は、楽しんでいる人には敵わない。


日々働いていて、ふと「私はこの仕事に向いていないんじゃないかな」と悩んだことはありませんか。

そんなときほど結果を出せないことを悔やみ、負のスパイラルに陥りがちですが、孔子は「知る」、「好きになる」、「楽しむ」ことの大切さを述べています。


「やらされている」と感じている物事は、いつまで経っても上達しません。

それどころか「面倒だ」、「投げ出したい」とさえ思うでしょう。

まずは目の前の「やるべきこと」を整理し、「好きになる」「楽しもう」と意識することが働く・学ぶうえで欠かせない要素ではないでしょうか。


 
・知識がなかなか身につかない


“子曰く、学は及ばざるが如くせよ。猶(なお)之を失わんことを恐れよ。”

【現代語訳】

先生が言われた。まだまだ自分は十分ではないという思いを持ち続けるのが学ぶということだ。のみならず、学んだことは失わないよう注意しなさい。


成長を実感する瞬間は嬉しいもの。

しかし、そこで「自分はもう十分に学んだからできる」と調子にのるのではなく、「常に謙虚であれ」と孔子は主張します。


また、知識は得たら終わりという簡単なものではありません。

どんなに優れたスポーツ選手や職人であっても、その道から一旦離れてしまえば腕は鈍ります。

「テストで高得点が取れたからもういいや」、「タスクが終わったから終わり」とその場限りの努力にしてしまえば、できたはずのことができなくなることも避けられないでしょう。

自分の武器を増やし、自信を持つためには謙虚であると同時に、常に学ぼうとする姿勢を維持する必要があります。

   
【生活編】心に留めたい、論語の教え

 

ここからは、日常生活にも役立つ、孔子の教えを『論語』から読み解いていきましょう。
 

・読書で効果的に知識を身につけたい


“子曰く、学びて思わざれば罔(くら)し。思いて学ばざれば殆(あやう)し。”

【現代語訳】

先生は言われた。読書や先生から学ぶだけで、自分で考えることを怠ると、知識が身につかない。しかし、考えることばかりで読書を怠ると、独断的になって危険である。


知識を身につけるための読書、そして知識を自分の血肉とするための思索。

良い行動につなげるためには両方が必要となります。

たとえば、料理をするにしてもレシピ本を読むだけでは決して料理は上達しません。

かといって料理の知識がない人がレシピ本を読まずにいきなり料理をしても、独自の味付けや調理方法では美味しい料理を完成させるのは難しいでしょう。


効果的に知識を身につけるには、読書で知識を学ぶだけでなく、その知識を活かして自分自身の頭で考える。

そのバランスを上手にとることが大事であると孔子は諭しています。

 

・いつも「口だけ」と言われてしまう


“子曰く。先ず行う。その言や、しかるのちにこれに従う。”

【現代語訳】

先生は言われた。まずは行動をしなさい。言葉は後からついてくるのだから。


「いつか漫画家デビューする」、「夏までに痩せる」と大きな目標を掲げるも、「明日からでいいや」とすぐに諦めてしまう……あなたもそんな「口だけの人」になっていませんか?


目標と行動は、常にセットです。

宣言してから実際に行動すれば「有言実行」ですが、いつまでも行動に起こさなければ「有言不実行」でしかありません。

そんな「有言不実行」の人は次第に「どうせ口だけ」、「やらないくせに」と周囲の信頼を失ってしまうかもしれません。


「今は気分じゃない」、「まだそのときじゃない」という言い訳ばかりを考えるのではなく、まずは行動する。

その一歩があなたを大きく成長させると孔子は語っています。
    


孔子の教えをもとに、自身を成長させよう


孔子の教えは、色あせることなく後世の人々の心に刺さるものばかりです。

論語』を「難しそう」というイメージで、今まで手にとってこなかった方にとっては新たな発見もあったのではないでしょうか。


論語』は解釈によって、さまざまな読み解き方ができるものでもあります。

あらためて、人生に迷ったときは『論語』から今にも生かせる孔子の考えを学んでみてはいかがでしょうか。  


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論語』に学ぶ。人生を導く孔子の名言5選
人生の悩みや迷いを読み解くヒントとして知られる『論語
東洋大学
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渋沢栄一の名著『論語と算盤』――近代日本資本主義の父・渋沢が説く「人生哲学」とは

野村証券 2021年08月25日

https://www.nomura.co.jp/wp/kcba/bk009/


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2021年の歴史ドラマの主人公であり、新1万円札の顔に決定した、渋沢栄一

近代日本資本主義の父として知られる彼はたくさんの名著を残しているが、その中でも長く愛されているのが『論語と算盤』だ。


「利潤と道徳を調和させる」という渋沢の経営哲学が詰まった本書は、初版発行から100年以上経った今も、グローバル化や社会貢献などさまざまな価値観が存在する現代社会において、新鮮な示唆を与えてくれる。


大正5(1916)年に刊行されて以来、数多く訳されてきた本書であるが、今回はその一つである『現代語訳 論語と算盤』(筑摩書房)の概要を述べるとともに、変化が激しく先の見えない今だからこそ、おさえておきたい渋沢流の人生哲学を紹介する。

 

・渋沢が説いた「事業をどう進めるか」から「人はどう生きるべきか」まで


著者の渋沢栄一は、幕末から明治・大正・昭和までを生き抜いた実業家である。

有力な農家に生まれた渋沢は、幼い頃から論語をはじめ、さまざまな学問を身につけてきた。

起業家として銀行・証券取引所・鉄道・ガス・ホテルなど、生涯を通じて500社余りの会社設立に関わった。

その多くが現在の日本経済を支える名だたる企業へと発展し、現在では「近代日本資本主義の父」と呼ばれている。


その渋沢が本著『論語と算盤』で一貫して語っているのは、「資本主義の利益主義一辺倒になってはいけない。道徳と経済のバランスをとることが大切だ」ということだ。

タイトルにある「論語」とは人間性や人格の磨き方、リーダーとしてのあり方、人との付き合い方など、いわゆる「道徳」の象徴である。

一方、「算盤」とは、科学技術を進化させ、経済をまわし、国を豊かにすることを表している。


つまり渋沢は本著の中で、「利潤と道徳を調和させる」という経営哲学を説いているのだ。


経済の成長を追求するあまり、どうしても「算盤」優勢になりがちな現代社会において、「論語」と「算盤」を均衡させることが大事だという渋沢の主張は、資本主義の暴走に強くブレーキを引くものである。

事業を進める上での話のみならず、「人はどう生きるべきか」といった根源的な問いかけにも、明確に答えてくれる。

つまり本著は、経営哲学だけでなく、人生哲学も語っているのだ。

 

・いち早く“資本主義の弱点”を見据える


この本を読む前におさえておきたいのが、『論語と算盤』が出版されたのが、大正デモクラシーのなかで経済がバブル化し、立身出世や金儲けが大きな注目を集めていた大正5(1916)年のことだった、という事実だ。


そうした時代では、当然ながら道徳よりも経済が優先されており、「事業は慈善活動ではないのだから、多少は道徳に反しても致し方ない」と考えられがちだった。

利益を追求するためには、どうしても道徳は軽視されてしまうのだ。


だが渋沢は、「道徳」と「経済」という一見して相反する2つを融合させ、「道徳と経済をバランスよく進めることが大事だ」と説いた。

その根拠については、渋沢の次の一文によく表れている。


いかに自分が苦労して築いた富だ、といったところで、その富が自分一人のものだと思うのは、大きな間違いなのだ。

要するに、人はただ一人では何もできない存在だ。


国家社会の助けがあって、初めて自分でも利益が上げられ、安全に生きていくことができる。(~中略)これを思えば、富を手にすればするほど、社会から助けてもらっていることになる。(p.96)


さらに渋沢は、「本当の経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、決して長く続くものではない」と断言し、「算盤だけではなく、道徳も身につけよう」と語っている。


渋沢が道徳の象徴として取り上げている『論語』とは、孔子が語った道徳観を弟子たちがまとめたものだ。

渋沢は幼い頃から読み慣れた『論語』を、実業を行う上での規範とした。

なぜ、彼は『論語』を規範に選んだのか。


渋沢が実業界に身を置くようになったのは、明治6(1873)年のことだ。

大蔵省を退官して下野し、豊かな国をつくるために自ら産業を興そうと決心した。

役人を辞めて商売人になろうとしたとき、彼はこう考えた。


「これからは、いよいよわずかな利益をあげながら、社会で生きていかなければならない。そこでは志をいかに持つべきなのだろう」。

このとき渋沢の頭に浮かんだのが、以前学んだ『論語』だった。

論語』には、自分のあり方を正しく整え、人と交わる際の日常の教えが書かれている。

決して難しい学問上の理論ではなく、人の生きる道や道徳観を説いているのだ。


利益主義一辺倒では、真の発展にはつながらない。

論語を基盤として、事業の志を立てることが大事である――。

つまり渋沢は、利益第一に陥りがちな資本主義経済の課題にいち早く気付き、その解決策として道徳と経済を均衡させ、利殖を図ることの重要性を説いたのである。

 

・江戸時代に学ぶ“教育”のあり方


では、道徳を持つためにはどうすればいいか。

渋沢は、「現代の青年が、いまもっとも切実に必要としているのは、人格を磨くことだ」と述べている。

そして、人格を磨くことを「修養」という言葉で表しており、その際に気をつけなければならないのは「頭でっかちになってしまうことだ」と説いている。


学問だけ身につけても社会に打って出ることはできず、反対に、現実だけ知っていても十分とはいえない。

「両者が調和して一つになるときこそ、国でいえば文明が開けて発展できるし、人でいえば完全な人格を備えた者となるのだ」と渋沢は述べている。


彼によれば、「人格を磨く」際に役立つのが、武士道である。

武士道は古来、もっぱら武家社会だけで行われ、経済活動に従事する商工業者の間では重んじられてこなかった。

だが渋沢は、武士道の神髄は、正義(皆が認めた正しさ)、廉直(心がきれいでまっすぐなこと)、義侠(弱きを助ける心意気)、敢為(困難に負けない意思)、礼譲(礼儀と譲り合い)とみなし、それらは商業活動にも欠かせないものと考えた。


本来、武士道を誇りとしてきたはずの日本で、なぜ商工業者がそうした道徳を置き去りにしてしまったのか。

その原因について、渋沢は「教育の弊害ではないか」と考えている。

江戸時代、統治される側にいた農業や工業、商売に従事する生産者たちは、政策に従わされるのみであり、道徳教育とは無関係の場所に置かれ続けた。

そのため、自分でも正義や道徳に縛られる必要はないと思うようになってしまったのではないか、と渋沢は推測している。


教育について、渋沢はこんなふうに嘆いている。


今の青年は、ただ学問のための学問をしている。初めから「これだ」という目的がなく、何となく学問をした結果、実際に社会に出てから、「自分は何のために学問してきたのだろう」というような疑問に襲われる青年が少なくない。(p.193~194)


これはそのまま、現代社会の教育にも当てはまるだろう。


学問を修める方法を間違えると、人生における身の振り方を誤ってしまうだけでなく、国家の活力衰退を招くもとになる。

むやみに詰め込む知識教育ではなく、各々得意とする方向へ向かいながら、実践的な知識と技術を身につける。

渋沢は当時と比較し、江戸時代の寺子屋の教育を「不完全ながらもうまくいっていた」と述べている。

これは、学力偏重あるいは点数主義と呼ばれる現代社会の教育問題を考える際、一考に値する指摘だといえよう。


実践的な教育のもとで自分を磨き、豊かな国家へつながるビジネスを進めていく。

これが本来あるべき事業の姿であり、このように「時代が変わっても変化しない人間と人間社会の本質」が描かれているからこそ、この本は長く読み継がれているのだ。


現在の日本ではグローバル化の影響から、働き方や経営に対する考え方が非常に多様化している。

さらに新型コロナウイルス感染症の拡大も加わり、人生におけるプライオリティや労働に対する意識なども変化しつつある。

さまざまな価値観が存在し、指針にすべきお手本のない現代の日本においても、日本が急成長を遂げた大正期、まさに時代の寵児であった渋沢栄一から学べることは非常に多い。


この書籍では、利潤と道徳を皮切りに渋沢の人生哲学が1~10の章で語られ、「何のために働くのか?」「人生100年時代、どう過ごすべきか?」などを考えるきっかけになるかもしれない。

渋沢の人生論を、先行き不透明な時代の“生き方”の参考にしてほしい。


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渋沢栄一の名著『論語と算盤』――近代日本資本主義の父・渋沢が説く「人生哲学」とは
野村証券 2021年08月25日
https://www.nomura.co.jp/wp/kcba/bk009/